娘が帰った今、ダンボールの箱の中身をチェックしながら、捨てるに忍びないものは、ネットのフリーマーケットに少しずつ掲載しながら片付けている。
娘は思い出の品にあまり執着しないタイプで、潔く捨てる。私と大違い。私は過去の旅行の航空チケットさえ捨てられない。だから、押し入れは“過去の思い出”だらけで、ダンボールに何箱もある。一度片付けるため手を付けたが、あまり減りもしなかった。近々、再度チャレンジしなくてはと思っている。
娘が潔く要らないものにしてしまった物の中に、大学生の時に頑張ったよさこいの「鳴子」があった。
体が小さくて華奢な娘が、チームに入って連日練習を重ね、腰痛や体調を崩しながら頑張ったよさこい。その思い出の鳴子は色が剥げて、ボロボロだった。
うーん、どうしようか。娘は今後使わないのであっさり不要としたのだろうが、私には娘の思い出の詰まった鳴子をポイと捨てる気にはなれなかった。
取って置こうかとも考えたが、自分が捨てられない“過去の思い出”が山ほどある上に、娘の幼児の頃からの絵や作品なども取ってあるのだ。これ以上増やしてもなあと思う。
どうしようか。ネットのフリマに上げてみようか。
「鳴子」とフリマで検索してみると、一番安い価格で新品の鳴子がいくつも上がっている。こんなオンボロな鳴子売れるわけ無いか…。
鳴子を前に考えあぐねていると、そばでそれを見ていた息子が「そんなボロボロなの、捨てればいっしょ」と言った。それを聞いて突如心が決まった。
私は息子に向かって「捨てたら0円だけど、売れたら95円の収入だよ」などと、がめつい事を言った。娘の思い出をしみじみ思い出しながら、守銭奴じみた事を言う現金な私。
どうせ売れないだろうと思いながらも、どなたかに使ってもらえるなら使っていただいた方が良いと思い、ネットのフリマに掲載してみた。
すると、思いがけないことに数日して、購入を考えているという方からコメントが来た。
「鳴子の傷は気にしません。音は鳴りますか」というものだった。
音はうるさいほど鳴るのでその旨伝えると、直ぐに購入してくださった。
購入の際にもコメントをくださって、どうやらコンサートで使うらしい。
コロナ感染予防で、コンサート会場ではどこも声を出すことが禁じられていると聞く。それで、鳴子で音を出して応援するようだ。
コンサートに間に合うよう、直ぐに翌日発送手続きを済ませた。
とても丁寧なコメントをくださる方だっので、お人柄も良さそうな気がした。
娘の鳴子を使っていただけるのがうれしかった。
それにしても、フリマには膨大な数のきれいな鳴子があったのに、何故娘のボロボロな鳴子を選んでくださったのだろう。
後日、先方に届いた旨の通知がフリマサイトから入り、無事にお届けできたことに安心した。
娘が汗と涙のよさこいで使った鳴子。誰かが使ってくださっている。どこかのコンサートで、娘の鳴子が元気な音を立てて鳴り響いている。そう思うと、とても嬉しい。心から捨てなくて良かったなと思った。
こうしてブログを書きながら、私が娘の立場だったなら鳴子は手放さず、思い出として取っておいただろうなと思う。
そう言えば娘は「ミニマリスト」を目指していると言っていた。だから、潔いのだ。
その潔さ、私に今一番必要かも知れないと、身の回りの膨大な“物の山”を見ながら思うのだった。