11/22、今日はいい夫婦の日だそうです
私たち夫婦の日です(笑)
ま、再婚2年目なんでそんなことも言える訳で…
60近くなって結婚生活を7年以上したことがないので
長年寄り添った夫婦がどんなもんなのかちっともわかりません
ただ、母は父が亡くなるまで長く商売をして一緒にいたので
身近な参考はそれだけです。
***
先日父の13回忌の法事をしました。
父は肺がんが見つかった時、
先生には治療をしてもしなくても長くて1年ぐらいと言われました。
私は一人娘で母はショックを受ける人なので
すべての決断は私一人でした。
父は治療して治る気満々で抗がん剤治療に前向きだったので
先生から言われた言葉は誰にも告げず父は苦しい抗がん剤の治療に入りました。
抗がん剤治療の他に何度か骨折やらなんやらで入院生活もあったけど
最後は少し吐血し病院に行き検査を受けている途中で
先生のミスでカメラが傷口にひっかかり
大量の出血でそのまま検査室から出てこれず…という最後だったのです。
母は歩いて検査室に入って行った父を検査室の外の椅子でずっと待っていた状態です。
何度かの入院生活のとき、
父は「お前と結婚してよかった。生まれ変わってもまたお前と結婚する。」
と言っていたと母はとても喜んでいました。
私の夫に言わせると「弱ってるときに聞いたらみんな同じ事を言うわね。今変なことを言って見捨てられたら困るからね。」って(笑)
なるほどね
***
先日13回忌前にやっと父の残した日記を読むことができました。
悲しくて見ることができず、
何か私たちにメッセージがあるかな?と思い開いたのだけど…
メッセージらしきものは何もなかったです(笑)
亡くなるその日までの毎日の熱と体調の記録のみ
でも、2か所だけメモらしきものがありました。
毎日髪が抜け枕にくっつき几帳面な父がそれが
取っても取っても取りきれない事の嘆きと頭の禿げることの辛さ。
先生に相談したら「また生えてきますから」って言われたと…
いくつになってもそれは辛いんだなって生前の父を思い出し
ちょっと うふふっ て…
もう一つは母と喧嘩したこと
入院費等の支払いのお金に困って
200円の宝くじを買って母に怒られて
全てのお金とクレジットを取り上げられたこと。
「この年になってお金がなく、たった200円の宝くじを買ったぐらいでこんなに怒られて、情けない。」って。
泣きました
父が亡くなって、入院費の支払いで使ったであろうクレジットの融資の請求書が来ていたことと
入院途中でも医療保険の請求を自分でしていたことをあとで知りましたが、
私は生前から状況を理解していたのでいい時に亡くなったんだと思っています。
私が一人で娘3人を育て、
以前に父の仕事の仕入れのためにお金を貸したり
家のリフォームでの借金を知っていたので
私に相談はできなかったものと思います。
それについてはちょっと心苦しい気持ちもあります。
ただ、亡くなった後に母と喧嘩をしてその日の辛い気持ち…
この日記(?)が残る事、母がこれを見てなかったならいいんだけど…って思います。
過去に喧嘩して父に車がいっぱい通る道路に押されて危ない目にあった母、
母から包丁を投げられそうになった父…
喧嘩も絶えなかったけど死ぬまで寄り添う夫婦ってどんなもんなんだろう(笑)
恨み言を書いた日記を残しちゃいけないってのは教訓です(笑)
さてさて 私たち夫婦は死ぬまで一緒にいれるかな(笑)
結婚2年目のひとりごとです。
これから先の未来がちょっと不安(笑)
前夫は私にないものをいっぱい持ってる人で刺激的だったけど
今の夫は今の私と同じ考えを持つ人なのでとても楽です。
自分の生きてきた人生で相手も今の自分と合う人が必要となると
何度結婚すればいいやら…(笑)
でも、今は今の夫(笑)と周りのすべてに感謝し
何度か死を選びかけた私に待っていた今現在の幸せに感謝します。
この感謝をどこに返していこうかしら....(笑)
よき
私たち夫婦の日です(笑)
ま、再婚2年目なんでそんなことも言える訳で…
60近くなって結婚生活を7年以上したことがないので
長年寄り添った夫婦がどんなもんなのかちっともわかりません
ただ、母は父が亡くなるまで長く商売をして一緒にいたので
身近な参考はそれだけです。
***
先日父の13回忌の法事をしました。
父は肺がんが見つかった時、
先生には治療をしてもしなくても長くて1年ぐらいと言われました。
私は一人娘で母はショックを受ける人なので
すべての決断は私一人でした。
父は治療して治る気満々で抗がん剤治療に前向きだったので
先生から言われた言葉は誰にも告げず父は苦しい抗がん剤の治療に入りました。
抗がん剤治療の他に何度か骨折やらなんやらで入院生活もあったけど
最後は少し吐血し病院に行き検査を受けている途中で
先生のミスでカメラが傷口にひっかかり
大量の出血でそのまま検査室から出てこれず…という最後だったのです。
母は歩いて検査室に入って行った父を検査室の外の椅子でずっと待っていた状態です。
何度かの入院生活のとき、
父は「お前と結婚してよかった。生まれ変わってもまたお前と結婚する。」
と言っていたと母はとても喜んでいました。
私の夫に言わせると「弱ってるときに聞いたらみんな同じ事を言うわね。今変なことを言って見捨てられたら困るからね。」って(笑)
なるほどね
***
先日13回忌前にやっと父の残した日記を読むことができました。
悲しくて見ることができず、
何か私たちにメッセージがあるかな?と思い開いたのだけど…
メッセージらしきものは何もなかったです(笑)
亡くなるその日までの毎日の熱と体調の記録のみ
でも、2か所だけメモらしきものがありました。
毎日髪が抜け枕にくっつき几帳面な父がそれが
取っても取っても取りきれない事の嘆きと頭の禿げることの辛さ。
先生に相談したら「また生えてきますから」って言われたと…
いくつになってもそれは辛いんだなって生前の父を思い出し
ちょっと うふふっ て…
もう一つは母と喧嘩したこと
入院費等の支払いのお金に困って
200円の宝くじを買って母に怒られて
全てのお金とクレジットを取り上げられたこと。
「この年になってお金がなく、たった200円の宝くじを買ったぐらいでこんなに怒られて、情けない。」って。
泣きました
父が亡くなって、入院費の支払いで使ったであろうクレジットの融資の請求書が来ていたことと
入院途中でも医療保険の請求を自分でしていたことをあとで知りましたが、
私は生前から状況を理解していたのでいい時に亡くなったんだと思っています。
私が一人で娘3人を育て、
以前に父の仕事の仕入れのためにお金を貸したり
家のリフォームでの借金を知っていたので
私に相談はできなかったものと思います。
それについてはちょっと心苦しい気持ちもあります。
ただ、亡くなった後に母と喧嘩をしてその日の辛い気持ち…
この日記(?)が残る事、母がこれを見てなかったならいいんだけど…って思います。
過去に喧嘩して父に車がいっぱい通る道路に押されて危ない目にあった母、
母から包丁を投げられそうになった父…
喧嘩も絶えなかったけど死ぬまで寄り添う夫婦ってどんなもんなんだろう(笑)
恨み言を書いた日記を残しちゃいけないってのは教訓です(笑)
さてさて 私たち夫婦は死ぬまで一緒にいれるかな(笑)
結婚2年目のひとりごとです。
これから先の未来がちょっと不安(笑)
前夫は私にないものをいっぱい持ってる人で刺激的だったけど
今の夫は今の私と同じ考えを持つ人なのでとても楽です。
自分の生きてきた人生で相手も今の自分と合う人が必要となると
何度結婚すればいいやら…(笑)
でも、今は今の夫(笑)と周りのすべてに感謝し
何度か死を選びかけた私に待っていた今現在の幸せに感謝します。
この感謝をどこに返していこうかしら....(笑)
よき