扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

思考について②

2013年07月07日 22時30分50秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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さて、思考についてまた考えてみよう←とても矛盾している感じ、、、、


前回の続き

「私って何?」

この世は、対象が必要な世界であり、全てに陰陽が配置させている。

女・男

嬉しい・悲しい

幸福・不幸

私・あなた

私を定義つけるには、比べるものが無いと定義つけることも出来ないのです。

「私はイケメン」

これを、誰1人としていない環境において言えるのでしょうか?

この「私はイケメン」って言う思考も出てこない。

「私は男」

女が存在しないところでこのことは言えるのでしょうか?

このことについても最初から考えれない。

この世は、大半することがあるからこそ、そこに比べ、判断することが出来、そのことについて考えることが出来る(ほとんどが一方的な考えしか浮かばす思考が増大させる)

もっと、深く入っていこう。

今、話したことは、現実に存在し全てが違うように見えるが、本質は全てが同じもの、なぜなら男と女は人間である。

嬉しい・悲しいも感情である。

この世の全ては、状態が変化し、そして変化し続けているのです。

「あなた」と「私」も何の違いも無い人間であり動物であり、地球の一部。

見えるのは変化する状態なだけ。

これを真実といえるのだろうか?

これを現実といえるのだろうか?

このシステムは必ず起きるし変化し続け、誰も止めることが出来ない。思考も同じ。

思考をとめることは不可能に等しい。

全てが、変化の世において、一つだけ変化しないもの



それは、「存在」です。

全てが、存在しているこの真実は揺るがすことも揺らぐことも無い。

しかも、全てに在るもの

この「存在」は「在る」のです。

あなたが私を定義つけるが、あなたと私は「在る」のです。

これは、「一つ」なのです。


全は一つと言うことが理解できると思います。

そして、一つは全でもあるのです。


そう理解すると、思考が私ではないことも理解でき、勝手に思考が全てを巻き込んでいることも理解できると思います。

思考とは変化する全ての状態に対しての反応でしかないのです。


皆様が、常に「今」に在りますように。





いつも、読んでいただき感謝します

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