拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  閑話灸題 ~ 迎え灸

2014年02月25日 | 還暦録
  鍼灸学校を卒業したての頃、或いはまだ学生だったか?知り合いの知り合いに 『鍼灸をしてくれないか』・・・と頼まれ 臨床経験とバイトを兼ねて その方の   
  家を訪ねると 患者は 寝たきりのおばあさんであった。 頼んできたのは多分、その息子さん、と言ってもオッサンだったが。

  手足の指が内側に曲がって物を持つことも出来ないような状態で かなり以前から寝たきりのようであった。年の頃は 80歳過ぎ?
  品のあるおばあさんであった記憶がある。 多分?体が不自由だったことを人に知られなくない、見せたくなかったからだろうか? 医者から
  匙を投げられてから 何の治療も受けていなかったのだろう・・・ボクなんかの鍼灸新米のホヤホヤに頼むなんて?いま考えるとおかしい?と思う。

  とにかく、ボクはどうしていいか 解らず とにかく お灸をすることにした。 お灸は間違ってしても 良くなることはなくても 悪くなることはないからだ。
  お腹に何ヶ所か、そして背部に 何ヶ所か、 モグサを米粒大に左の親指と人差し指で揉んで 唾を付けて 選んだ灸点に付着させ 線香で着火させる。
  おばあさんは灸は初めてらしいので あまり熱くならないように モグサが燃えきる前に指で消し止める方法で 施灸をした。

  後日、息子のオッサンから 電話があって おばあさんが灸が気に入ったので また来て欲しい・・・との事。
  それで 週一回で 4回ぐらい行っただろうか?(今、記憶が定かではない)

  その4回目だったか? お灸が『気持ちイイ~』と 腹を施灸し、 背中に灸をしている時であったか? おばあさんは 息を引き取ってしまったのだ。
  息子はビックリして おばあさんの痩せた胸を押しては 人工呼吸を何分か 試みたが 効果なく、孫娘が号泣した。
  ボクは不思議に驚かなかった。おばあさんにとって長かった寝たきり生活にやっと終止符を打つことが出来たのだなぁ~・・と思ったから。
  ボクは灸が効いたのだと思った。ただ、心の中でうろ覚えの般若心経を唱えていた。
  新米の鍼灸師には 強烈な臨床経験となってしまったが。
                 

 閑話灸題

2014年02月23日 | 還暦録
  『灸』なだけに 前から温めていた話だけど。

  じつは昔、鍼灸学校に3年通っていた。 その時はじめて『灸』を体験した。
  実習で初めてお灸をしてもらった時 その熱さの半端じゃ無いことに ビックリと同時に 怖れを感じたものだ。

  ボクの行った学校のクラスには まさに老若男女がいて 病弱な人もいて、その人なんかは『灸』の良さをすでに知っているらしく
  実習時間の間、このメチャ熱い灸を 『もっとすえてくれと』せがむほどであったし、灸理論の先生なんかは 毎週授業が終わると
  生徒に実習室で お灸をしてもらっていたっけ。ボクも友人と一緒にせっせと 灸を据えたが 気持ち良さそうに受けている先生に首をかしげたものだ。

  その頃ボクは 30歳前頃で 病気知らずであったが、いろいろ病気について学び始め、問診、視診、触診など 互いに見たり触れたりして
  検診していると 自分がなんかの病状に該当しているのではないか・・・などと心配したものだが、それはいつも一時的なもので、
  灸が本当に良く効く・・・と実感したのは もうすこしいろいろ体験してからであった。

  灸の良さがわかれば なかなかこれから 離れられなくなるほいいもの であるが、これも『縁』が必要な世界かも しれない。
  日本でも 日本人皆が知っているものではないだろう。ましてや、西洋では・・・。
  皮膚に跡がのこらない『鍼』はともかく『灸』は・・・一般的に非常に 抵抗があるようだ。

  西洋で『灸』の事を考える時 いつもあるファンタジーをイメージしてしまう。
  (映画的のある拷問シーン風に)・・・ ベットに手足を固定され 上半身ハダカにされた男の背中に 白衣を着た女が なにやら米粒大の 柔らかい物質を
  自分の唾でその男の背に何ヶ所か 付着させているようだ そうちライタ-を着火する音が響いて 線香のこおばしい香りがしたかと思うと 真っ赤に熱せられた  
  針が背中を貫くような感覚に 男は悲鳴をあげた・・・それでも女は容赦なく その行為を20分ほど止めることはなかった・・・。
  来る日も来る日も その拷問は続き、体中に焼け跡がついたが、いつの日かそれは男にとって快感となっていた。
  そして男はそれまでの体調不良が 何故か なくなっている事に 少しずつ気が付くのであった・・・。  みたいな!

                

 君に『春夏秋冬』を

2013年12月05日 | 還暦録
  泉谷しげるの曲『春夏秋冬』をこのメンバー版 で聞いていると 季節が冬に向かう 覚悟とともに しゅんと、切なく なった。


               


  今の日本には 厳冬が必要なのかもしれない・・・  無残なほど甘やかされて 他人の苦しさを思いやる心が 干し上がる夏が 過ぎたのだろう。

  ここだという時に 何の表現もできない 芸術家たちよ  凍てつく大地の中で 寄り添い合って いたわりあって生きて行く 喜びをかみしめろ。

  冬には冬の楽しみが あるさ  春の兆しに  心を傾けて  耐える力を養えばいい 結局 どんな季節になろうとも 愛おしく思える俺がいれば。

  もしもし・〇〇クレジットカードです!

2013年10月30日 | 還暦録
  2度目にスイスに行った時 1986年頃? ヨーロッパは東洋ブームなのか、『Zen』や東洋医学が流行っていて
  ボクはその両方を『かじって参りました・・・」的存在で、すでにその方面で成功している大先輩も身近にいたりして
  そのまま素直にヨーロッパにとどまっていたら良かったところを・・・。
  あまりにも安易に『Zen』を売り物にして商売っぽい東洋人やその真贋の見分けもつかない西洋人が チヤホヤしている状況を
  目にして、ボクは我が身を振り返った時、そういった連中と五十歩百歩!である事を自覚し、再修行するために1987年日本に
  帰国することにした。

  ニューヨーク、スイスと2年間ぐらいぶらぶらしていたので、預金も底をつき、六畳一間の安アパートに住み
  しばらくはチラシ配りのバイトをしては、これからどのような形で修行をしたら良いのかしばらく模索していた。
  3,4ヶ月後スイスから相方がやって来て同棲することになり、雨だとチラシ配りのバイトが無いので別な仕事を二人で
  探していたら、どこかのビルに英語ができる人募集・・・の張り紙をみて即試験を受けたところ、何故か受かってしまい
  その週から『クレジットカード夜間オーソリティ』という、訳の分からない夜間19時~翌朝6時ぐらい?で夜22時以降は
  時給1500円(英語が出来る為)という 凄っごく いいバイト料金・・・これも今思えばまさにバブルのあぶく銭であったか。

  第一、クレジットカードって何か?まったく知らないし、今だから言えるが、ボクの仕事が何だったのか?いまだに良く解らない。
  空港なんかで外人さんがクレジットカードのことで電話質問があった時、その電話対応ということであったが、幸運にもほとんどかかって来なかった。
  あまりにも電話がかかってこないので、他の連中と同じように、夜、客が使ったクレジットカードが有効かどうか機械で調べ
  有効であれば問い合わせてきた店の人にオーソリティ番号を伝え、使えなければ『不可』を伝える仕事をすることになった。

  それがOK であれば問題ないが 『不可』の場合、大概客は酔っ払っているし、プライドを傷つけられたと思うのか、電話で怒鳴りこんだり
  『お前、今からそっちへ行くからな、このヤロー・・・」なんてのがしょっちゅうあったものだ。
  その他、クレジットカードの紛失届けの受付などもあって 様々の人と電話対応した。 
  このバイトでつくづく 学んだことは 声を含めた話し方というものは その人の人柄が ハッキリとでるものである・・・ということであった。

  このバイトは 1991年に再びスイスに行くまで続け、禅の修行は鍼灸学生時に居士林坐禅会に参加していた円覚寺で 今度は正式に
  足立老師の弟子になって 毎月一週間ある接心に参加する形で修行することになった。

             
               この写真は 写真学校の助手をしていた時 学院祭の写真科の生徒を撮ったもの ボクの古き良き時代かな。

  
  
  

還暦の旅

2013年09月20日 | 還暦録
 台風18号と共に日本に上陸、北海道は北見に帰郷して今日は5日目。

 自分では てっきり6,7年だと思っていたのが、実は10年帰郷していなかったことがわかった。

 高卒後、出郷してから住むために戻ることがなかった故郷は 概略大きな変化は感じられないが

 細かな変化はいたるところにあって 自分が少年の頃 毎日のように歩いたであろう道路なども

 どう努力しても昔の面影を思い出すことすら 不可能なほど変わっていた。


 2日目、ボクの知っている唯一の親戚の叔母さん83歳(父の妹)を訪ねた 半日の訪問は 姉が運転する車中での

 会話から すでに我々散りじりばらばら家族の記憶の断片を 拾い集める(暦を振り還る)旅であった。

 最近ボクは 鏡に映る自分が ボクのかすかな記憶に映る 父方の祖父に似ているのではないか・・・と

 ずーっと思っていたのであるが 今回、叔母のアルバムで はっきりそれが 証明された・・・気がする。


父方の祖父:どういう状況の写真なのか、何歳の時だったのかわからないけど? 

 これまで 自分の家族を含めた過去など そう興味がなかっのが、やはりアラ還になった為だろうか

 還暦する心が 自然に起こるようだ。

 

 湖上人(こじょうびと)の夢

2013年05月12日 | 還暦録
  今日は ボクの誕生日。 

  「天上天下唯我独尊」を堂々と いける一日・・・という勝手な 解釈が許される(少なくても相方に対してだけだけど)はず。

  ブログにもそれが適応されるとしたならば こういう願いが 実現することを 希望してもいいだろう。

  1- 放射能汚染対策の徹底(子供の避難、安全な食料の供給、福島県民への根本的援助)
  2- 全原発廃炉と 事故を起こした原発の収束にむけて国が全力で取り組む。
  3- 7月の参議院選挙で TPP撤廃 脱原発 改憲反対派 が勝って そのように実行すること。

  などなど 足りない頭で、思いつくままに 書きだしたが 結局 この7月の 参議院選挙の結果に全てがかかっている、ということになる。

  つまり、反自民、公明、維新・・・を表明したうえで No.3を公約に掲げている政党に 各人の一票を 投じる・・・ということに尽きる。

  政治に全く関心を持っていなかった ボクのようなものでも そんな夢の実現を 願った 笑止千万的 61回目の 誕生日だった。

      

                挑むのか 逃げてゆくのか 湖上人 櫂を漕ぐ手に すべて託して : 一撮

 アラ還だからインライン

2013年04月16日 | 還暦録
  ムー・・・もう何年も前から一度やってみたかった “ インライン・スケート ” をついにやる決意をした。

  長いこと 相方ニコの反対にあって抑圧されていた ボクの欲求は よりによって 先週ニコが 転んで膝の骨にヒビが
  入った先週 頂点に達してしまい インラインスケートを「買う宣言」をして 松葉杖のニコを驚愕させたのだった。

  それ以前に若い友人に その欲求について話した時 「ん・・・やっぱり60過ぎたら やめといた方がいいと思いますよ~」
  てなこと言われて ムラムラっと反抗心が 起きたのが決意の 動機になったかもしれない。

  なんせ中学時代 道東はオホーツクの寒風 吹き抜ける中 黒のタイツを身にまとい 秒を争うスピードスケーターとして
  ボクの右に出る者は いなかったのだから・・・・。(アイスリンクのコーナーは左だから そこからどんどん抜かれたのだ)  
  市内中学スケート大会で 1500メートル で3位になったのが 我が中学三年間で 名誉ある最高記録であった。
  (いま思い出したが 圧倒的に強かった他校のスケーターに 誰も予測もしなかったボクが 僅差に迫った勇姿を見た 女子同級生(ちょっと
   イカしていた)が ボクに交際を申し込んできてビビってしまった・・・という思い出がある。)

  そういった 余韻(45年くらい?前の)に押されて ボクはインラインをやってみたかったのだろうか?
  
  ローザンヌ市内のスポーツ店に昨日 下見して 相方の持っているカードを使うと 10%引きのセール中であることがわかり
  今朝 松葉杖のニコを 伴って買いに出かけた。
  
         

              レマン湖畔を インライン初試乗 の雄姿・・・の予定だったが 足が想定外に くたびれて 現実の厳しさを
                     身に沁みているのに 負け惜しみ的に 元気一杯にみせている図 
   

 掌(てのひら)の還暦

2013年02月18日 | 還暦録
  去年の5月 何気なく玉手箱を開けたら 「還暦」とういう勲章が 入っていた。
  そんなもの 別に欲しくもないよ・・・と どこかにうっちゃっていたが 60年生きて 天から与えられた唯一の勲章
  いまもう一度手にとって じっくり眺めてみる事にする。

  まぁ、いろんな解釈があるだろうけれど ボクはこう解釈することにした「還暦」

  これまでの60年間 先のことばっかり見ていて 全く自分の過去のことを 省みたことがほとんどなかったのが、
  この「還暦」で 自分の過ごしてきた出来事を 顧みて生きてゆくように・・・という天の配剤であると。



そこでまず考えたのは 「何故オレはここにいるのか?」・・・つまり 外国に来た理由?みたいなもの。どこから来たのか?

  自分の幼少時代 あまりにも自分の人生が 他人の事情に委ねられていることに 大いなる反発を感じたからではないだろうか。

  孫悟空みたいに 反発をして 誰も来れない遠くまで 飛んだつもりが 結局 仏様の掌から 一歩もでてない事を悟らされたが。

  

  

 アリス時間

2012年04月24日 | 還暦録

                  あなたの話は、 誰にも信じてもらえないかもしれない。
 
                  でも、あなたの行いは、  誰もが信じることでしょう。      ルイス・キャロル

                   



                







 紐解く人々

2012年04月21日 | 還暦録
 めちゃくちゃ悪天候の一日、  岩上さんの IWJの一般会員用・動画を まとめて3本観た。

 うち安富歩・東大教授と岩上安身氏の 長(超)時間インタビュー 2本は 圧巻であり とてもクリエイティブ感が
 あって 低迷していた凡脳が かなり刺激された。

 こういうものが 観られる・・・時代が来たんだなぁ~なんて 改めて、というか ボクの場合 しょっちゅう 感心。

 安富教授によると 地球史的にも 社会史的にも ある種の“暴走現象”=カタストロフィーが 予期の有無にかかわらず
 起こる云々・・・のところを聴きながら 同時に彼等という人間性を持つ人達の話を聴きながら 
 「もしかして 今回の日本のカタストロフィーは 日本にとって 世界にとって 秘めた可能性への跳躍になるのでは?」
 ・・・などという 思いが頭をよぎったりした。
  すでに 被曝の兆候を見せる岩上さんを始め 彼等優れた人々が 放射能汚染に 倒れないことが前提であるが。

 岩上という人の活動を 観察するにつけ じわじわと原発マフィアどもの 正体を暴き その姿を可視出来るところまで
 迫力を持って迫り、他の多くの人々を感化し 時代の新たなうねりを形成する原動力になっていることを感じさせる。

 もう一本は ウォルフレン教授インタビュー「日本を追い込む5っの罠」・・・TTPが日本にとっていかに危険かを
 力説していた。 このインタビューは 少し失敗したところも見受ける。
 まず、神経質な教授には このライティングがかなり気になっていたようだ。 たしかに横からの強いライトは
 不自然だし 当てられた人は不快感を 隠していなかった。
 もう一つは 通訳の点で 教授はどのくらい日本語を理解するのかわからないが、通訳者の力量に対して
 かなり 懐疑的であった。 
 この2点のせいか 教授は早く切り上げたい様子が見え見えなのが残念な気がした。それにしても
 通訳の仕事は 大切であり かつ いかに大変な仕事であるか痛感させられた。

               
                 写真は一昨日撮ったもの。 D-Train より(映画・薔薇の名前を彷彿させる男は 優雅なペン文字を紐解いていた。)
 

 

 
 

 必撮無眼流 - デジ色情景

2012年04月16日 | 還暦録
  デジカメを買うまでは 写真は 絶対モノクロ テーマは 絶対人間 ・・・であったのに・・・。

  デジカメになってから 何故か カラーで 風景もあり ・・・と変わったのか? 自己検証してみたい。

  まず考えられることは 自分の怠惰な性格である。 デジカメは基本的にカラーなのだ。無理やりモノクロモードに
  しなければ 自然とカラーになってしまう。しかも、現実以上に 色がキ・レ・イなのだ。というか 半端が嫌いな
  性格であるから 自然少し濃いめ好みで (ボクのモノクロ写真も コントラストがかなりキツイのが特徴だ)
  色が来てしまうのだ。
  そういえば猫の写真 「花猫風月」で写真展をした時 色のキツさに 仰天していた人が「鮮やかですね~ッ」と
  言ってくれたが、本当は「どぎつい色でんナ~ッ!」と 顔に書いてあったっけ。

  色がつくと 風景に行くのも 当然なのだろうか? 秋山庄太郎さんなんか 花を沢山撮っていたけど カラー
  だったよね。 モノクロだけで 花や風景を撮っていた写真家の方が むしろ少ないか。

  銀塩モノクロ時代 人姿、人の表情を撮ることで 自分の心情を表現したかったのだろう。
  デジカメになり 風景というより 色情景で 自分の心情が撮れることに 気づいたのだろうか。 

  ボクの写真は ボクの気持ちが ハッキリ出ていないと 承知出来ない質だけど。

  だから、人物の写真の時は モノクロでも カラーでも どっちでも いいような気がするが
  
  情景ばかりは 色が無ければ ならない!・・・という気がする。
  (ボクの言いたいことが わかる人がいるだろうか?)
                           

  

  
  
  

 2012年-宇宙の旅

2012年04月05日 | 還暦録
 たまたま こんなどこかで聞いたことのあるタイトルになってしまったが、 考えてみるとキューブリックの映画 
 「2001年・宇宙の旅」というのはある意味 怖ろしいほど 未来を読み取っているようでもあり 逆に的外れで
  人間はもっともっと 泥臭いところで ズッコケてしまう生き物・・・という視点の欠如があったかもしれない
  などと 2001年から10年もオーバーしているのに・・・と凡夫の頭でふと考えてしまった。

 「2011年・利権の旅」・・・なんていう。

 ところで 写真は 例のマリーアニエスの「箱」の世界で ちょっと遊ばせてもらったもの。

 内上蓋の文字は 仏語で 「我らは宇宙の旅に 憧れるが 我々自体が 宇宙なのでは?」・・・みたいな事が
 記入されている。(ボク自身が意訳したので、ぜんぜん違うかも)でももしそんな所であれば 結構深いお言葉。

 誰がどう見ても 今の日本は危機的な状態であると ボクは認識している。
 普段から貧乏なので 昔から「健康第一」的な気持ちで・・・でもないか、健康な時は健康であることの有り難さ
 など すっかり忘れて傲慢な位だが、 一旦健康を害すると その大切な事が身にしみて感じられるという身勝手。

 その大切な健康が 害される可能性が特大である 放射能汚染との闘いに 日本人はどう向き合うのか?

 それを問われている「2012年」
                

 絆 - きずな

2012年04月03日 | 還暦録
 3・11以来 「絆」という言葉がクローズアップされている。

 これまで自分とは まったく縁のない言葉であると思い込んでいた「絆」・・・。
 これが考えようによっては そうではないのでは・・・と思うようになってきている。

 肉親との絆が 生まれながら弱かったことによる 他者との絆の中で 
 いつしか 自分自身の絆を探る旅に出ていて 行き着いたところが 禅の修行であった・・・みたいな。

 実生活でも 海外に住んでいると 不自然なほど 自分が「日本人」であることを意識してしまう。
 そんなこと 日本にいる時は 意識したことが無いのに ヨーロッパに来た最初の頃はガチガチに
 その事を意識したものだ。
 ボクはなろうと思えばスイス人になれるようだが、そのためには日本の国籍を放棄しなければならない
 ので スイス人の国籍を取ろうとは思わない・・・というより日本人で無くなるなどということは
 考えられない・・・それほどボクにとって日本は重要であるわけで、 これが「絆」でなくてなんであろう。

 そんな風に考えると 今回日本で使われている「絆」という言葉は 
 分かち難い故郷や人間関係を持つ人にとって 故郷との絆、人との絆をズタズタに切られてしまった「絆」の年
 だったのではないだろうか。
 そんな困難な中 人は新たな「絆」を探る。
                      

 こんにちは日本! 

2012年03月08日 | 還暦録
  今日の写真は 4,5年前にまとめた ボクの作品 「こんにちは日本!」の一枚。

  写真を始めた21歳頃から撮りっぱなしで 何にもまとめてなかった写真を 三十数年後になって 
  何故か 甘酸っぱい気持ちで 選んだ作品群は 様々な思いを込めて 「こんにちは日本!」と題した。

  明日から始まる 二人展には この作品群を展示するが この題名は 去年の3・11で 重いものになった。
  それまでは 単なる僕個人的な “古きよき日本” であったのに・・・。

  単なる古きよき日本・・・と気軽に 再び思える日というのは 何時くるんだろうか?

  この二人展としての タイトルは 「拈華微笑」になっている。

   釈迦が提示した華に 弟子は微笑で応えた・・・ 今は 華を提示する人もなく 微笑みも失われているが
   必ずや その日が来ると 信じている。

              

               おじいさんと孫娘の ネンネ・スマイル = 拈華微笑 (一撮 オヤジギャグより)

 マトリックスの夕陽

2012年03月02日 | 還暦録



                        夕陽とは 明日という名の 希望かな :一撮

               

    この一週間で マトリックス三部作を 字幕付きで 見終える。
    この映画の最後 あれは朝陽なのだろうか ちょっとへんてこな 朝陽を 浴びて 一件落着・・・であった。
    それにしても やはりこの映画は深い・・・と改めて思った。 ボクが大学生であるなら この映画の主題について 研究を したい と 思っただろう。
    そのために 禅修行はやはり 欠かせなかっただろうが。

    ロボットが完全支配している マトリックスに 人間を救う ロボットが存在するなんて・・・ (人間との共存を目指すロボットの存在)

    完全無敵の存在になった スミス(元エージェント)が それ故に 自滅するなんて・・・ (人間が秘めた別次元の力の存在を知らずにいた)

    最近 ツイッターの世界にも 宇宙人の活動について 云々している人も 出てきている。
    知らないもの 怖さ・・・というのもあるが 昨日の続きで 言えば 俺はナニジンだ・・・的 感覚でいえば 「俺も宇宙人だ!」とも云える。
    彼らが 描いたと思われる 幾何学的 「模様」・・・ それが本当に彼等のものであれば メッセージとしては 可愛いね! そういう存在なのかも。
  
    そんなこんなで 生き方について(行き方について) 何か学ぶところが あるのでは・・・などと思う。
    様々な見方から 現在 世界に  そして日本に 起こっている ことを 意味付ける ことも 可能なのかもしれない。

    しかし、大事な事は 自分自身を見失う 事のないよう  正しいと信じる道を 一歩一歩 踏みしめて 行くことだろうか。

    それは つまり 日本においては 即脱原発であり 子供を安全な場所に 避難させる・・・この一点につきる。