私は被災後新しく病院を探し、ある大学病院に通院していた。
普通なら紹介状が無ければすぐには診て貰えない病院だが、被災者と言う事で診て貰えた。その病院に結果8年お世話になった。
前の病院と同じ薬かと思ったが、血液検査の結果ステロイドに加えエンドキサンという免疫抑制剤が処方されていた。
その薬が、赤ちゃんに良くなかった‥
処方された時にきちんと説明されたか今となっては思い出せないが
その薬は胎児に催奇形性をもたらすという事だった。
内科から産科に連絡が行き、診察してもらい、説明を受けた。
初診では医師の説明が全然理解出来なかった。
2回目の受診の時に、手術日を具体的に決めるよう言われた。
妊婦さんで混雑する待ち合いに出た時に、私は全身の力が抜けて長椅子に倒れ込むように座りしばらく立ち上がれなかった。
私は仕事を辞めた。
何日間か休まなくては行けないし、元々の病気の事も内緒にしているのに何もかも説明なんかしたくなかった。
仲良くしてくれている人達にも言えなかった。
手術は全身麻酔で一泊した。
病院はナースステーションを境に東棟と西棟に分かれていた。
私が入院しているのと反対の棟では賑やかな赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
全てサムが一人で付き添ってくれた。
ごめんね、産んであげられなくて。。。