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ポジティブな私 ポジ人

ホワイトカラーからブルーカラーへ

学校を卒業してからほぼ事務系の仕事をしてきた。
仕事では右手にボールペンくらいしか持ったことがなく、ボールペンより重いものは、左手で持つ電話の受話器くらいのものだった。たまに書類の束を移動させることはあったけれど、そう重いものでもないのに、私が抱えていると周囲の人は「腰を悪くするから」と、台車を使うよう勧めるような、そんな仕事場だった。
今振り返ると、ホワイトカラーに属していたのだなあと改めて思う。

60歳を超え、今まで自信満々で働いてきた自分に少し不安を覚えるようになった。
社内で回る回覧板の量は多い。様々なことが日々変わっていく。仕事に関わる法律や、社会情勢の変化で仕事にまつわる様々な事が変化していくことに、追いついて行けなくなりそうな気がしてきた。そんな弱気になって来たのは「もはやこれまで」という事だと自覚した。大きなミスをおかしでもしたら大変だ。それで退職することにした。

退職してから雇用保険をもらいながら、ダラダラとした毎日を送った。
朝目が覚めて、布団に入ったまま天井をぼんやり眺める。「ああ、行くべきところがないのだな」と思う。何だか虚しい。ため息が出た。
これまでは朝起きると「行くべき所」がずーっとあった。
学校、大嫌いで行きたくなかったけれど、仕方なく行った。
会社、若い頃はやはり行きたくなかったけれど、長く通ううち、まるで空気を吸うように働くことが当たり前になっていった。仕事も好きだった。それが無くなり、つまらない。やっぱり働きたいなと思った。

事務職はもはや望めないので、厨房でのパートの仕事についた。
ホワイトカラーからブルーカラーへ。
ボールペンしか持たなかった仕事から、5キロはあろうかという重い釜を洗う。
大型の食洗機、乾燥機、ガス台には鍋がかけられ、厨房は常に暑く汗が背中をつたう。水分を補給しつつ、時間通りの配膳にむけ、分刻みのスケジュール。立ちっぱなしの労働となった。
わずか6時間にも満たない労働時間なのだが、働き始めた当初は疲れてヘロヘロになった。働いてこんなに疲れたことはこれまでなかった。年齢のせいもあるのかな。仕事帰りはヨロヨロと帰った。これが肉体労働なのだ。キツイなあと思った。
美輪明宏さんのヨイトマケの唄が頭に流れた。「かあちゃんの為ならえ~んやこーら」いや、誰の為なのか。働きたがった自分の為だ。文字通り私は汗水垂らして働いていると実感もした。

あと5年は働こうとパートの職についたものの、本当に続けて行けるだろうか。とりあえず今年いっぱいは頑張ろうと思った。
帰宅したら、すぐに眠気が襲う。毎回2時間ほど爆睡してしまう。

事務職の時はフロアーに何十人も職員がいたけれど、今の現場は私を入れて二人か多くて三人。
仕事はシンプルだ。やることは決まっているので、考えることもない。ただ黙々と働く。

働き始めて一ヶ月が過ぎた。人間の体というものは、順応するように出来ているものだ。
9人前のお味噌汁を乗せたお盆を片手で持つのもおぼつかなかったのが、今では慣れた。大釜を洗うことが、筋トレになったかも知れない。
とりあえず、来年1年は続けて行けそうだ。
パートだから月の半分しか働かなくて良いのも嬉しい。

いつまで働けるかわからないけれど、働くことで自分の日々の体調や、老い加減もわかる。それに職場で、短いお昼休みに、若い先輩たちと会話を楽しめるのも楽しい。更に、労働が収入となるのも大きな喜びだ。
やっぱり働くのは楽しいなあと今つくづく感じている。




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