夫は起床とともに、テレビをつけるので、私が起きるとすでにテレビがついていることが多い。
ソファーに座り、ボンヤリとテレビを眺めていると、ふと子供の頃に好きで何度も読んだ童話「幸福の王子」を突然思い出した。その少し前に、芸能ニュースでジャニーズのキングアンドプリンスを見たせいだろうか。王子繋がりで別の王子を思い出したのか…。
子供の頃は作者の名も知らずに読んでいたが、調べてみると著者はオスカー・ワイルドだった。そうだったのか。大人になって子供のときには知らなかったことを知ることで、より作品への親しみが増した。
よく知られた物語だが、私は「自己犠牲」を描いたあの作品に強く惹かれて、子供の頃何度も繰り返し読んだのだった。
金色に輝く立派な王子の像。目にはサファイアがはめ込まれ、剣にはルビーの装飾。全身が金色の美しい像であった。
物語の中で、王子はサファイアや剣のルビー、体に貼られた金箔などをツバメに頼んで、不幸な人々へ届けさせるのだった。
王子の像は次第にみすぼらしくなり、ツバメも南へ渡る時期を逸し、命を失う。
他人の幸福の為に自己を犠牲にする事など、なかなか出来ない事だ。
子供だった私は、王子が何もしなければ、いつまでも美しい王子のままでいられたのに、どうしてそんな事をするのだろうか、と思った。
また、美しい宝石も金箔もはがれたみすぼらしい外見となったのに、何故題名は「幸福の王子」というのだろうか、と疑問に思いながら読んだ。
けれども、何度も回を重ねながら読むうちに、子供なりに「自己犠牲」という尊い行いの意味を心に刻んでいったのだと思う。
王子に習ってというわけではないが、一度人のために自己を犠牲にした事がある。大したことではないけれど、何故あの時そんな行動に出たのか。困っている人を見て、いたたまれなくなったからなのか。無意識下に幸福の王子的な何かをしてみたかったのかも知れない。
小学5、6年生の頃のことだった。下校する頃になって突然大雨が降り出したことがあった。珍しく私は傘を持って来ていた。
靴箱のそばで、多くの生徒が外の雨を見ていた。その中にあまり親しくないクラスメートがいた。「困ったなあ」という声を聞いたのだったかも知れない。たまたま隣りにいた私は、自分の傘をそのクラスメートに差し出した。
傘は一本しかなかったので、当然私の分の傘はなくなるわけだが、それを知った上でクラスメートは「いいの?」と尋ねた。「うん」と頷く私を見て彼女は直ぐに傘を受け取り、どしゃ降りの中へ消えていった。
私はおもむろに、どしゃ降りの中へ足を踏み出した。家までは、子供の足で15~20分ほどはあったのではないだろうか。走って雨を避ける気も毛頭なく、覚悟を決めて普通に歩いて帰った。家に着く頃には、完全に体はずぶ濡れになっていた。
その日の服装を今も覚えている。
母が買ってくれた、タータンチェックのジャケット。私は、そのジャケットが気に入っていた。
雨にぬれながら私は自分を、まるで何かの映画の主人公になった様に感じていた。お気に入りのジャケットが、ヒロイン気取りにさせたのだろうか。
「まるで映画のワンシーンみたい」と思ったり「たまに雨に当たるのも悪くないな」とか、そんな事を考えながら歩いた。雨に濡れることをどちらかというと楽しんでいた。人助けをしたことにも、私は満足していた。
子供の時に何気なく取った行動は、純粋な心から生まれたものだった。
けれども大人になってから人に親切にする時は、何故か頭にいつも「偽善」という言葉が浮かんできてしまう。