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ポジティブな私 ポジ人

超人塩沼亮潤氏

1300年の歴史上、二人しか成し遂げた事がない荒行「大峯(おおみね)千日回峰行」を二番目に満行した塩沼亮潤氏のドキュメンタリーを見た

険しい山を一日で登り降りする過酷な修行を、千日の日数をかけて成し遂げたその人は、穏やかな微笑みをたたえた人だった。
修行中の出来事や生い立ちを聞きながら、私は塩沼亮潤氏から目が離せなくなった。

様々なエピソードの中、子供時代のこんな話をされた。
自転車を人から貰った子供が、感謝の言葉を言わなかったという出来事があったらしい。
塩沼少年は、感謝の言葉を述べなかったその子に納得がいかない。家に帰って母親にその話をして、感謝しない子を批判した所、母親より「ばかたれ」と一喝され「人に物をあげるということは、何の見返りも期待しないことだ」と叱られたという。

私が母親だったなら、話を聞いた後に「えーっ、自転車を貰ったのにお礼も言わない子なの?親の躾がなってないねえ」なんて、一緒になってその子の親まで批判していたと思う。
 
経済的にはあまり恵まれずに、祖母と母親との三人暮らしだった塩沼氏が、大偉業を成し遂げるまでの事をもっと色々知りたくなった。ネットで調べてみると氏が本を出していることを知り、早速取り寄せたのだった。

「人生生涯小僧のこころ」
この本には、19歳で修行を始めてから、精神力で乗り越えて来られた塩沼氏の過酷な修行内容の詳細等を知ることが出来る。修行をなされるさなかの驚くべき出来事の数々、その時々の心情などが素直な心で書き記されている。

先ず、その驚くべき修行内容の一つ、大峯千日回峰行とは、奈良県吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂から大峯山(おおみねさん)と呼ばれる山上ヶ岳までの往復48キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて一日で往復し、合計48000キロ歩き続けるという修行だ。
48キロ、それも山道を一日で往復する日が毎日とは想像を絶する修行だ。山を歩く期間は5月3日から9月22日までと決められているそうで、毎年120数日を歩き1000日に到達するまで行うのだ。

一日の行程の距離48キロを男性の平均的歩幅70センチで何歩に相当するのか計算してみた。
何と、68、571歩!一日1万歩でもキツイのに、その7倍近い距離。それも道など整備されていない、雨風によって地形も変わってしまうような荒れた山道だ。
毎日修行は夜の11時半に起床し、滝行で身を清めてからの出発となる。真夜中に提灯の明かりのみで真っ暗闇の山へ入っていくのである。考えただけで恐ろしい。

闇の恐ろしさは私も経験したことがある。若い頃、観光シーズンのさなか、無計画に夫と道東の旅をしたことがある。宿はどこも満室、宿泊先を求めて隣の温泉街まで行こうと、かなり遅い時間に車で山の中に入った。かなりの距離を走行したのだが、遅い時間帯だったのですれ違う車も無く、走っているのは私達の車のみ。行けども行けども温泉町にはたどり着かず。山道の明かりは車のライトだけ。道の両サイドは原生林。倒木等のシルエットが、さらなる恐怖を醸し出した。
「ねえ、何か怖くない?」
私から沈黙を破り夫に話かけ、夫も同じように恐怖を感じていた様だった。
結局もと来た道を戻ったという、そんな事があった。
自動車の中、二人でいても恐ろしかった真っ暗闇の山道。そんな何が出るかわからない暗い山道を、生身の体一つで歩いて行くという事に、どれだけの勇気がいるだろう。

その上、恐ろしい掟がある。
ひと度この行を始めたのなら、途中でやめることは出来ない。やめる時は死ぬ時。自害用の短刀と、首をくくる為の死出紐(しでひも)を何時も携えて修行を行うのだ。険しい山で骨折しても、病気になってもやめられない、そんな修行がこの現代に存在するとは驚きだ。
実際塩沼氏は、危機的状況に何度も陥りながら、「限界の底上げをしながら」乗り越えられた。苦難の際の凄まじい描写を読みながら、氏の忍耐力精神力の人並外れた強さに感服した。

ふと、「ミニヤコンカ奇跡の生還」の著者、松田宏也さんを思い起こさせた。
ミニヤコンカで遭難し、「生きて戻りたい」という精神力だけで下山し、地元民に発見され生還した登山家だ。
本文の中に、確か遭難後、凍りついた硬いザイルを何時間もかけて、歯で切ったというような記述があったと思う。困難な状況下、諦めずに前に進む姿勢に感動し、大きく影響を受けた本だった。

二人に共通したものを感じる。諦めずに精神力で乗り越えるという姿勢。

山道は崖崩れや落石、倒木等、怪我をする危険性のある険しさだが、危険は他にもある。野生動物だ。鹿やイノシシなど、山には様々な動物がいる。塩沼氏は修行に集中するために、熊よけの鈴をはずしていた為、熊に遭遇した。
また、マムシも生息する山道だ。どこに潜んでいるかわからない。提灯の明かりで、枝なのかマムシなのか見極めながら慎重に進まなければならなかったりと、いっときたりとも気を許すことは出来ない。
山には不思議な出来事も多いと聞く。スピリチュアルな体験もされたそうだ。

天候の変動も修行の行く手を大きく阻む。
雨に濡れれば滑りやすい山道、体力も奪われる。履いているのは地下足袋。数日経つだけで、ボロボロになってしまう程だという。
とてつもない修行だ。
それを成し遂げられたとは、超人以外の何者でもない。

テレビのドキュメンタリーでは、塩沼氏の健康診断の様子も撮影されていたが、頭部のレントゲン写真をとった際、驚いたのは脳の一部が欠損している事実だった。本書を読んで、修行中に目の激しい痛みで苦しんだ記述があり、憶測だがこの時の影響ではないかと思われた。これほどまでになるとは、どんな痛みに耐えてきたのであろうかと、その忍耐力に驚愕した。
お医者さんは、いつ痴呆になってもおかしくない状態だと言っていた。さらに白血球の数値が低く、これも、いつ癌になってもおかしく無いと言われていた。
それほどまでに肉体に負荷がかかる修行なのだ。

大峯千日回峰行を9年かけて満行した塩沼氏は、なんと一年後にはさらに過酷な「四無行」という修行を行う。
この行は9日の間「断食、断水、不眠、不臥」つまり「食わず、飲まず、寝ず、横にならず」を続ける行。普通の人なら死んでしまう本当に。
それのみならず、9日間お不動様の御真言と蔵王権現の御真言を各10万遍、合計20万遍唱えなければならないのだという。
記述された日毎の肉体的変化は、人間の体は限界を迎えるとこんな風になるのか、という驚きをもって読み進んだ。
水を全く飲まずにいる状況の中で、唯一修行の中日、5日目にうがいが許されるのだが、決して飲んではいけないのだ。修行と言えど残酷である。
四無行も、緻密な事前準備の上成し遂げられた。

もの凄い方なのだが、「人生生涯小僧のこころ」と初心を忘れず、謙虚な姿勢だ。

この本を読んでからは、自分の悩みも何もかも、とてもちっぽけに思える。

現代で生き方に迷いが生じたり、悩んでいる方々には、たくさんの示唆や行くべき道が記されている本だと思う。

超人なのに、時折お茶目な塩沼亮潤氏の生き方は、誰の心にも影響を与える事だろう。




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