家族揃って旅行出来るのも今年限りという理由の下、気持ち的に落ち着かない子供達を連れ、家族で知床へ向かった。
早朝に出発したが、札幌から高速を使ってもかなりの距離。朝食は車中にて、朝握ったおにぎり、昼食はコンビニ弁当で済ませた。
道東に入りお天気も良く、まず網走の小清水原生花園へ訪れた。花の見頃は6月下旬から7月下旬まで。本来は色とりどりの花々が見どころなのだが、時期はずれのため、ほぼ広大な野原を眺める事となり、そそくさと後にする。
これまで何度か訪れた事のあるオシンコシンの滝へ。落差30メートル。流れが途中から分かれ、「双美の滝」とも呼ばれ、「日本の滝100選」にも選ばれている。かなり滝のそばまで階段でのぼれるので、迫力のある滝を身近に眺める事ができる。
晴れた日の滝は、いつも以上に眺めが良く、マイナスイオンでドライブに疲れた体を癒やした。
その後、カムイワッカの滝方面へ向かった。
カムイワッカの滝、それは、滝がお湯!初めて知った時は、もうそれだけで私を虜にした。摩訶不思議な滝!
滝を遡れば湯の温度が上がり、ちょうど良い温度になる場所に、神の采配とも言うべき天然のバスタブ、滝壺があるのである。湯の色がエメラルドグリーンで美しい。
20代の頃に行った時には、数人が水着で滝壺に浸かっていた。
羨ましく、横目で眺めながら、さらに滝を登って行く。すると、源泉だろうか?滝を登りきった所の両サイドの崖から、湯気も甚だしい熱そうな大量の湯が噴き出していた…と思う。何十年も前の記憶に間違いが無ければ。
現在では、個人の車で行く事は制限されており、専用バスで行かなければならない。
バスの出発時刻を確認すると、時間的にゆっくり過ごす時間がなそうだった為今回は断念。子供達を連れて行きたかったなあ。
がっかりして、知床自然センターから出てくると、駐車場の一角に、角の立派な野生の雄鹿が悠々と草を食んでいた。さすが道東。気分が少し上がった。
一日目、お宿は知床第一ホテル。バイキングが売りのホテル。
私は茹でたじゃが芋に、炙って溶けたチーズをかけて食べる“ラクレット”を楽しみにしていた。若い調理師の青年が汗をかきかき、大きなチーズの塊を電熱で溶かし、削り取る作業を見ているのは楽しかった。
バイキングのお料理は品数も多く、もちろん味の方も言うこと無し。
スイーツとラクレットに何度足を運んだろう。大満足だった。
知床は、海に沈む夕日が見ものだと言うことだったが、それを知ったのは夕食を終え、日がすっかり沈んでしまってからだった。あぁ、ざんね~ん。
代わりに、星を見に息子と外へ出た。
晴天だったので、夜空の星がよく見えた。
出来るだけ、人工の光の無い所へと移動し、かなりの暗闇へ。
そこで見上げた夜空。私は、初めて天の川を見た。
さすが知床だ。こんな星空見たことない。こんなに星はあるんだなぁー。いつまで見ていても飽きることは無かった。
たっぷりと夜空を眺め、ホテルに戻った。
2日目、夫のお目当ては知床峠からの絶景!だったはずなのだが、濃い霧がかかり残念ながら見る事は出来なかった。
峠を下ると羅臼のビジターセンターがあり、立ち寄った。
羅臼の間欠泉があると知り、吹き出し時刻まで少し間があるので、センター内の見学をした。
ヒグマをはじめとする道東の野生動物の剥製などを見てから、お手洗いに向かった。
すると、トイレの内側のドアに、観光客へのお願い事が悲しいエピソードと共に掲示してあった。
それは、一人の観光客がヒグマにソーセージを与えた為に起こった、ヒグマの悲惨な命運の話だった。
一度人間から食べ物をもらったヒグマは、食べ物を求めてどんどん人との距離を縮めてしまう。
そんな結果になろうとは思いもよらず、気軽に食べ物を与えたのだろうが、野生の動物、特に大型の動物ともなると、結局、殺処分しなければならなくなってしまうのだ。
人は自然に入ったら、その自然に何の影響も残さずに帰らなければならないと言う警告だ。肝に銘じたい。
そうこうするうちに、いよいよ間欠泉の吹き出し時刻が迫り、皆でビジターセンターの裏手へと進む。
見物人は、私達家族4人と、グループらしき3名のみ。
さあて、間欠泉は?と見回すと、どうやら地中から突き出た、直径数センチのパイプから吹き出すらしい。
パイプの先端に、皆の眼差しが期待を込めて集中する。
待つことしばし。
何か噴き出してきそうな音の序章。
期待が高まる。
出たー!
けど…出落ち感ハンパなし。
ものの3分もせずに終了ー。
「期待したのと違うけど、まぁ、間欠泉だったね」と言った様な笑みが漏れ、何となくほっこりした。
しかし、こんな小さな間欠泉だけど、昭和43年に「北海道指定天然記念物」に認定された、由緒正しいチビ間欠泉なのだ。
一時は出なくなってしまった時期もある様だから、ま、頑張ってくれました。
次なる目的地は、マッカウス洞窟とヒカリゴケ
道東の旅3へとつづく
長い話でこの回だけでは、“完結せん”かった。