家の周りを歩くだけで、日々感動がある。
何十年も住んでいる地域なのに、近所の自然をこんなに意識したことは無かった。
長らくお世話になった会社を退職。
規則正しく自宅と勤務先を往復していた日々から開放される。
有り余る自由時間。
人生80年時代から、現在は100年時代などと言われている。
病気やアクシデントに見舞われなければ、これから先、数十年は自由な時間を過ごすことになる。
そこで誰しも考えるのが、「健康に、そしてボケずに過ごしていきたい」という願い。
そのためには、足腰を中心にある程度のトレーニングをして、身体を鍛えなければと考える。
取り敢えず毎日歩いてみる。
すると、それまで気付かなかった、というよりは気付く暇がなかった、自然の素晴らしさに気づき始めるのだ。
自然に親しみ始める自分。
改めて自然とともにあることこそ、人としての本来あるべき姿なのだと再認識する。
そしてそこから、さらなる自然を求め、本格的に山登りなどをしようと考える方々もいるだろう。山登りなら、ただ平地を歩くだけより、足腰が鍛えられそうだし。
そんな思考回路で山に親しむシニアが増えていくのじゃないだろうか。
機会があれば、私もその流れに乗りそうだ。
あるいは、自分の興味ある分野のより深い探求に進む人、勉学の学び直しや趣味へと、皆豊かな老後を築いていくのだろう。
ただ、中には仕事から開放され、楽な方へ楽な方へと考えずに流れていく人もいる。
朝、テレビをつけたら夜寝る直前までほぼつけっぱなし。新聞は読むけど、ほぼ一日をパーソナルチェアの上に座る事で終わる人。夫です。
最近よく耳にする「フレイル」という言葉。健康体から要介護へと進む前段階の身体が弱った状態をさすらしい。
筋力が弱ると、つまずいて転びやすくなることが、下手をすると寝たきりに繋がりやすいから、フレイル予防が重要と最近言われているのだ。
先日、新聞にフレイルの予防記事が大きく載っていた。
フレイル予防には、毎日家から出て、適度な運動をする。人と会い、社会活動に参加すること等と書いてあった。
夫に「この記事読んだ?」と念の為尋ねてみたら、「読んだ」と言う。
でも、結局読んだだけ。日常生活になんの変化もない。
週に1度、買い物につきあわせて、遠回りをしてスーパーに行く時だけ歩く夫。
このまま放っておくと、“フレイルの見本”が出来上がっちゃう。
先が思いやられるなぁー。
そこまで考えたとき、ふと、以前母が話してくれた知人の話を思い出した。
その方は、不幸にもガンにおかされてしまったのだが、母の話に寄れば健康に人一倍気を使い、身体に良いと言われている高価な健康食品をよく摂っていたという。
この話を聞いて、結局の所、どんなに気を付けていても努力をしても、本人の思惑通りには行かないということがままある、という教訓のように感じられた。
予期せぬ出来事とは必ずあるもの。
かくいう私も、未来に備え身体を鍛えてはいるけど、ボケてしまわないという保証はどこにもない。
現在夫のフレイルを気兼ねしている私だが、もしかすると私の方が先にボケてしまったりして。そして、足腰を鍛えている分健脚だから、徘徊で夫を悩ませるという結末があるかも知れない。
人生はわからないものですからね。
そんなことを考えながら、本日もウォーキングっと。