扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

瞑想と黙想

2012年04月29日 15時06分11秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。
「人生のシステム」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++

瞑想を自己流ですが、何度行いながら細かい瞑想の仕方を調べていました。

分かりやすく言えば、寝るときに寝心地のいい布団や枕を探す感じだと思ってください。

数回やるに連れて、どこかで前にもやっていた記憶がありまして。

幼き頃、道場に通い練習終了に黙想と同じような感覚。

異なる言葉でも体験することはいつでも同じもの。

そして、一度体験していると存在として、ありありと残る。

ただ、残るからと言ってそのことについて追い求めるのではなく、「体験したこと=過去の出来事」として置き「今」に、くつろぐように。

私も、この世も中々面白く感じているわけだが、くつろいでいるとき(瞑想中)は、個性から離れた全体な存在に住まうことが出来るため、とても助かっている。


皆様が、常に「今」に在りますように。

スピリチュアル ブログランキングへ


死ぬまで生きましょ。

2012年04月23日 17時50分18秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。
「人生のシステム」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++

人生のシステムを理解・体感したからと言って何も変わらず、やはり思考は「人生のシステム」に抗い、不安・恐怖・絶望を作り出し自分を苦しめ一つの離れた皆とは別な物と強く条件つける。

本当の自分は全てと一つであり、一つひとつが、絶妙で一つも狂いが無く行われていることも気付かないまま・・・・

でも一つだけ誰が考えても知っていることがある。


「死」である。


避けて通ることも出来ないし、この世では「死」と言うことにより無くなる。消える。ことが出来る。

「生きているから死ぬ」
このような考え方をしてしまうと死に怯え、苦しみ。また容易に死ぬ事を考えてしまいがちになる。


それなら、このような考え方はどうだろうか??

「死ぬまで行きよう」


いつ死んでも、どんな死に方でも、何があろうと


「死ぬまで行きよう」

死ぬまでは生きていられる訳なので、とても幸せではないだろうか。


皆様が、常に「今」に在りますように。

スピリチュアル ブログランキングへ

人生のシステム

2012年04月13日 16時00分16秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。
「人生のシステム」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++

本日、分かりました。

今までここに書いていたことに確信が持てる出来事は私に起きました
と言っても、今までが「間違っている」「合っている」という話でもないのです。

しかも、確信が持てたとここに書いている今でも、次の瞬間には言葉が違うかもしれません。

ただ、人生の根本にあるシステムは変わることがないです。

まさに、この人生成るべく出来事は必ず成りて、狂わずただ在る。

そこに私達は、今持っている最高なツールを用いてこの人生を存分に楽しめばよいので在る。


と言うこと。

人生のシステムなだけに、魂が肉体に宿してから離れるまでのすべては決まっている。

何をしようと逃れることが出来ない。

そして、システム上に放たれた我々は「今」に在る物質と意識・感情・思考をフルに使い経験し楽しめばよいので。

そこには、純粋な喜びと幸感を体験できると思う

「今、起こっている事」に耳を傾けよう、目で見つめよう。感情を観察しよう。

そして、心を通わせよう。


皆様が、常に「今」に在りますように。

スピリチュアル ブログランキングへ

変わるものと変わらないもの

2012年04月09日 14時48分41秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

物や感情は色々な条件の元で常に変化してよく言われている。

誕生から死を常に繰り返している。

道端に落ちている石ころでも変化している。
人に蹴られて地面に打ちつけられ欠ける。
だか、その存在は変わらない。

気持ちも、同じと思う




「好き」



嫌いになるまで「好き」である。

前より、好きじゃなくなったと条件をつければそうかもしれない。

ただ、「好き」という存在する気持ちは変わることがない。

数でも量でもなく、存在を感じることの方が自分がリラックスできると思うよ。

表面だけにとらわれず、「気」を持つことに意識を傾けると言葉に惑わされず気持ちを知ることが簡単には出来ると私は思います。

皆様が、常に「今」に在りますように。

スピリチュアル ブログランキングへ