扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

人間の記憶について色々と考えている

2018年10月25日 10時06分31秒 | 気づき
私たちは勉強や仕事で教えて貰ったことを覚えたりするが記憶力が弱い人が周りにはいるだろう。

脳みその構造や流れ記憶を司る場所は同じなのに、どうして差が出来てしまうのか?


どうすれば、覚えていられるか?


少し、私なりの仮説を立ててみることにしました。


そもそも、私たちの脳ミソ限界の容量はあるのだろうかと言うことだが、そこは限界があるだろうと思う。

それが「忘れる」ことだと・・・ただ、思い出す事を考えるとアーカイブに何らかの形(断片)で保存されていると思う。

それが、何かの切っ掛けで思い出されるーーーーただ、そのアーカイブから引き出す(思い出す)時に余分についてくるモノがあるから間違って思い出してしまうのかーーーーと思う。


その切っ掛けがないと思い出すことすら出来なくなってしまう。



人間に入りきらない記憶は、自分の身体から「大いなる存在」常に移動して、切っ掛けで身体に戻される



*人間の身体にある記憶=すぐに取り出せるもしくはアーカイブされた断片の記憶



切っ掛けがなければ戻されることもなく、事実上「忘れる」になるーーーーただ、細かい切っ掛けが重なりあって思い出すことが出来るが、違う記憶と一緒になって身体に戻されると「記憶違い」が起きてしまう。



*人間の身体にない記憶=「大いなる存在」に移動した記憶



この「大いなる存在」をコンピューターの世界のクラウドに置き換えて、全ての人間が繋がっているわけで、記憶も共有されているーーーーそれらが混ざり合い、ひらめき・気づきとして別の人に降りてくるのではないだろうか。



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