だんなっちょんのブログ

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10月17日(月)日記 シアワセッテナンヤロカイ

2011-10-18 03:42:01 | 生活漫談
月曜の朝はどうもテンションが上がらない。
まぁ世間の人達の大半がそうなんじゃないだろうか。
大学生の頃も同じ感じで、花の金曜日の夜を経て日曜が終わると
月曜日は本当ゲンナリしたものだ。
大学2年の時など「我々多忙を極める大学生は朝から活動するほど暇ではない!午前中は休息の時間とする(キリッ」
と友人Iと一緒に分けのわからないルールを勝手に設けて授業をサボったり
授業そのものを入れなかったりと、怠惰を極めたほどで、月曜日は昔から何をするにしてもヤル気がでない曜日NO1である。

そういう事情もあって、休みなしで大学に真面目に通い続けて
社会人になっても休み潰してまで必死に仕事したりする奴見ると
なんか萎える。
そりゃ一生懸命頑張るって大事なことだし、人に認められ出世していく
ためには今の日本では必要不可欠というか基本的なことなのかもしれない。
不真面目に生きている俺のほうが大局的に見れば少数派で間違っているのは重々分かっている。
だけど人生の価値や基準はそういうものじゃないと個人的には思う。
周りに認められてトントン拍子で這い上がって地元の名士と
呼ばれる人も果たして幸せなのかと言ったら、そうじゃない部分のほうが圧倒的に多いと思う。
認められて地位と名声と富を得る。努力の対価は当然そういうもの
になってくるが、じゃあそれを一度手にしたら
それを守ろうとして余計気苦労が耐えなくなる。
人は認められて認められるほどその居場所を失いたくなくなる。
昨日までは「社長」や「先生」と呼ばれていても、次の日からは
全てを失って見向きもされないことさえもある世の中である。
結局努力する人間は一生努力し続けないといけない。

それに大金を手にしたらそれはそれでまた大変。
金で高級住宅や高級な食材や車や家電に囲まれて
何不自由ない生活を送っている人間は確かに「羨ましい」と
思う限りだが、実際人間のもつ悪癖とも言える
「慣れ」の要素を考えれば決して羨ましいとも言えない。
人間贅沢な生活を繰り返すと当然慣れてくるし
それを有り難いとも幸せだと思わなくなる。
巨万の富を築きあげて更に裕福な生活を送っても同じ事
順応性の高い人間の慣れの悪癖は簡単に人の心を優雅にはしてくれない。
毎日毎日温かい高級布団に包まれて寝つづけている大金持ちと
毎日毎日安っパチの布団とパルプベッドの上でゴロゴロ寝ている俺。
一件圧倒的な格差があるようだが、実際寝る行為の中で
互いに「あー今日も布団で寝れてシアワセダナ!」
と幸せを感じている度合いと確率はかなり低く
毎日当たり前の中の睡眠であり、決して特別な感情を抱かない。
だからこの状況において金持ちと俺との間に精神的な部分の差は
余りない。互いに特に幸せを意識せず寝ているだけに過ぎない。あくまで金持ちが幸せそうに見えるのは第三者の考え方。
全てとは言い切れない部分はあるにせよ、基本金持ちは普段から絶え間ない努力をしているから金持ちなのだ。
そしてその立場と地位を守ろうと毎日更に努力を欠かさない。
幸せを感じる度合いは人それぞれ。極端に貧乏だったり
劣悪な環境に身を置いている状況を除けば、ある水準レベルの生活を送っていれば幸せかどうかは考え方次第ではなかろうか。
 社会的に賞賛される地位や職業に従事している人間も自殺する世の中である。
こういうニュースを見るたびに、幸せって本当なんだろうなって毎回思わされる。

だから月曜日が毎週毎週億劫億劫だるいだるいいうことを
「ゆとり」だの「怠惰」だの思うのは辞めた。
幸せは地位や名誉や金といった努力の代償に幸福を象徴する物質
だけで測れないものだから・・。
そう考えると案外こういう月曜日がだるくてやる気がしないという「適当さ」って幸福な生き方の要素の一つなのかもしれない。
















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