4月になり私達は再び二人の生活をスタートさせた。
普通なら1時間前後で行ける距離を、半日かけて引越屋さんが荷物を運んでくれた。
阪神高速が倒壊した。
絶対に壊れるはずの無いものが
こわれた。
未知のエネルギーの恐ろしさを
まざまざと感じた。
私の通院していた病院も被災し、入院患者の方が亡くなられた。
近隣の方が大怪我で運び込まれたり、もうすでに亡くなられた人を、助けてくださいと家族が担ぎ込んだりしたそうだ…
ニュースに映し出されたその病院は野戦病院のようだった。
私の病気を診断してくれた病院。
毎週から2週間に一度、
2週間から一ヶ月に一度
と通院間隔が開き出して
こうやって病気と付き合って行くんだなと教えてくれた。
こうやってブログに書くまで、
今まで思い出したこと無かったけど、どれだけの人達が関わっていたか…
何か、ウクライナと重なる。
辛い。
そして、その当時は二人で生活を立て直すために、被災地を離れなけれなならなかった。
幼い頃から私は不本意ながら、あちこちフラフラと生活拠点を移していった。
そして元住んでいた所に一度も戻ることは無かった。
そう、懐かしく遊びに行く事も全く無かった。
でも、震災で離れるのは何かが違う。
そこを捨てて逃げ出すような
自分が卑怯者になったような
そんな気持ちを引きずった。