拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 ガンジーと糸車

2013年08月10日 | 観自在

  3・11以降の一連の出来事から 現日本そして世界の動向を ボクのわずかな知識から 思いを馳せた時

  あの有名な 「ガンジーの糸車」の写真が ふっとボクの頭に 浮かんできた。 

        


  1982年 リチャード・アッテンボロー制作の映画 「ガンジー」を見て その偉大さに圧倒されて 自伝やら彼に関する本を読んだものだが

  その時本で見た 「ガンジーと糸車」の姿が 現問題の回答の象徴として 蘇って来たのだと思う。

  アルビン・トフラーの著書「第三の波」1980年出版 を読んだ時 その結果がどうなるのかは わからないなりに なんだかとてつもなく
  大きな時代の変化の波のど真ん中に 我々は生きているのだ・・・と どこかワクワクしたものだが 
 
  それが皮肉にも 実際の大津波となって わが日本を襲ってきた今、 その結果というものが どういう性質のものか 盆暗のボクにも見えてきたのだ。

  「ガンジー 非暴力の兵士」Calvin Kytle著 岳真也訳 より抜粋します。

  (1925年ガンジー56歳):彼は積極的に奉仕計画をこなすために、一年を費やして村々をまわつて歩いた。どこの村に泊まっても、数千人もの人々が
   彼の話を聞きにつめかけてきた。それらの人々に、彼は非暴力の思想、不可触賤民制度の撤廃、手織りの見直しを説いて聞かせた。
   その演説には切迫感があふれていた。
   「インドは、今や、瀕死の状態にあります。インドを救いたいとお思いでしたら、わたくしがお願いするほんの小さなことに、

   手を貸していただきたいのです。すぐにも糸車に手をかけて下さい。そうしなければ、破滅が待っているだけです。」


   このときまでに、ガンジーは糸車を自救行為による自由の象徴としていた。というのも、これはまさにイギリス製品に対する、形を変えた
   不買運動だったからである。とはいえ、機械文明の価値観に慣らされていた彼等には、糸車があまりにもみじめな非能率的なものに思われ
   ガンジーの主張は経済性を無視しており、人々を誤って導いていると非難した。ガンジーはそれに反駁して、特権階級の人達に農民生活の実態を
   辛抱強く説明した。・・・(抜粋終わり)

   ボクなりの理解では、第三の波 コンピュータの発達で人手があまるようになる。 

   大資本家は機械化により 人件費を大きく削減して 莫大な利益をあげ、一方 多くの労働者達は職を失い 失業者となる。 
   著しく貧富の差が大きくなった時 強大な権力を持つた資本家は 人の心を 金に飲まれて 失ってしまう。 

   つまり働かない貧乏人が 邪魔になってくる。

   羊の様に おとなしく低賃金で従っていれば いいが 抵抗を示すと 容赦なく 抹殺することも ためらわなくなっている。

   ボクも最初は 映画の筋書きで よくある話・・・と思っていたのが 

   3・11で 一気に それがわが国 日本で そして 世界中で現実化していることを 知らされたわけである。

   ガンジーは 20世紀初頭に すでにこうなる事を 直感していたのだと思う。

   金や権力は 人を狂わす・・・その性(さが)を十分考慮して 社会を運営していかなければ 金や権力よりも 人間の尊厳を重んじる社会を。

   ガンジーの糸車は その象徴であったのだ。


   
  



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