かつては、そこら辺にいたネズミを殆ど見かけなくなって久しい。
釧路市に住んでいた頃は、ネズミ捕りのカゴをどこの家庭も常に仕掛けていた。
捕まったネズミは残酷な事だが、カゴごと水の中に沈められ、溺死という形で始末されていた。
幼かった私は、なんの感覚も持たずに、眺めていた記憶がある。
小学1年生の時に住んでいた札幌のアパートで、ネズミが出たことがあった。
4世帯の住む、小さなアパートで、大家さんが建てた木造建築だったので、ネズミも容易に侵入出来たのだろう。
そろそろ寝ようかという時間、父が居間をチョロついているネズミに目ざとく気付いた。
私は部屋の中でネズミを見るのは初めてだったので、どこから入って来たのだろうと驚くばかりだった。
父は側にあった週刊誌を丸めて棒状にすると、動きを止めたネズミめがけて、渾身の力を込めて打ち下ろした。
あっという間の出来事だった。哀れなネズミは完全に動かなくなった。少し出血していた。
父は、すぐ様ネズミを新聞のチラシに包むと、小さなゴミ箱にポイッと捨てた。あまりに安易な始末の仕方だったので、子供心にそんなんで良いのかな?と思ったが、そのまま父と床についた。
翌朝のこと、私は昨夜のネズミが気になってゴミ箱を覗いてみた。
すると、父がチラシに包んだはずのネズミは、息を吹き返したらしく、姿を消していた。
あの父の一撃を浴びたのに、気絶していただけだったのだ。
人間に置き換えたら、絶対に重症だと思うが、野生のネズミはタフなものだと感心した。
ネズミは懲りたのだろう。二度と現れることは無かった。
高校の時に住んでいた苫小牧の官舎は、築30年の木造のボロ屋だった。
夜になると、天井裏で複数のネズミ達が運動会さながら、駆け回っている音が頭上に響く程だった。
そんな状況であったにもかかわらず、我が家では特にネズミ捕りを仕掛けるわけでもなく、ネズミ対策は一切していなかった。
するとネズミはいい気になって、我が家の台所に置いてある石鹸をかじって、「昨夜、お邪魔しましたよ」と痕跡を残して行くようになった。
それは、まるで私達をおちょくっている様でもあった。いや、事実完全におちょくっていたのだろう。
安い木材を使用して建てたらしく、台所の壁には木の節穴があった。
ある日母が、「見てこれ。昨日も石鹸かじって行ったよ。」と私に話している時の事だった。
「ちょっとー!こっち見てるよ。」と突然母が言い出したので、何かなと思い母を見ると、母が壁を指さしている。
その方向に目をやると、何と真っ昼間だと言うのに、壁の節穴からネズミが、顔をはめるようにして、こちらの様子を窺って居るのである。
完全にバカにされている感じだ。
さらに、ネズミは大胆に行動するようになった。
父がたまたま不在だったある夜、食後くつろいでいると、母が「ネズミ!」と叫んだ。
「どこ?」「テーブルの下!」えっー?いつの間にやって来たのか、座卓の下、真ん中あたりに身じろぎもせず、当たり前の様にネズミが鎮座していた。それも、かなり大きい。
女二人、アタフタするも、どうしていいかわからない。
ネズミは完全に私達を馬鹿にしきっていた。
とりあえず、座卓を動かし、日のもとにネズミを晒したまでは良かったが、為すすべがなかった。
子供の頃に父が雑誌を丸めてうち下したシーンが思い起こされたが、私は手にしたホウキをネズミめがけて打ち下ろすしかなかった。
母に言わせれば、「あんた、あの時キャーキャー言いながら、ホウキでネズミの背中を撫でてるだけだったよ」と。
結局、ネズミは逃げていき、ホウキで、“背中を撫でた”のが功を奏したのか、それ以来姿を現すことは無かった。
あのネズミは“ジェリー”だったなぁー。
暫くして、そのボロ官舎から新築の鉄筋コンクリートの官舎へ引っ越すこととなった。
今振り返ると、それがネズミと触れ合った、最後の記憶だ。