札幌の月は私が見始めた時、小さくて赤くて滲んでいた。
午後8時頃、自宅の窓から外を覗いた。月は何処にも見当たらなかった。
部屋着の上にコートを引っ掛け、外へ出た。
不要不急は外へ出るなと緊急事態宣言下の札幌。月を見にあちこちから人がふらりと出て来た。
空を見上げるも、月は不在。
どこ行った?
南東方向に目を凝らすと、電線に引っかかるくらいの低さに、月がいた。
みんなスマホを片手に月を撮っている。
ああ、私ったらいつもそう。見る事しか考えないで、手ぶらで出て来てしまった。少し後悔。
ややオレンジがかった、下半分が消えている月。
しばらくして、完全に月が消えてしまった。
すると、集まっていた人たちは、三々五々、早々に帰って行った。
私は消えた月が出てくるまで、ひとり待っていた。
ただただ真っ暗な空の、月がいるあたりをずっーと見続けた。
月がその姿を現した時には、完全にお門違いの方向を見ていた事に気付いた。
月は姿を隠している間に、斜め上方にかなり移動していた。
姿を現した月は見始めた時と同じく、下半分が欠けた状態のまま、滲んだオレンジ色だった。
月の姿を確認して帰宅した。
家に着くと、外へ出てから40分以上の時間が経っていたと知った。そんなに長い時間が経っていたとは以外だった。我を忘れて、一心に月を眺めていたのだなぁ。
月は、9時過ぎには東側の部屋の窓から見る事が出来るようになった。
肉眼では右半分が欠けた状態の三日月だった。
NHKのNEWS WEBを見た所、
『この日の為に双眼鏡を用意していた小学1年生の女の子が、「見られなくて残念です」と言っていた。』という記事を読んだ。
可哀想に思うと同時に、そう言えば我が家にも双眼鏡がある!早速窓から身を乗り出して、双眼鏡で見てみた。
何と美しい。
野鳥を見る為に購入した、わずか8倍の双眼鏡なのだが、実によく見える。
左側から月の表面に、強い太陽の光が当たっている姿が、はっきり見える。先程のオレンジ色に滲んだ月とはすっかり様変わりし、きりりと男前のスーパームーンである。
月の地形もよく見える。
月の地形図と照らし合わせると、唯一名前を知っている“静かの海”の位置を確認出来た。
“静かの海”を知っていたのは、1969年アポロ11号が月面に着陸した地点だったからだ。
その当時、アメリカと同じくらい日本も“人類初の月面着陸”に湧いていた。
今でもありありと、アポロ11号とNASAの交信を「ピー」と言う音とともに、思い出される。
父は何処から手に入れたのか、アポロ11号とNASAの交信が記録された、非売品のシングルレコードを持っていた。
その内容は、交信時の英語のやり取りの音声が交信音を含め、延々と記録されたものだった。
小学生だった私は一度聞いたきり、他の童謡や当時の流行歌「ケメ子の歌」や「帰って来たヨッパライ」のレコードと一緒にしたまま、すっかり忘れ去っていた。
何がきっかけだったか忘れたが、今から15年位前に、突然そのレコードの存在を思い出した。
これは凄いお宝になると思い、それがあるはずの実家へ電話をして、母にその所在を尋ねた。
すると母は「邪魔だから、捨てたよ」とにべもなく答えた。
もー、何でも捨てちゃうんだからー。あれがあったら…どれだけの価値が…どれだけの価格がつけられたことだろうか。嗚呼、残念である。
月の観察から脱線してしまったが、“静かの海”の他にも“晴れの海”、“雨の海”など、様々な地名があることも知った。地形図と同じ物が双眼鏡で見られる喜び。楽しいなあ。
影になっている暗い部分も双眼鏡だとよく見える。何というロマン。宇宙が近い!
半月だった月がどんどん肥えていくー。
明るい明るい満月になり、天体ショーは終了した。
刻々と変化する月の姿を観察するのは楽しく、そして神秘的であった。
今回札幌は有り難いことに、天候に恵まれていた。
天候の悪い地域のインタビュー映像がテレビで流れていた。
東京都杉並区の男の子が「もうちょっと長く見ていたかったですね」と嘆いていた。
オバサンも、見せてあげたかったわー。
残念ながら、お天気だけはどうにも出来ない事である。