面白い
福子と萬平の純な恋愛構図が本当に見ていて「にやにや」する。
とくに萬平の不器用で一途なところと、福子の嫌みのない気持ちのよい性格は
見ていて本当に安心する。
間違っても突発的に「そんなつもりじゃない」とキスを迫る女恋人を押し倒して消えたり、
数年ぶりに再会した幼馴染が「結婚しよう」といきなり言ってきたり
5歳の園児を残して、別に離婚しなくてもやればいいのに
「退路を断ちたい」といって離婚迫ったりする頓珍漢な世界は感じさせない。
間違っても。
朝ドラの恋愛なんてこれが本来的であって、
たとえ脱線気味の恋愛や不倫があったとしても、
やんわりとした表現にとどめるものだ。
そういう意味で前作の朝ドラは「挑戦的」な姿勢はうかがえた
ただ挑戦的な姿勢はいいとしても、中身が薄っぺらなのが悪い。
マー君との失恋の後はその事由の掘り下げが適当だったし、
その後いけしゃーしゃーと出てきて、現彼の律を交えての親交も薄気味悪い。
元夫もまたしかりで、離婚に対するバックグラウンドがあまりにも唐突すぎるうえに
内容が薄く、それでいてかなり軽率・薄情で必要性も感じずで、不快感しか残らない。
正人同様、最後にまた顔だして適当に利用されてポイ。
もはや気持ち悪く、世界観が自分の価値観に全く合わない。
律の恋愛も気味悪い。大学時代の恋人の清はまっとうな反応なのに
なぜか彼女でもないスズメが引っ掻き回すのも狂気でしかなかったし、
その状況を作ったのは律の責任がかなりあるのに、一方的に距離を置いて消えたり
まるで同情を誘わない。
結局あの作品は何がやりたかったのか理解不能であり、
個人的には気色の悪い恋愛や結婚や離婚をテーマにしていたのかさえ思う。
そよ風の扇風機を必死に作る最後のところはまぁまぁ見ごたえあったが、
じゃあそこに至るまでの無駄に長い幼少期や漫画家時代やあほ恋愛は
余り関連性が薄く、無理やり感が半端ない。
そして何よりも殺す必要もないキャラを無駄に殺すことで
強引に感動を呼ぼうとしているところは怒りを覚えた。
裕子の存在価値って正直微妙で、親友なのはわかるけど
親友に至るまでの過程がかなり適当で中身が薄く
裕子そのものの人生観もあまり伝わらず、薄いキャラなのに
それを震災で殺して、どうです泣けるでしょ?はないでしょう。
ボクテが「ダメだった・・」と涙ながら語ったシーンは
脚本家は「泣けるよね?」という気持ちなのだろうが、
見ていたこっちは「あ・・はい・・でしょうね」という感じで口あんぐり。
まぁ突っ込みどころがほかにも腐るほどあるが、この辺にとどめるけど
兎に角半分青いという作品は色々勉強になった作品でもあった。
ドラマというのはいろんな視聴者の意図を汲まないといけないものもあると思う。
私が共感を覚える作品は人によっては否定的だったりするし、
実際半分青いは小中学生にはそこそこ高い評価を受けているときく。
気難しいテーマは少なく、分かりやすいし、現代が主な舞台だから
朝ドラによくありがちな歴史的背景も気にする必要もない。
恋愛メインで、最後は紆余曲折あれど幼馴染とくっつく構図は王道であり純粋だ。
仕事に対する掘り下げもほどほどで、難しい数字や競合相手に絡みも薄く
「漫画家・五平餅・扇風機をやる!」とテーマは明白で分かりやすい。
私も唯一この作品を褒めるといえば、テキトーに見ていても
話の流れが簡単に読めて理解ができること。
そういうことを計算の上に脚本を作ったのなら、北川氏はさすがといったところか。
何も気難しく構えてドラマを楽しむ時代ではないのかもしれない。
現代の若者はネットのコミュニケーションツールがブログ・掲示板型のじっくりタイプから
SNS形の短文が受けている通りシンプルなほうが受けるのかもしれない。
そう考えると数字は悪くないのは一定の理解ができる。
福子と萬平の純な恋愛構図が本当に見ていて「にやにや」する。
とくに萬平の不器用で一途なところと、福子の嫌みのない気持ちのよい性格は
見ていて本当に安心する。
間違っても突発的に「そんなつもりじゃない」とキスを迫る女恋人を押し倒して消えたり、
数年ぶりに再会した幼馴染が「結婚しよう」といきなり言ってきたり
5歳の園児を残して、別に離婚しなくてもやればいいのに
「退路を断ちたい」といって離婚迫ったりする頓珍漢な世界は感じさせない。
間違っても。
朝ドラの恋愛なんてこれが本来的であって、
たとえ脱線気味の恋愛や不倫があったとしても、
やんわりとした表現にとどめるものだ。
そういう意味で前作の朝ドラは「挑戦的」な姿勢はうかがえた
ただ挑戦的な姿勢はいいとしても、中身が薄っぺらなのが悪い。
マー君との失恋の後はその事由の掘り下げが適当だったし、
その後いけしゃーしゃーと出てきて、現彼の律を交えての親交も薄気味悪い。
元夫もまたしかりで、離婚に対するバックグラウンドがあまりにも唐突すぎるうえに
内容が薄く、それでいてかなり軽率・薄情で必要性も感じずで、不快感しか残らない。
正人同様、最後にまた顔だして適当に利用されてポイ。
もはや気持ち悪く、世界観が自分の価値観に全く合わない。
律の恋愛も気味悪い。大学時代の恋人の清はまっとうな反応なのに
なぜか彼女でもないスズメが引っ掻き回すのも狂気でしかなかったし、
その状況を作ったのは律の責任がかなりあるのに、一方的に距離を置いて消えたり
まるで同情を誘わない。
結局あの作品は何がやりたかったのか理解不能であり、
個人的には気色の悪い恋愛や結婚や離婚をテーマにしていたのかさえ思う。
そよ風の扇風機を必死に作る最後のところはまぁまぁ見ごたえあったが、
じゃあそこに至るまでの無駄に長い幼少期や漫画家時代やあほ恋愛は
余り関連性が薄く、無理やり感が半端ない。
そして何よりも殺す必要もないキャラを無駄に殺すことで
強引に感動を呼ぼうとしているところは怒りを覚えた。
裕子の存在価値って正直微妙で、親友なのはわかるけど
親友に至るまでの過程がかなり適当で中身が薄く
裕子そのものの人生観もあまり伝わらず、薄いキャラなのに
それを震災で殺して、どうです泣けるでしょ?はないでしょう。
ボクテが「ダメだった・・」と涙ながら語ったシーンは
脚本家は「泣けるよね?」という気持ちなのだろうが、
見ていたこっちは「あ・・はい・・でしょうね」という感じで口あんぐり。
まぁ突っ込みどころがほかにも腐るほどあるが、この辺にとどめるけど
兎に角半分青いという作品は色々勉強になった作品でもあった。
ドラマというのはいろんな視聴者の意図を汲まないといけないものもあると思う。
私が共感を覚える作品は人によっては否定的だったりするし、
実際半分青いは小中学生にはそこそこ高い評価を受けているときく。
気難しいテーマは少なく、分かりやすいし、現代が主な舞台だから
朝ドラによくありがちな歴史的背景も気にする必要もない。
恋愛メインで、最後は紆余曲折あれど幼馴染とくっつく構図は王道であり純粋だ。
仕事に対する掘り下げもほどほどで、難しい数字や競合相手に絡みも薄く
「漫画家・五平餅・扇風機をやる!」とテーマは明白で分かりやすい。
私も唯一この作品を褒めるといえば、テキトーに見ていても
話の流れが簡単に読めて理解ができること。
そういうことを計算の上に脚本を作ったのなら、北川氏はさすがといったところか。
何も気難しく構えてドラマを楽しむ時代ではないのかもしれない。
現代の若者はネットのコミュニケーションツールがブログ・掲示板型のじっくりタイプから
SNS形の短文が受けている通りシンプルなほうが受けるのかもしれない。
そう考えると数字は悪くないのは一定の理解ができる。
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