扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

ただいま2回目・・・・・・

2009年05月26日 16時03分22秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ニューアースを2回目読んでいます。

1回目では、「こんなこと書いてあった?」

っというところが沢山出てきて、「私って本を読むのが苦手なのかな」

って思うわけです。

しかし、よく考えてみると……

読ませなかったのか?

エゴが……(これを読むと私が私では無くなるみたいな)

ほかの事に気を紛らわせなければという感じで、周りの雑音や喋り声、人の目などを気にさせる。

今このブログを書いている中でも「今ある」ことなんてナンセンス!!

ってな具合に思考が頭の中をぐるぐる……

ただ、一回読み終り2回は感じながら読もうと思って読み始めてみると、

エゴがあまり邪魔しなく、仕事で忙しくても(この本は読むべき)と、つき動かされるぐらいになってきた。

もし、皆さんの中でこの本に興味が湧き初めて読む時は、活字を読むのではなく、感じることをお勧めします。

私も、今日のOFFを使って一気に感じていこうと思います。

そして、3回目に突入します。



さて、長い前置きから本題に。

今日は、昔のことを書こうと思います。

あれは、5年ぐらい前。私が「気づき」の世界なんて知らず、「私のドラマ」に酔いしれていた時のこと

どうしても、イライラ続きで、

・・・不満・・・

・・・比較・・・

・・・敵、味方・・・

などなど・・・

それでも、私の何かが

今思うと「早く、覚めなさい。」

って言っているかのように、「御仏の心」と繰り返させた。

何にも、考えていなく勝手に頭の中に浮かんだ言葉

唱えることによって、心が落ち着くのがよく分かるのを今でも記憶している。

いろんな本やブログなどで書いてあるように「全て一つ」

エゴに気づき神や仏と共有することにより、自分も神や仏と同じってことにより気づく。

…でも…


これも、もしかしたらエゴの策略かもしれない。(気づかせているフリ)


ある人が言った。

「御仏の心=気づき」

皆様に、常に「今いる」ことを……


無意識の中の意識

2009年05月22日 09時47分05秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今日は、私が仕事ので皆に教えてきたことを振り返りもしかしたら、ここに繋がっていたんだと思えることを書きたいと思います。


私は、仕事でサービスを教えるときに、「無意識の中の意識」を大切にして、忙しくなって、全ての仕事が「無意識」に行われていることの中でも、常に「意識」を持ちサービスをする。


言うなれば、どんなに周り・自分が忙しくても、心のどこかに冷静で平穏な意識を持つこと。

このことを、この世サイズに拡大すると・・・・・・

「無意識=自我」

「無意識の中の意識=真我」

になるのでは・・・・・・

自我が、出しゃばり喚き散らして、無意識の内に繰り広げられていても、真我である、「無意識の中の意識」さえ、しっかり気付いていれば、常に、振り回されるのではなく、少し離れた所で自我を観察することができて、「今ある」ことを最大の感じることが出来ることでしょう。

ある人が、言った・・・

「な~~んだ!とても、シンプル!」

皆様に、常に「今いる」ことを……



自分の中の宇宙

2009年05月18日 22時42分46秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++


今日は、私が感じたお話を書きたいと思います。

自分の中の宇宙を感じたことは有りますか?


「何いってるの?」


って思っている人も大勢いると思うけど、色々な言葉を使うと


「一面に広がる大自然」

「一面に広がる空間」

「一面に広がる宇宙」

「気づき」の方達は、このような感覚を得るらしい。


このような感覚を、若干ながら感じることが出来た。

大それた物ではないが、「一面に広がる海」ってとこかな。


それは・・・・・・


あるとき、トイレで「ふと」正面に目をやり、意識を内側に向け思考を一つずつ「これは、私?」と投げかけてみた。

エゴイスティックなもの達が、徐々に消えて残ったのは、「今ある」という感覚。

トイレの中ってのが、「・・・・・・」だったけど、とても心地よい感覚になった。

日々の生活に、時々取り入れると「このままでOK」って思えてくる。


皆様に、常に「今いる」ことを……


母の日

2009年05月11日 01時02分09秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今日は、母の日と言っては見たもののもう時間が過ぎて昨日のことになってしまったが、母の日や母親の誕生日など母親に関係しているものが訪れると、決まって思い出すことが私の母親。

私が、25歳の時に他界してかれこれ8年。

長いような短いような……

今でも、鮮明に覚えている通夜と葬式・・・

両方ともすごい数の人が見えて会場内に収まらなかった記憶がある。

私は、その時に生きている時より死んだ時の方が、その人のありのままが分かるのだと。人の人徳がよく分かる時ではないかってね。

いろんなことに、一生懸命な母は、自分の勤めている会社のことやその従業員に相談にのっていたり・・・(そのために少し体を壊しかけた時も)

後は・・・父の会社にも挨拶にちょくちょく行ったりと近くにいたのにまったく気が付かなかった。


良い悪いを判断するのではなく、その行動力や相手を想う心。


もしかしたら、母は「気づき」を体感していかもしれない。

自分の死ですら、薄々感じ取っていたらしいし。

その頃の私はイライラしたり……と今の言葉を借りると「エゴ」と同一化し続けていた。
とても、情けなく馬鹿らしいですよ。



現実は、母はこの世にはいない。あの時「こうすれば」とか「ああすれば」とか「もっと話していれば」など、8年経ってもこの「エゴ」は消えない。でも、受け入れて「今いる」ことに意識を向けることが少なくとも出来るから、母の思いやりや愛情を今になって感じることが出来る。


私は、母のようには、なれない。


でも、遺伝的な「業」を私も持っていると想う。だから、このようなblogを書いてしますのであろう。


「今いる」と言う、大いなる存在により気づき、この世での役割を見定めたいものです。

皆様に、常に「今いる」ことを……


p.s これを見た方々少しでもよいので両親に「ありがとう」と言ってあげて。
    感謝の言葉を言えるのは「今」でしかないのです。




これも、瞑想の一つかも・・・

2009年05月08日 01時17分33秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今日は、瞑想について書こうと思います。

皆さんは、瞑想と言ったら、座禅をして後ろに住職らしき人が長い棒を持って体が動こうモノなら「べしぃ!!」って肩をたたかれるのを想像すると思いますが、別のやり方でも瞑想は出来ると思う。

「気づき」をより実感するための一つのツールが瞑想であるわけだが、人それぞれやり方があり、十人十色で「やり方」を習うのではなく、「あり方」を感じるようにするべきではないでしょうか?


さてさて、私が感じれたのは、今日の出勤途中のことで・・・・・・

いつも、駐車場から10分ぐらいの時間をかけて職場に徒歩での移動。

いつもは、何にも考えず歩いているけど今日はあいにくの雨です。
傘をさして、歩いている

案の定、何で雨なんか降ってるのだろうあぁ~いやだなぁ~なんて思ってしまった訳ですよ。(これ!まさにエゴ)

おっと!!エゴが出てきたと思いながら歩いて、少し考え方を変えてみようとおもい。

心の中で(少し声に出たかも・・・)「今歩いている」

「右足」

「左足」

「いち・に、いち・に」

地にしっかり足を着いてっと。」

そして、その瞬間とてもいい気分になり、安堵感に包まれて雨のことなんかどうだって良くなり、ただ「今いる」と強く感じることが出来たのです。

ただ、歩いているだけなのにと思うかもしれないけど、生きていくためのこと、例えば・・・

「ご飯をたべる。」

「息をする。」

このことに意識を傾けると。

これも、一つの瞑想だと思います。

では、このへんで・・・・・・

ある人が言った

「人生は、映画である。スクリーンこそが私」

皆様が、常に「今いる」ことを……