扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

お前、今までも今もこれからも本当は幸せって知ってるでしょ。

2017年07月11日 12時31分07秒 | 気づき
第二章の書き始めには、いささか仰々しいですがお付き合いお願いします。







と、ハードルを上げていますが、やはり書くことは同じだと思います。

お伝えすることが理解できないときは何なりとコメントをください、それが私にとっての学びにもなります。






さて、本題に入ります。



私はこのblogを書き続けていますが、何周期で書かなくなります。

理由は、色々ありますが大きく占めているのが内世とのつながりを意識することなくつながった状態で外世の生活を送れるか?もしくは内世なして生活できるのでは?の体験及び学びと今までの内世の繋がりを活用してどこまで生活できるかを見てみたい好奇心が始まりで、周期で試したくなるわけです。



今回の切っ掛けは本業が忙しくなり休みが取れない状態が続き余裕がなくなったことが始まりです。


初めのころは繋がっている=詰まっていない訳なので生活に支障はなかったのですが、休みが取れない状態が続くにつれて心身共に状態が変わってきたのです。

身体は疲れにより、至る所が痛くなり毒素を抱えているところは腫れたりと大変で精神も自我が大きく膨れ上がり暴走を始めようとしていました。




身体に関しては時間を見つけ病院に行き落ち着いを取り戻してホッとしているのですが、自我暴走はやっぱり厄介でした。


今の状態を他人に伝えることなく、言わない選択をし言わない決定を自分でしながら、



私がつらい目にあっているのに、なぜ気づかない?


周りは何もしてくれない。


と愚痴を言って余計に囚われていきました。



唯一の救いは内世の繋がりがあったため自我の暴走をすくなからす抑えることができたことですが、これもパイプのつまりが多くなれば薄れてしまう。


そのことも理解していました。



丁度、休みなしで3カ月(実際は1度だけ休みがあり)が経ったころに「大いなる存在」が助けてくれ、気づかせてくれました。



「そろそろ、言いなさい」



そこで、決定を変えたのです。



勿論、囚われていることには変わりなく、状態の変化はあったにせよ、実際の生活環境が劇的に変わったわけではなく、明日になれば自我が暴走知るかもしてないのです。



本業は私にとって楽しく面白い仕事ではある。

ただ、思い出したことがあるのです。



「私たち人間は自由であるが故、やらされることを嫌う」


「私たち人間は自由であるが故、自分からやることを好む」



今の私の状態は前者であり、会社の枠組みから逃れることができず、やらされている状態-------------------------------これは、会社に勤めている全ての人に共通すると思う。



好きでも嫌で、見返りを求め、契約を交わす。

外世では当たり前の事である。


では、後者はというと、これは経営者や自営業・自分でクリエイトする人たちである。



両者に休みがない状態でも、自分の外世でのポジションで解釈が変わってくるのです。

このすべてをゆるぎない真実であり、自分を変えることでしか環境を変えることができない。


これば私の今の状態である。



ここから、どのように変化していくのか?変化させていくのか?私には分からないが変化の分岐点はしっかり把握したので今後が楽しみではある。


私は、あえて今の環境から離れることはないだろう。

これが私の決定である。


今の状態で自分の変化は周りにどのような影響を与えるのか?


自分にどのような影響を与えるのか?


外世の幸せは今の状態で感じることができるか?



を確かめてみたいわけです。







「長ったらしく、今までのことを書き、私こんなことがあったのです。

全然、幸せじゃないのです、って書いているくせに・・・お前、今までも今もこれからも本当は幸せって知ってるでしょ。」


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