はるらんまん 3人娘と生活…その後

日々思ったこと、感じたことを3人娘の母として...、日記のように適当に書いてます!! 55歳で再婚! 

勘違い!!(^_^;)

2020-11-25 10:35:48 | 病気
以前にも書いたが、50肩?で夜も眠れない激痛、

手のしびれ、

膝腰の痛み、

記憶力の低下・・・

目眩、

咽喉頭異常感症、

脚のむずむず脚症候群....etcで

あちこちの整形外科、

耳鼻咽喉科、総合病院に行っても治らず…

この肩の痛みはあまりにも耐えがたかったため、

このままいくと気が狂うかと思った

かなりの限界まで来ていた。

いろいろ調べまくり、自己申告で「線維筋痛症」ではないかと疑い

かかりつけの先生に「リ〇〇」を処方してもらった。

飲んだその日から朝4時まで寝れるようになった。

なぜか4時で薬の効果が切れるので

そこからはまた痛みに耐えつつ朝まで我慢するんだけど

処方は1回量25mg一番少ないやつ…朝と晩

1回量75mgのリ〇〇もあるんだから

もう一錠飲めばこの激痛から救われるんじゃない?

上手くいけば治るんじゃない?と

いつものように自己判断、自己責任において

1回量50mg飲んでみたが変わらず(笑)

それならと朝4時にもう一度飲んで見たら

ちょっとだけ寝れたりして…

そんなこんなで痛みが出たら飲む…という薬依存の状態に突入

体調不良で仕事が続けれず仕事を辞め再婚したのはいいんだけど、

長女が知的障害なのに、

今後の事や私たちの都合からひとり暮らしをさせたため

若干の生活費と私のこづかい分は私が稼がねばならず、

見切り発車で再就職をしたころの話だ。

仕事中も動悸、手の震え、しびれは止まらず

続けられるか焦る日々…

そのうえ、薬を飲み続けた副作用か

全く前兆も自分では何も感じないのに

ふらつき廊下の壁に激突することが数回(笑)

どうもおかしな状況…

上司の言われた指示も数秒で忘れ、

車の駐車中、後ろに柱があるな~~と確認し気をつけなきゃと思っていたにも関わらず

バック中にはすっかり忘れるという状態

自分の目も頭も何もかも信じられなくなりヤバイ感じ

とうとうきたか...って

仕事を続けたいがために頼る薬で

仕事が続けられなくなるという事....

それならばと痛かろうが眠れなかろうが耐えてやろうと決意し

病院の薬はやめた。

でも何もしないのは辛いので(笑)

命の〇と漢方シ〇〇ックを飲み続けることにした。

50肩?になってから1年… 

あれ 治ってきた・・・(笑)

長かったな....

本当に50肩と更年期だったらしい…

まだ時々脚はだるかったり、肩が痛かったりで目の覚めるときはあるが

この膝や腰の痛み、記憶力の低下は年のせい…

ホルモンバランスの崩れなのだろう・・・(笑)

「線維筋痛症」と診断され苦しんでいる人には申し訳ないが

私は多分違ったようだ…

で、原因不明な病気がいっぱいあって

そこには原因不明なもんで対処しようと考えた(笑)

いい音楽を聴くと野菜もよく育つようなので

youTubeでソルフェジオ周波数528Hz

または音楽療法を聴くことにした

その効果のほどは知らないが(笑)

なんだか調子がいい(笑)

自分の脳みそを誤魔化しつつ今日も頑張るよ(笑)

・・・・ってなこと

ご心配をおかけした周りの人たち、

私は50肩と更年期でした~~




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夫婦ってなんだろ?

2020-11-22 09:45:53 | 結婚・離婚
11/22、今日はいい夫婦の日だそうです

私たち夫婦の日です(笑)

ま、再婚2年目なんでそんなことも言える訳で…

60近くなって結婚生活を7年以上したことがないので

長年寄り添った夫婦がどんなもんなのかちっともわかりません

ただ、母は父が亡くなるまで長く商売をして一緒にいたので

身近な参考はそれだけです。

***

先日父の13回忌の法事をしました。

父は肺がんが見つかった時、

先生には治療をしてもしなくても長くて1年ぐらいと言われました。

私は一人娘で母はショックを受ける人なので

すべての決断は私一人でした。

父は治療して治る気満々で抗がん剤治療に前向きだったので

先生から言われた言葉は誰にも告げず父は苦しい抗がん剤の治療に入りました。

抗がん剤治療の他に何度か骨折やらなんやらで入院生活もあったけど

最後は少し吐血し病院に行き検査を受けている途中で

先生のミスでカメラが傷口にひっかかり

大量の出血でそのまま検査室から出てこれず…という最後だったのです。

母は歩いて検査室に入って行った父を検査室の外の椅子でずっと待っていた状態です。

何度かの入院生活のとき、

父は「お前と結婚してよかった。生まれ変わってもまたお前と結婚する。」

と言っていたと母はとても喜んでいました。

私の夫に言わせると「弱ってるときに聞いたらみんな同じ事を言うわね。今変なことを言って見捨てられたら困るからね。」って(笑)

なるほどね

***

先日13回忌前にやっと父の残した日記を読むことができました。

悲しくて見ることができず、

何か私たちにメッセージがあるかな?と思い開いたのだけど…

メッセージらしきものは何もなかったです(笑)

亡くなるその日までの毎日の熱と体調の記録のみ

でも、2か所だけメモらしきものがありました。

毎日髪が抜け枕にくっつき几帳面な父がそれが

取っても取っても取りきれない事の嘆きと頭の禿げることの辛さ。

先生に相談したら「また生えてきますから」って言われたと…

いくつになってもそれは辛いんだなって生前の父を思い出し

ちょっと うふふっ て…

もう一つは母と喧嘩したこと

入院費等の支払いのお金に困って

200円の宝くじを買って母に怒られて

全てのお金とクレジットを取り上げられたこと。

「この年になってお金がなく、たった200円の宝くじを買ったぐらいでこんなに怒られて、情けない。」って。

泣きました

父が亡くなって、入院費の支払いで使ったであろうクレジットの融資の請求書が来ていたことと

入院途中でも医療保険の請求を自分でしていたことをあとで知りましたが、

私は生前から状況を理解していたのでいい時に亡くなったんだと思っています。

私が一人で娘3人を育て、

以前に父の仕事の仕入れのためにお金を貸したり

家のリフォームでの借金を知っていたので

私に相談はできなかったものと思います。

それについてはちょっと心苦しい気持ちもあります。

ただ、亡くなった後に母と喧嘩をしてその日の辛い気持ち…

この日記(?)が残る事、母がこれを見てなかったならいいんだけど…って思います。

過去に喧嘩して父に車がいっぱい通る道路に押されて危ない目にあった母、

母から包丁を投げられそうになった父…

喧嘩も絶えなかったけど死ぬまで寄り添う夫婦ってどんなもんなんだろう(笑)

恨み言を書いた日記を残しちゃいけないってのは教訓です(笑)

さてさて 私たち夫婦は死ぬまで一緒にいれるかな(笑)

結婚2年目のひとりごとです。

これから先の未来がちょっと不安(笑)

前夫は私にないものをいっぱい持ってる人で刺激的だったけど

今の夫は今の私と同じ考えを持つ人なのでとても楽です。

自分の生きてきた人生で相手も今の自分と合う人が必要となると

何度結婚すればいいやら…(笑)

でも、今は今の夫(笑)と周りのすべてに感謝し

何度か死を選びかけた私に待っていた今現在の幸せに感謝します。

この感謝をどこに返していこうかしら....(笑) 


         よき





















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