最近引っ越しを完了した友人のIさんが、引っ越し先の公園で犬の散歩をしたところ、大量の栗が落ちていたとラインをくれた。
大粒の立派な栗の実がゴロゴロと写真に収まり、炊き上がった美味しそうな栗ご飯の写真も送られてきた。
美味しそうだなー、いいな~と思っていたら、数日して「また拾ったから」と私に栗を届けてくれた。それもあの硬い鬼皮も、剥きづらい渋皮も、全て剥いた状態で!
私は自分は親切な人間だと思っていたけれど、彼女には負ける。彼女ほど親切な人は、他にはちょっと居ないのではないかと思えるほどだ。
恐縮して剥いた栗をいただき、本当であればものすごく手間のかかる栗ご飯が、お米を研いで塩と栗を入れてスイッチを押したら、直ぐに出来上がった。有り難いことだ。彼女に心から感謝!
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いつもはみりんや醤油を使ったりするのだが、シンプルに塩だけにしてみたら、栗の香りが立って、非常に美味しかった。
この美味しい栗ご飯を夫は食べない。天津甘栗は食べるのに…。こんなに美味しいのに、食べないなんて人生損してる…などと思いながら、残った栗ご飯は三角のおむすびにして冷凍した。
その後、Iさんはもう一度むき栗をたくさん持ってきてくれたので、栗の甘露煮を作ってみた。
栗をきれいな色に仕上げるにはくちなしの実が必要で、実の崩れを防ぐにはミョウバンが必要だったりするらしい。それらを使わずに砂糖だけで似た栗は、やはり色は悪く、数個を除いて、ほぼ割れてしまった。おまけに残念な事に、栗の香りも飛んでしまった。
そんな割れた栗を大きいまま、カップケーキに入れて焼いてみたら、意外と美味しかったので、Iさんにお礼として栗のパウンドケーキを焼いて差し上げた。
正に栗三昧だった。
しばらくして、彼女が自宅のそばの喫茶店で、急遽鉛筆画の個展を開くことになった。初日は行けなかったが、翌日ちょっと風が強かったけれど、お天気の良い日だったので、自転車で行ってみた。
彼女の絵を見るといつも思う。一生に一度は、こんな写真みたいな絵を描いてみたいものだなあと。彼女の画力を心底羨ましく思う。
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喫茶店のテラスでコーヒーをすすった後、栗を拾った場所に彼女が案内してくれた。
Iさんが栗を拾った大きな公園は、私が子供の頃にスキーをしたり、ボートに乗ったりと、随分遊び親しんだ月寒公園だった。
私は栗の木のある方向とは逆の場所で遊んでいたので、どんぐりはよく拾ったけれど、栗を拾ったことは無かった。
彼女の新しい住処もちょっと覗かせていただいた。
彼女は狭いと言うけれど、我が家より広く見えたし、お部屋の中も彼女のセンスが光って素敵だった。
ガレージには私たちのトレジャー計画の売り物がまだたくさんあるらしい。
どこまで続く、トレジャーの美食倶楽部。
実は今日2回目の美食倶楽部だった。お店はイタリアン。会食中に、西田敏行さんの訃報を知り、彼の絵を描いていたIさんはショックを受けていた。
人の命の終わりは誰にもわからない。
母はよく「人生は辛いもの」と言った。
でも、友人と集い、美味しいものを食べて、大いに語れば、辛さなど吹き飛んでしまう。
最近になって、つくづく人の巡り合わせの不思議さを感じている。