いわき市公民館市民講座、「智恵子抄ウォーク」に参加してきました。
智恵子抄とは、「高村光太郎が妻智恵子について書いた詩、短歌、散文」を収録したもの。
結婚前から彼女の死後まで30年の間に書いた詩です。
純愛、です。
あいにくの雨、それも大雨、
ウォークは大幅に短縮されました。
でも、足首の捻挫がまだ治らない私にとっては、皆さんには申し訳ないけれど、負担がなくよかったです。
智恵子の生家です。
長沼家はお酒を造っていましたが、智恵子が44歳の時破産しています。
その頃から智恵子は精神病を患うのでした。
記念館の入り口。 かわいい像が。
十和田湖の畔にある「乙女の像」光太郎の70歳の作品です。
本物は等身大ですが、小さいのを作りながらだんだん大きくしていくのだそうです。
2つでひとつ。 モデルはいたそうですが、顔は智恵子です。
デッサン
智恵子の杜まで雨の中のウォーク、1時間ほどかかる山登り、
私と数人はバスで上がりました。5分、
みんなが山の上に来るまでバスの中でおしゃべりしてました。
近くの由比神社のお祭りの御輿、雨でかわいそう。
お昼ごはんは本当は展望台でいただくはずでしたが、ほとんどの人がバスの中で。
各自持参のお弁当、これは私。ご一緒したKさんにいただきました。

(アイスやコーヒー、おみやげまで買っていただいて、、ありがとうございました)
雨の中外で食べたのはこの旅行を企画した伝承郷の館長さんと公民館の館長さんと数人。
この上に展望台があります。
晴れてたらきっといい景色だったのでしょう。
あれがあたたらやま、、、、よりそう2つの石の上に光太郎の詩碑。
樹下(じゅか)の二人
あれが阿多多羅山(あたたらやま)
あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)
こうやって言葉すくなに坐っていると、
うっとりねむるような頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬の始めの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを、
下を見ているあの白い雲にかくすのは止しませう。
、、、、、、、、
あれが阿多多羅山 (いまは安達太良山と書きますが) 雨で見えない
あの光るのが阿武隈川 見えないけど、、、、、。
この旅行、朗読家の緑川明日香さんもごいっしょしていて、智恵子縁の場所で智恵子抄の詩を朗読してくれました。
樹下の二人は原稿を見ることなく叙情たっぷりに語ってくださいました。
バスの中でも、
あどけない話
智恵子は東京に空がないと言ふ、
ほんとの空が見たいと言ふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
や、
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンをまってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それから一時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
など、
素敵な語りにみんなうっとりでした。
智恵子は光太郎にこんなに愛されていたのですね。
満腹寺 千恵子の実家長沼家のお墓があります。
昔、弁慶がここでいっぱいごはんを食べたそうです。
みんなでお墓参りをしました。
予定の時間よりだいぶ早く帰ってきました。
先週東京のまごちゃんたちがひいていた喉風邪
もらいたくないな、と期待していたのですが、
ちゃんともらってました、風邪の菌。
潜伏期間の後、私の喉にやってきました。
痛い、、。

太極拳と笛の教室。今日はお休みしました。
今日は砂絵の下絵でも考えていましょう。