長男が1歳半前後の頃だ。
その新築のベランダにある夢を抱いていた。ベランダでお茶したり、軽食を取ったり、西洋人の様なひと時を過ごすこと。昭和生まれのガサツな私のイメージからかけ離れた素敵なシーン。
夢の実現に向けて、ホームセンターで、安価な白木の簡素な折り畳み式テーブル一つと、椅子2脚を買い求めた。
早速ベランダに設置した。
テーブルクロスをかけて、ここでお茶を飲みながら、バードウオッチングをするのだとワクワクした。
手芸用品店でテーブルクロス用の気に入った柄の布も買ってきた。あとは、四辺をミシンで縫って、テーブルクロスを完成させるだけ。
全ての準備は整った。
しかし、そこから1ミリも先へ進まずに30年が経過してしまった。私“あるある”な結末。
娘が生まれたり、長男の入園準備などもあり、育児に追われるようになった。ベランダの夢も後回し。忙しい日々を送るようになった。
暑い夏、ベランダではベビーバスに水をはり、子供達に水遊びをさせたり、時にはシャボン玉で遊んだり。
小学校にあがったら、夏休みに持ち帰るミニトマトやヒマワリをベランダで育てた。
西側に位置するベランダは、日当たりが悪かった。それでも、ミニトマトはそれなりに実を付けて、子供たちと一緒に収穫もした。
ベランダは、小さかった子供たちとの楽しい思い出に満ちている。
その間も、白木の椅子とテーブルは風雨にさらされて、次第にくすんでいった。
ある日、食卓で食事していると、ベランダの窓に小鳥の姿が見えた。ベランダの内側に野鳥が来ることはこれまでなかった事だ。
ベランダを窓越しにそっと見てみると、娘が持ち帰ったヒマワリの花が種に変わり、それを目当てにちょこちょこと野鳥が訪れているのだった。
小鳥たちは警戒心が強く、種をくわえると直ぐに飛び去ってしまうのだった。
こんな至近距離で野鳥を見られたことに、私はとても興奮した。やがて、ヒマワリの種がなくなると、小鳥たちは来なくなってしまった。
エサさえあれば、また小鳥はやってくる。そう思った私は、何かに使おうと思ってそれまでため込んでいた板かまぼこの板を使って、浅めの木箱を作った。それからホームセンターで小鳥の餌を買って木箱にエサを浅く入れた。
そして、コーヒーを置くはずの雨ざらしの白木のテーブルの上に、エサ箱を置いたのだった。
テーブルクロスをかけるはずだったテーブルは、バードテーブルへと変身を遂げた。
しばらくすると、様々な小鳥が訪れるようになった。
最初は警戒していた小鳥たちも、時間が経つにつれ、窓から子供たちと一緒にエサ箱を見つめていても、だんだん慣れて、逃げなくなった。
子供たちは喜んだ。中でも一番喜んだのは、何を隠そう私だった。
日中、小鳥を観察し始めると時間を忘れ、小鳥がやってくればいつまでも見続けてしまうのだった。その時間の何と楽しく幸福であったことか。
数ヶ月も経った頃、集合住宅ということもあって、近隣の迷惑になることに遅ればせながら気づき、バードテーブルは諦めなければならなかった。
バードテーブルをやめても暫くの間は、小鳥たちが訪れた。皆、小首をかしげ「あれ?確かここだったよなあ」といった感じでやってきては帰っていき、次第に寄り付かなくなった。
一度ミカンを食べに来たヒヨドリが、よほどミカンが美味しかったのか、その後3年位は我が家のベランダに物欲しそうに寄って来ては、収穫もなく帰っていくということが続いた。なかなか記憶が良いものだ。
あれからもう20年以上の年月が経過した。
数年前に老朽化したマンションの補修工事がなされ、ベランダの床はきれいにコーティングされた。
その工事の際に、テーブルと椅子は邪魔になるということで、ベランダからどけなければならなかった。久しぶりにしげしげと見たテーブルと椅子は、白木からすっかりみすぼらしい古木に変色していた。捨てようかどうしようか一瞬迷ったが、まだしっかりしている。あのベランダの夢もまだ叶えていないし、白く色を塗ったらまた使えそうだと思った。往生際が悪い。捨てられないのは私の悪い癖だ。テーブルと椅子は
地下の物置に一度収めた。
子供たちが家を出て、夫婦二人になった今、正にあの「ベランダの夢」を叶える時が来た。
入居した時より何十年の時を経て、遥か下に見下ろしていた桜の木も、部屋にいながらにして花見が出来るほど高くなった。他の大木の葉陰から、今年も様々な鳥のさえずりが、ベランダに響いている。
テーブルクロスはまだ布のまま押し入れに眠っている。テーブルと椅子も地下の物置に置いたまま。
いつ夢叶えるの?
「今でしょ!」
心で叫べど、腰の重い私。
来年考えよう。
ベランダの夢をずっと見続けて、その夢をまた夢のままにしておくのも悪くない、そう思える今日この頃なのだ。