拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  佛語は『空』調浄化装置

2024年10月13日 | 東洋自分なり研究所

  親父ギャグを基調に立ち上げた『東洋自分なり研究所』・・・『瓢箪から駒』というか『冗談から真(まこと)』出てきてしまった感があり

  今日はそれが極まった感じがする。

  もともと、この研究所設立には 『 私がネット界上に『東洋自分なり研究所』を設立した最大の理由は、たぶん『難解な仏教の簡易化(現代化)・・・』

  という考えがあったようだ・・・2023年9月20日のブログ記事〜『悟り』装置としての彼岸

  そうそう、すっかり忘れていたが、そういう狙いがこの『東洋自分なり研究所』にはあったのであった。

  そう考えると、『色即是空空即是色』のような一見非常に難解に見える『空思想』というものも

  『色界』に生きる人間はエントロピー法則如く、汚染されていくわけで。 (かっこよく『エントロピー』を使ってみたがよく解ってない…)

  どうしたって『空』調浄化装置・・・みたいなものが、人にはあるじゃろう…と、まぁ、釈尊は思ったわけだ。

  その岩をも突き刺す信念をもって、坐禅した結果、 ああ〜っ『色即是空空即是色』ってなった。・・・と私は思う。

  というのは、私がフランス語を話す国、つまり仏語国にまで来て、自分が『バベルの塔』状態になって初めて『佛語』の有り難さに目覚めた理由に

  大拙が説いた『即非の論理』が『漢字方程式』によって、解読することが出来た、経緯があるのである。

  例えば、芭蕉の『俳句』・・・彼が命懸けでめざした俳句は、当初考えられていた『滑稽な、おどけた、おもろい』・・・句ではなかった。

  『俳句』の『俳』には『おどけ』の意味があって最初は(そして今では)面白、可笑しい・・・俳句であったが

  芭蕉は『禅』をとおして『俳』の字を悟学し、『俳』のもう一つの語彙『一風かわったふるまい』を=『空』じて観ることを得たのだ。

  芭蕉の俳句は『色』界を一度『非』し『空』調することで、『色即是空空即是色』の風景を詠んだのではなかったか・・・。

  『AはAではない、ゆえにAである』・・・という大拙の『即非』は難解のようだが、色界の汚染を浄化する『空調』と考えれば、すっごい便利だべや。

           

            写真は2012年、ローザンヌに住んでいた時のもので、それなりに空調していた図



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