扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

せいとし

2020年05月12日 10時20分30秒 | その他
前にも書いたように私たちは神に似せて作られている さて、今回は「生と死」について書こうと思います。

冒頭にも書いたように似せて作られている私たちですが、似せているだけで、全てではない。


違うところは産まれることと死ぬことである。


これは、私たちにとって必ず訪れてしまうこと、これらを不幸と思うが否かは個人の問題であるが、この生死ついて考えさせられる海外ドラマがある自分のデータを仮想空間に移動させてそこで永遠に生活するーーーーー正に不老不死。

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素晴らしい世界であり、死にそうになったらお願いしたいと考えてしまうが良く考えてほしい。
どうして、神は生死を設定したのか?

個々を神として作らなかったのか?

これも前に書いたと思いますが、別の考え方として死なない死ねない苦しみは死ぬ恐怖より恐怖だからです。

この自我はそれに耐えることが出来ない仮想世界がコンピューターに管理されていて恐れや不安などマイナスの感情を事前に消す事が出来るのなら分からなくもないがそれでも人間は最終的にシステムの一部でしかないやれたとしても、必ず歪みが生じるであろう。

何だかんだ、書きましたが仮想世界に完全に移行出来るなら面白いと思うし、それが神の領域かもしれません。


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