結婚してからの年数を数えてみたら、39年以上も経っている。
子供が生まれてからの夫婦の目標はただ1つ。
「子供達を成人まで無事に育て上げる」
これに尽きる。これが大目標だった。
夫は淡々と働いた。博打もせず、酒も飲まず、煙草…だけは吸いながら。
仕事上の悩みや苦悩はあったかも知れないが、一切家庭では話さなかった。
出張している事がほとんどだった。週末のみ子供の顔を見に帰って来るという事が多かった。
そんな訳で、私は仕事をしながら、子育てと家事をほぼ一手に引き受けてきた。
子供が巣立った今、夫婦の目標は達成された。何か終わったという感覚だ。
夫が退職し、私も退職を控え、常時家の中という狭い空間に二人で過ごすことになった。出張で長く不在が多かったので、今の状況にまだ慣れずにいる。
夫はテレビが好きだ。常にテレビがついている。テレビが消えると音楽が流れることもあるが、静寂な時間も欲しいと私は思う。
音から逃れ、気分転換に散歩に出た。
ブラブラ歩いていると神社の側まで来た。
街路樹で大きなイチョウの木があるのだが、足もとにおびただしい量の銀杏の実が落ちていた。通行する人達に踏まれて銀杏の実が潰れて、雪の上があちこち黄色く染まっている。
つい先日もここを通って、次回はビニール袋を持って拾いに来ようと思っていたのだった。
一旦家に帰ってビニール袋を取りに帰ろうかとも思ったが、往復30分くらいかかる。そこで思いついたのが、いつも行っているスーパーからビニール袋を一枚もらって来ること。
ここから5分ほどの位置だ。
スーパーの店員さんに一応声掛けした。
「お買い物していないのですが、ビニール袋を一枚いただけないでしょうか?」
店員さん、一瞬絶句。やがて笑顔で
「今回だけということで、よろしいですよ」と言う模範的回答。
ありがとうございます。我ながら図々しい事をした。反省。
銀杏の木まで戻り、雪の歩道の上の銀杏の実をビニール袋で拾った。
大きめのものを10粒ほど。お正月の茶碗蒸しに入れよう。
ただで銀杏が手に入った事で気分も上々。
先程のイライラもどこへやら。ルンルン気分で帰宅。
「散歩してくる」と言って出掛けただけなのに、帰宅したらテレビも消え、音のない世界が果てし無く広がっていた。
夫婦って心の声が聞こえちゃうんだな。
結婚とは、
夫婦で長い時間を共有し、「お互いの心を読む」という特殊能力を獲得するのための修行なのかもしれない。
そして修行には例外なく忍耐が必要なのだ。