さて、19日。宿を出て高野龍神スカイラインを北上し、高野山を目指す。
途中、護摩壇山のごまさんスカイタワーに立ち寄り、尾根と谷のコントラストが綺麗な山々を見る。護摩壇山の由来は、この地に逃れてきた平維盛が山頂で護摩をたいて平家の運命を占ったからだとか。ここにも大河にゆかりの地があったんだ。
高野山は、まず奥ノ院に。でっかい杉の木と企業の墓(供養塔)がいっぱいあるのには驚いた。企業の供養塔なんてこれまで見たことがなかったから。
さらに進むと、今度は戦国~江戸期の大名の墓が立ち並ぶ。織田信長、豊臣秀吉、前田利長などの戦国大名のほかにも、浅野内匠頭や脇坂淡路守ら忠臣蔵ゆかりの面々も。
次に総本山である金剛峰寺に。弘法大師こと空海が開いたとばかり思っていたが、現在の金剛峰寺は、秀吉が母の供養のために建てた青巌寺が改称されたものだそうだ。空海が命名した金剛峰寺とは、高野山一山の総称であったらしい。うーん、勉強になった。
中には、趣のある襖絵や石庭があってgood。天皇・上皇らの間は、壁が金箔でびっしり。あれではかえって落ち着かないのと違う?秀吉の甥である豊臣秀次が切腹した柳の間もあり、当時に思いを馳せる。
お次は、九度山の真田庵。関ヶ原で敗れた真田昌幸・幸村父子が流された場所だ。好きな武将NO.1の真田幸村ゆかりの地に行かない訳にはいかんでしょう。
てことで、いざ行かん!と思ったはいいが、どうも駐車場がないらしい。表通りから一本入ると細い路地。ある金融機関の駐車場をちょっとお借りして、そこから徒歩で向かう。しかし、本当に道が狭い。尾道の路地を思い出すよ。
六文銭の門など名残のあるものが少しあったが、全体的にはちょっと古い民家って感じ。敷地内に資料館があったので入ってみる。真田太平記の写真が貼ってあったのは懐かしかったなあ。真田太平記は、今まで観てきた中で一番良かったと思う時代劇。DVDで復活してくれないかなぁ。
もひとつ地味なスポット根来寺に。戦国時代の根来衆の本拠地だが、雑賀衆と混同してた。根来衆と雑賀衆って、全然別物なんだ。まだまだ勉強不足っす。
そしてそして、最後の目的地が和歌山城。復元ではあるが、紀伊御三家55万5千石の居城に相応しい城だった。
大天守、小天守、櫓を繋いで曲輪を形成する連立天守は結構珍しい。天守内には、いろんなものが展示してあるが、必ずといっていいほどあるのが、全国の城の写真。いつも、その写真だけ見てどこの城かを当てるミニクイズをやっているが、今日も当然開催。結果は、イマイチだった。でも、ここの写真は分かりにくいマイナーなアングルのものばかりだよ。まだまだ修行が足らないってことね。
日本の城が好きなのは、天守と石垣の雄大さ。ここは両方が観られ、しかもその規模も申し分なく満足だった。
いやあ、中身の濃い紀州の旅だった。
途中、護摩壇山のごまさんスカイタワーに立ち寄り、尾根と谷のコントラストが綺麗な山々を見る。護摩壇山の由来は、この地に逃れてきた平維盛が山頂で護摩をたいて平家の運命を占ったからだとか。ここにも大河にゆかりの地があったんだ。
高野山は、まず奥ノ院に。でっかい杉の木と企業の墓(供養塔)がいっぱいあるのには驚いた。企業の供養塔なんてこれまで見たことがなかったから。
さらに進むと、今度は戦国~江戸期の大名の墓が立ち並ぶ。織田信長、豊臣秀吉、前田利長などの戦国大名のほかにも、浅野内匠頭や脇坂淡路守ら忠臣蔵ゆかりの面々も。
次に総本山である金剛峰寺に。弘法大師こと空海が開いたとばかり思っていたが、現在の金剛峰寺は、秀吉が母の供養のために建てた青巌寺が改称されたものだそうだ。空海が命名した金剛峰寺とは、高野山一山の総称であったらしい。うーん、勉強になった。
中には、趣のある襖絵や石庭があってgood。天皇・上皇らの間は、壁が金箔でびっしり。あれではかえって落ち着かないのと違う?秀吉の甥である豊臣秀次が切腹した柳の間もあり、当時に思いを馳せる。
お次は、九度山の真田庵。関ヶ原で敗れた真田昌幸・幸村父子が流された場所だ。好きな武将NO.1の真田幸村ゆかりの地に行かない訳にはいかんでしょう。
てことで、いざ行かん!と思ったはいいが、どうも駐車場がないらしい。表通りから一本入ると細い路地。ある金融機関の駐車場をちょっとお借りして、そこから徒歩で向かう。しかし、本当に道が狭い。尾道の路地を思い出すよ。
六文銭の門など名残のあるものが少しあったが、全体的にはちょっと古い民家って感じ。敷地内に資料館があったので入ってみる。真田太平記の写真が貼ってあったのは懐かしかったなあ。真田太平記は、今まで観てきた中で一番良かったと思う時代劇。DVDで復活してくれないかなぁ。
もひとつ地味なスポット根来寺に。戦国時代の根来衆の本拠地だが、雑賀衆と混同してた。根来衆と雑賀衆って、全然別物なんだ。まだまだ勉強不足っす。
そしてそして、最後の目的地が和歌山城。復元ではあるが、紀伊御三家55万5千石の居城に相応しい城だった。
大天守、小天守、櫓を繋いで曲輪を形成する連立天守は結構珍しい。天守内には、いろんなものが展示してあるが、必ずといっていいほどあるのが、全国の城の写真。いつも、その写真だけ見てどこの城かを当てるミニクイズをやっているが、今日も当然開催。結果は、イマイチだった。でも、ここの写真は分かりにくいマイナーなアングルのものばかりだよ。まだまだ修行が足らないってことね。
日本の城が好きなのは、天守と石垣の雄大さ。ここは両方が観られ、しかもその規模も申し分なく満足だった。
いやあ、中身の濃い紀州の旅だった。