拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『ダルマ』考 〜 丹田呼吸

2024年10月21日 | 東洋自分なり研究所

  Youtube動画だったか?、何だったか忘れたが・・・『ダルマ』さんについて話しているのを聞いた…

 

  『ダルマは、9年間面壁・坐禅してずーっと坐っていたから、手足が無くなってしまったんだよ、だからダルマさんには手と足が無い。』

  ・・・その程度の認識、『ダルマ』認識が一般的であるならば、普段私が『道の文化』と、何かと日本の伝統文化を持ち上げている身としては

  何だかなぁ…と思うわけで。

 

  ここスイス・フランス語圏にある何軒かの日本ショップでも、大小様々なダルマさん、眼の入っているもの、無いものが販売され、置物として

  案外人気があるのか、通信販売しているスイス人もいるようだ。

  

  この『ダルマ』さんが、禅を始めた開祖であることを知っている人は、一体どれくらいいるだろうか?

  というか、彼が日本の『道の文化』の礎(いしずえ)を築いた人であることを知っている人は?・・・

 

  何にも知らないで、『自分は無宗教です』って言っている者たちが、『目出度い・・・』と、ダルマに眼を描き入れている現状って

  『無宗教です』って言いながら『無の宗教』に取り込まれている日本人はなんて『目出度い』んだか。

 

  というか、今日はそういう話がしたいのではなく、禅とか坐禅とかいうとき、一般的に人は精神の変化を問題にして

  本来『身心一如』の『身』について、全くといっていいほど問題にしないが、人を『安楽』、すなわち『仕合わせ』にする禅が

  坐禅をすることで、体の健康に貢献しないわけがなく、それは主に『丹田呼吸』することで、実現されるのだと思う。

 

  私は禅修行中級の頃、医師の村木弘昌著の『丹田呼吸法』という本を何度も読み返し読んで、大切にしていた本であるのに紛失してしまったが

  医学的見地から、丹田呼吸がいかに健康維持に貢献しているか、この呼吸法によりいかに脳へ新鮮な血液を送り込んでいるか…など力説しているのを

  読んで、当時私は東洋医学を勉強していた時期でもあったので、この先生の説を素直に取り入れ、自分の坐禅修行に応用した。

  私はある日、坐禅中に警策で肩を叩かれたが、その時、『肩の力を抜く事』と『丹田』の関係に目覚め、肩の力を抜く事の大切さを思い知ることが出来た。

 

  そもそも、坐禅の際に手を『法界定印』に組むが、このたいそうな名称『法界定印』が『丹田呼吸』の重要さを暗に仄めかしている

  佛の智慧とも言えそうだ。

 

            

             足は『結跏趺坐』、手は『法界定印』に組んでいた為に、

            『ダルマ』さんは手足が無くなり、佛性に目覚めた・・・!