翌年、私はお母さんになりました。
以前に手術をした産科で産みました。
(初めて動物園に連れて行った時、ペンギンに強い興味を示したので、赤ちゃんをここではピングーと呼ぼう。)
ピングーは男の子で産まれた時から繊細で、ちょっとの物音でもすぐにビクッと泣き出し、夜泣きも酷く育て難い赤ちゃんでした。
もちろん可愛かったし、大切に大切に育てたつもり。
実家が無く、産前産後助けて貰えない。
サムは週末以外はずっと出張。
義母はクセの強い性格で、手助けなんか望め無い。
色々条件が悪い中、想像以上に子育ては大変だった。
私は難病で過労は禁物だったから、
産科の先生が「お母さんの身内の方が来たら退院後の注意を伝えますから呼んで下さい」
と言ったそうだ。
入院中
耳の不自由なおばあちゃん、
父親の妹である叔母さん、
お義母さん、
がお見舞いに来てくれた。
とてもじゃないけど先生の話を聞いて貰うよう頼むことはできない。
退院後ケアしてもらえる環境じゃ無いと退院の許可出来ないと言われた。
おばあちゃんは耳も聞こえず弱っているし、
叔母さんは障害のある子どもさんを育てている。
消去法でお義母さんのお世話になることになった。
私達のマンションからお義母さんのマンションまで車で20分ほど。
通って助けて貰うよりお義母さんのマンションに母子で泊まらせて貰った。
サムは週末以外出張。
お義母さんと私とピングーの三人の生活。
ピングーが泣いたから抱っこしようとしたら
「先にご飯を食べて自分の用事をさっさと済ませてから抱っこしなさい」
と命令。
初めての子育てで、赤ちゃんギャンギャン泣いてるのにご飯なんか喉通らない。
色々手助けしてくれるのだが、凄く気を使う。
私が感心した素振りを見せると、
「こんなん常識や」を連呼。
私はだんだんと追い詰められていく。
〜~~~~~~
ちなみにそんなピングー君
今日「令和4年3月20日」
大学を卒業しました🌸
〜〜〜〜〜〜〜