はるらんまん 3人娘と生活…その後

日々思ったこと、感じたことを3人娘の母として...、日記のように適当に書いてます!! 55歳で再婚! 

初めての老人ホーム選び!!

2022-12-07 10:30:27 | 介護
ひとり暮らしの娘が精神的な病気になって長い病院生活を送っていたが

退院が決まった。

ひとり暮らしの母も調子が悪くなり別の病院に入院し、

脱水症状と腎不全だったみたいですぐに元気になった。

どちらも今後は一人での生活は難しいでしょうと先生に言われた。

同時期に退院予定で、

仕事も続けないとお金はないし、

2人一緒にはひとりで見れないし…

我が家の高齢猫ちゃんの調子も悪いし…で…

悪いことは結構続くんだよね

母をひとりで置いとくのはダメだって親戚には言われるので、

どうしろってことだよと頭を抱えた。

まるっきりお金のめどは立たないが…まずは母をいったん?施設に入れることにした。

要支援のまま施設に入れることも大変なので

何とか再認定をお願いし、

ネットで介護施設の資料を請求し、見学に行った。

施設の人が病院で母と面会してくれ何とかうまくいく気がした。

ここで問題発生

施設の人から本人が施設に行くということに承諾なければ動けませんと言われたのだ

母に電話すると

「ひとりで家におるが。施設なんか絶対行かんけん」と。

施設になんかみんな行きたくないって言うって聞いてたから

施設のプロの人が説得してくれると思ってたよ

私の言葉なんて聞かないので、

親戚に数件電話して説得してもらうように頼んだ。

コロナ渦で面会の規制もあるが、

病院に頼んで何とか私からも説得する時間をもらった。

うんとは言わなかったけど「あんたの言うようにするわね」とのこと。

根回しも大事ね」(笑)

何とか施設への入所が決まった

母は施設見学をしていないし、

家に帰すと行きたくないというと聞いてたので

退院後そのまま施設に連れていくことにした。

我儘な母がこんなとこヤダって言わないように

景色の綺麗な新しい施設を選んだ。

お金が続かなくなったら、

仕事を辞め、自宅介護をする覚悟をきめた。

今は娘の状態が良くなることを優先に考えよう。

可哀そうだけど年寄りはそのあとだ。

母の退院の翌週に娘の退院となり、

その3週間後に猫ちゃんの手術。

今年の後半は怒涛の忙しさだった

母の施設入所、娘のアパートの片づけ、

猫ちゃんの病院通い。

カレンダーの予定びっしり

もう年末だよ

今はなんとか、私と夫が元気なことが救いだ

ガンバレ私
















初めての介護!!

2022-10-10 14:26:44 | 介護
ひとり暮らしの母の介護が突然始まった

あれよあれよという間にどんどん悪くなった。

前回のブログの「ぽっくり逝ってくれ」と私が書いた呪いか…

怖いな…

9月ごろから、

「しんどくて朝が起きれんようなった」と起きる時間が遅くなった。

(寝てる時間が多くなったが高齢だから仕方ないよなと思っていた。)

(朝の血圧はかなり低いがかかりつけ医にいくら言ってもどうにもならなかった。)

「便が出らんで苦しくていけんわ」と。

(センナ茶を飲ませたり、下剤を飲ませたり、かん腸を試させたりした。)

それでも出なかったので病院で処置してもらった。

ひとり暮らしで今まではすべての事をちゃんとやっていたのであまり気にしてなかったが、

料理のほとんどが煮物になり、

何日もそれを食べてるようだった。

食も細くなり、あまり食べれなくなった。

ある日、ごはんがないから少し頂戴と連絡が入った。

ごはんと一緒におかずも持っていくことにした。

台所の鍋の中をみて愕然とした。

中のものにカビが生えていた

それから夜はごはんを届けることにした。

また、足は悪くなりどんどん歩きにくくなるようだった。

ある日、夜ご飯を食べさせ、薬を飲ますと椅子に座って寝てしまった。

何度か起こすも起きず、仕方なく何とか引きずってベットまで連れていこうとしたが

足が痛いと叫びそのままうずくまってしまった。

真冬じゃなくてよかったと思った。

そして次の日はトイレで寝てしまい、

必死にベットまで運んだ。

まったく介護などしたこともなく初めての事なので

力任せに運ぶ…引きずることしかできず、

私は腰に痛みを感じた。

台所では食べさせれないのでベットのそばに机を置いた。

朝はご飯の用意をし、食べるように言って仕事に行き、

夜も私の家の事をしてから食事を運んだ。

机の上のペットボトルが飲めなくなった。

ご飯をぽろぽろ落とすのでエプロンを買った。

夜にトイレに行くと危ないのでおむつに変えた。

(このまま昼間にほっといて仕事に行っていいのかな)と葛藤が始まった。

母の家に通い始めて10日間の間にいろんなことが分かった。

年寄りが転んでけがをしたり、お風呂やトイレでなくなることが多いのは

足が上がらないだけでなく急にうとうとどこでも寝てしまうからだ。

今まで手すりが片方でよかったのに両方ないと歩けないこと。

杖じゃ歩けなくなること。

お茶碗がまっすぐ持てなくなること。

ペットボトルの蓋があかないこと。

ベットの手すりがないと起きれないこと。

まっすぐ座っていられなくなること。

急に歩けなくなったので病院にいくために車まで運ぶすべがないこと。

介護タクシーは数日前に予約しないとつかまらないこと。

利用できる在宅サービスも人が足りずできないこと。

年寄りは脱水症状になりやすく、なかなか気づかないこと。

腎機能の低下で薬の見直しが必要なこと。

介護が必要になってから気づくけど、

家の中には段差があるし、狭くて車いすでは生活できない。

ふすまや障子で手すりがつけれない。

お風呂の浴槽が深く足を入れるのが大変…

安い老人ホーム(特老)は介護度が低いと入れない。

何とか介護後が低くても入れるところは悪くなると変わらないといけない。

仕事をやめて介護に入ると生活のお金が足りない、気持ちも持たない。

仕事を続けるのにも老人ホームが高くて入れない、看てくれる人がいない。

歩けないのに介護度が低いと介護保険じゃ車いすが借りれず、自費になるということ。

年寄りは軽いのにコツを知らないと運ぶこともできないこと。

***
歳のせいと思っていた状態は入院しとっても良くなった。

良くなっても歩けないからな…

お風呂はどうしよう、

カットは

おまるを部屋に置く

でもひとりじゃできないか…

施設に入れるとどれくらいお金が持つだろう...

ばあさんがあの世に行くのはあと何年かな…

なんだかシビアにいろんな波が襲ってきた…

***

これはきっとあるあるだ。

洗濯機の中のクズとりがいっぱいでドロドロだった

炊飯器の内蓋が洗ってない… 

オブラートは喉につかえて飲めない様子...

足が思うように動かず、イライラするよう

こんな歳まで生きてるから...と卑屈になる

友達がボケるか亡くなるかホームに行くかで孤独になる

うまく動けないので服を変えることやお風呂が億劫

高齢になるといろいろあるな。

私の老後…社会はどうなってるかな。

ベビーブームの人たちがそろそろ介護が必要になってくるね。

介護職の人たちいるかな…

人のお世話は大変だ




























せめて自分だけは自分の味方で!!

2022-09-23 19:16:36 | 病気
今年の春にふゆが精神的な病気(統合失調症のような症状)を発症した

コロナもあって人との接触を避け

外出も控え、やりたいこともさせず、

たくさんの我慢をさせていた。

難病でたくさんの薬を飲んで免疫力の下がっているふゆが心配で

できるだけ外に出ないように、うつることがないように

私からうつすこともないようにと長時間接触しないように心掛けた。

その結果がこれだ…

デイサービスに通ってる母もうつらないよう、うつさないよう

ひと月ほど休ませたら

目に見えて体調が悪くなった…

何をやってるんだかわからなくなった…

コロナのせいで夫の収入は減るは家族は病気になるわでいいことない…

***
母がどんどん弱って、介護が必要になって…

私は穏やかな気持ちで世話ができるのか今から心配だ

***

昔、母が飼っていた犬を何度もほうきで殴っていたのを目にし、

慌てて止めに入ったことがある。

犬が歳をとり、小屋の中でおしっこをしたからだ。

「叩かんとわからんわね。」

「これはしつけだわね。」と。

(私も叩かれて、殴られて育ったもんな。)

自分が粗相をするようになるかもって考えないのか…

外では毎日犬の散歩をしてかわいがっているふりはしてたのに…

とってもお利口でかわいい犬だった。

ふゆが病気になると

「こんな頭のおかしい子と何で私が一緒に住まんといけんね。」と

母が痴ほうになっても同じことを言ってやろうと思った。

「私が邪魔なら殺してくれ。」と包丁を振り回すわ、

庭のブロックを投げるわ、ソファーの椅子を投げるわ、

90過ぎのおばあさんとは思えないほど暴れてくれる(笑)

三女は過去を許せるようにならないと…っていうけど、

過去じゃなくて現在進行形なのでなかなかだな…(笑)

***

私が幼いころ

家ではアルコールが入ると目が座り、月いちでちゃぶ台返しをしていた父

ストレスを私で発散していた母…

外ではいい父と母の顔をしていたから

いいお母さんだね、いいお父さんだね、と近所の人から言われると複雑だった。

虐待のニュースをみると心が痛むよ。

私よりももっともっとひどい仕打ちを受けてる子供たちがいる現実。

だれひとり味方がいないんだろうな

***

もう私も60になるのに

小学生の時、髪を引っ張って引きずられて

昔のぼっとんトイレに顔を突っ込まれたこと…

夜に服を脱がされ庭に投げられ鍵を閉められたこと…

線香ともぐさをもって追っかけられたこと…

母に命令され、よっぱらって帰ってこない父を暗い夜道、ひとりで迎えに行ったこと…

やった本人は私の10分の1も覚えていないんだろうけど

忘れることのできない傷だ

今思えば小さいころの自分がとても可哀そうだから

そのころの自分の味方は今の自分だ(笑)

弱く、間違ったことをした自分を責めることがあるけど

せめて自分だけは自分の味方でないと自分自身が可哀そう過ぎるよ。

まあ私も母に「子供は叩いて育てんといい子にならん」って教えられたから

(凄い呪縛だな…)

子供に手を上げたことあるし…

もっとおおらかにやさしく育てればよかったと何度も後悔するよ。

若いころの結婚生活も子育ても余裕なかったな

力がなかった。

再婚相手は過去の自分も今の自分も味方になってくれて、

とても感謝してる、それでかなり救われてる。

生きていればいいこともある

母がちょうどいいところでぽっくり逝ってくれて(笑)

ふゆが元の明るい元気なふゆに戻る日がくればいいな

***

最近になって気になることがひとつ。

離婚したとき、長女は小1、次女は年中…

3女は保育所に入れたけど、

小学生で友達がいないといけないと思って幼稚園に入れた次女。

母に殴られてなかったかな

私の知らないところで…

見ているところでは3人とも物差しもった母に追っかけまわされてたけど…






































精神的な病気って?"(-""-)"

2022-08-16 12:03:37 | 病気
人はさみしいと病気になるんだな…

そういえば私も「からの巣症候群」的な感じもあったな…

娘たちとの距離が近かったのでなるだろうなって思ってたから

予想どおり(笑)

私の父母の助けもあったと思うけど、

30歳からひとりで3人の娘を育てて、

寂しい思いをさせないようと努力はしたけど、

土日もバイトをしたりして、

子供たちにもかなり寂しい思いをさせてたんだろうな。

今思えば余裕がなかったな。

次女も小児リウマチになったり、ぜんそくになったり...

3女も高校になると精神的に不安定だったり...

いろいろあったな...

私が更年期で体調と精神的に不安定になって

再婚したんだけど、

長女ふゆにはまたそこで寂しい思いをさせた。

統合失調症は進学、就職、独立、結婚など人生の進路が大きく変化するときに

起こることが多いって。

「結節性硬化症」という難病で知的障害もある長女。

親亡き後、妹たちにできるだけ迷惑をかけないように

ひとりでできるように練習させなきゃと焦ったかもしれない。

自分を守るために、自分が幸せになるために、

娘を犠牲にしたかもしれない。

自分が壊れる前に手をうった私と

それができなかった娘。

わかってやれなかった私。

いろいろ後悔するけど仕方ない。

今できることとこれからの事を考えよう

閉鎖病棟からなかなか脱出できないようで

コロナのせいでなかなか会えず、

頭からふゆのことが離れない。

可哀そうすぎて泣けてくる...

健康に生んでやれなくてごめんね。

こんなに離れてるのは初めてだ。

てんかん薬の副作用の疑い→自己免疫性脳症の疑い→統合失調症の疑い

疑いばかりだ...

脳の病気ってほんと厄介…

はっきり病名がつくまで可能性のあるものを除外していく方法しかないのかな...

てんかんも症状をみて薬を変えながら

「これ」っていうはっきりしたもがなく、

雲をつかむようなふんわりとした感覚で

何十年も過ごしてきたわけで、

もっと検査結果と状況でバチッとあう薬を決めれるように

医療が進まないかね。

なかなかにじれったい

痴ほうもそうか…

脳の不思議さについていけないよ。

今までと違うふゆの姿に悲しくなる。

早く元気に、元のふゆに戻って欲しいな。

いやいや、何があってもふゆはふゆだ。

ありのまま、そのまま。

現在も過去も未来も受け入れよう。

悔やんでも変わらない過去だし、

なるようにしかならない未来だ。

これからの事はその都度考え決断するとして、

一度リセットだ。

今まで寂しい思いをさせてごめんね。

これからもずっと3人娘の幸せを願うよ。
























てんかん性精神病って何?

2022-05-18 14:39:50 | 病気
B型作業所に通っていた長女ふゆが精神的な病気で入院した。

初めて聞いた「てんかん性精神病」

長女が生まれてからずっと「抗てんかん薬」を飲んでいた。

なので30数年飲んでることになる。

なかなか発作のコントロールもできないので

一生薬は飲まないといけないんだろうな…と思ってはいたけど、

統合失調症のような症状がでて、

普通の生活ができなくなった。

30数年脳神経小児科やら脳神経内科やらずっと通って、

薬をもらってたけど、

そんなリスク…一度も聞いたことなかった

その薬のせいなのか、元々の病気のせいなのか…

本人の体力的な疲れと発作の回数が増えたから

体力を使う仕事量を減らしてもらった。

かなりストレスが溜まっているのがわかったから

週の途中で休みを希望したのに→受け入れてもらえなかった。

よく観察し、辛そうなら休ませますって返事…

無理やりでも休ませればよかったと後悔…

時給200円にもならない作業で利用者との関係や仕事で精神的に疲労し、

従来の難病に加えまた辛い病気を併発とは…

可哀そうすぎて、泣くしかない

どうなってんだろう

福祉の支援って

***

数年前、厚労省が利用者の賃金及び工賃を訓練等給付費から支払うことを原則禁止したため

事業収益から支払うことになり、長女はA型就労からB型へ有無を言わさず

変更させられた。

長くお世話になっている事業所さんなので、

1時間の標準報酬を出せる仕事ができないといわれればそれまでだ

前にも書いたが標準報酬をもらえる仕事ができるなら

一般で働けばいいことで、

障害や病気で働けないから障がい者の就労施設で働いているのだ。

この地域でも数年前から比べ、A型作業所(最低賃金保障の働き方)が減り、

B型の作業所(工賃で働く)が増えた。

作業所での本人の工賃をできるだけ高くするために

一般企業からの委託業務で外でも働く時間が増えた長女。

仕事のできない人は好きなことをしているというB型作業所で

なんで私だけという不利益を感じてたようだ。

やりたくない仕事を延々とさせられ、

仕事を辞めたいと言っても辞めさせてもらえず…

自分での決断が難しく、

今までの仕事は私がすべて本人の精神的な状態や希望を感じとりながら

辞めさせる決断と次の方向を探してきた。

私が年を取ってきて今後の不安からこのままじゃいけないと思い

できるだけ自分で決断できるようにと相談員と決め数年やってきたのだ。

それでこういう病気になってまったく働ける状態でなくなるという状態。

作業の賃金は無くなり、入院代と本人のアパートの維持費がかかるようになった。

何よりも病気が治って一人で生活できるようになるのかという今後の不安…

こんなことなら前のように介入して

私が決めればよかった。

今までは本人の決断がはっきりと確認できず、

いろんなことに手出しをしてきて後悔したが、

病状悪化…となると話が違う。

病気になってからじゃすべて遅いけど…

福祉施設に通って、

常に本人からの相談に応じて支援するって…何

作業所の賃金を上げるために躍起になって、

働ける人は働かせる体制に疑問を感じる。

楽しく作業所で遊んでいる(好きなことをさせてもらっている)人たちと

やりたいと思ったことを賃金に反映しないからと言われ、

やらせてもらえなかった長女。

B型作業所で病気にさせられたと思うのは間違いかな…

前触れに気づかなかった職員さんは

やっぱ守れるのは私しかいなかったのか…

A型とB型だけでなくもっと細分化が必要だ。

老人介護の制度もそう

本人の能力に応じてもっと評価を細分化して

支援の幅をひろげて欲しい。

介護施設に入れるお金をもっと安くして欲しい。

家で見なきゃいけない高齢者、障がい者…

働かないと入らないお金…

信頼できない福祉の実情…

まあ、私じゃ何もできないけどね。

何を取って何をやめるか…

うまく動けない私の頭と体…(笑)

(そんだけ悩んでるんなら痩せろよって話←)

さあ、今日も頑張るぞ

未来の希望をもって。