昨日、6月11日 義父は娘である相方の腕の中で、静かに息を引き取った・・・。
直後に私は、テラスに通じる大きなガラス戸を少し引き開けると、昼の12時を告げる村の教会の鐘が遠くから聞こえてきた。
私には、育ての親と生みの親それぞれ4人の親がいたわけだが、その誰一人として『親の死に目』を眼にした事がなく
これまでずーっと、『親不孝』のレッテルを自分に貼り付けてきたが、最期の最期・・・私と相方とで『父の死に目』に立ち会う事ができた。
2週間ほど前、義父は室内で転倒してから様態が変わり、食事もだんだん摂らなくなり、93歳の寿命も尽きる予感はあった…。
だから相方はしばしばホームに父の様子を観に行っていたわけだが、昨日は私も同行し、一時間ばかりの間に文字通り『息を引き取った』のだ。
今思うと『義父』は私にとって、私とは真反対、ある意味『西洋』の典型のような人だったように思う。
彼が50歳のとき、突然自分で幕を下ろした著名な『オペラ歌手』という経歴・・・からしても、娘婿、義父という間柄で垣間見た日常の
彼の人柄は喜怒哀楽を隠せない『我思う、ゆえに我あり・・・』を生きて来た、西欧の中の『西欧』のような人であったように思う。
彼と会う時がいつも、私のバカンス中であったり、クリスマスや誕生日・・・ということもあったせいか、彼との思い出は『Formidable』という
彼の口癖と共にあった気がする。
私は、『Formidable(素晴らしいね)』・・・というフランス語を彼から学んだ。
義父は、それまでの私の『親不孝ぶり』をどれだけ知っていたか?どうか知らないが、自分の『親の死に目』に立ち会わせることで
最期の『Formidable!』を身を以て東洋人の娘婿に示してくれたのだ。
同日の夜、私達のアパートのテラスから見事な虹が観えて、私は『Formidable!』と義父に応えた。
お義父様のご逝去 お悔やみ申し上げます。
天寿を全うされ、愛するお嬢様の腕の中で、天に召され、お幸せな最期だと思います。
お義父様のご冥福とお二人のこれからのお幸せを、心からお祈りしています。お疲れが出ませんように、ご自愛下さいませ。 なおとも