Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

よっちゃん

2024-10-23 13:35:24 | エッセイ

 

 

「吉一叔父さんの命日、分かりますか」

長崎の姪がよっちゃんの命日を尋ねてきた。

吉一というのは僕の2つ上の兄で、「よっちゃん」と呼んでいた。

「えっ、どうしたの?」突然のLINEにいささか虚を突かれ、

すぐには出てこなかった。

「先日、父の墓参りに行き、墓石を見たら

叔父さんの命日だけが刻まれていないんですよ」

父というのは13歳違いの長兄のことだ。

「えっ、おかしいな。ちゃんと刻まれていたはずなんだがね」

「それが、どう探してもないんです。一人だけ、寂しいじゃありませんか。

命日が分かれば、お参りもしてあげたいし……」

 

長崎にある当家の墓には両親はもちろん、3人の兄と2番目の姉、

それと長女の連れ合い、つまり義兄も入っている。

本来なら、末っ子ながらこの僕が墓を守っていかなければならないのだが、

長崎を離れて40年以上、今は福岡に住んでいる。

役目がままならない僕に代わり長崎に住む姪たちが

親の墓参りをしながら、守ってくれているのである。

「分かりますか。分かれば、ちゃんと刻んであげたいと思っているんです」

急いで手帳をめくった。

ここには両親はもちろん兄姉たちの命日を書き留めている。

よっちゃんのそれは平成4年1月20日だった。

 

         

 

よっちゃんは、心を病んだ。

どんな事情があったのか東京の会社を辞め、母が一人暮らす長崎の実家に、

それこそ忽然と戻ってきたのである。

もともと寡黙な人だった。何があったのか、一言も語ることはなかった。

やがて、昼と夜が真逆の生活となり、

また理解しがたいようなことを口走るようになった。

 

看過できぬ状態に、兄や姉が皆で、「医者に診てもらえ」と説得するのだが、

「俺はどこも悪くない」と言い張るばかり。

ついに長兄が「いちばん仲が良かったお前が話をしろ」と

僕にその役を任せたのだった。実はそれを待っていた。

よっちゃんの気性は、やはり僕がいちばん分かっていたと思う。

2人だけになり、小さい頃一緒に遊んだ思い出話ばかりした。

少しずつよっちゃんの表情は和らいでいった。

頃合いを見計らい、「俺と一緒に病院に行ってみよう」と話しかけると、

黙って小さく頷いたのだった。

 

医師は小さい頃から今日までの、それこそよっちゃんの生涯を

本人から事細かに聞いていく。

そして、「このまま入院してもらい、すぐに治療を始めます」と診断したのだった。

覚悟はしていたが、やはり心は重く沈み込んだ。

病室まで付き添った。それも鉄格子の入り口まで。

その先へは入れず、看護師に伴われ病室へ向かう後ろ姿を見送るしかなかった。

こちらを振り向くこともない鉄格子越しのその姿を、溢れ出る涙が隠していった。

 

入院・治療の甲斐あって、よっちゃんの症状は見違えるほど軽減、

通院治療に切り替わり、僕らの気持ちをわずかながらも軽くした。

だが……よっちゃんは自ら死を選んだのである。

あれは平成2年の8月9日、長崎では例年通り原爆慰霊祭が行われた日だった。

11時2分に慰霊のサイレンが鳴り響いた直後、長崎の姉が

「よっちゃんが、よっちゃんがね。大ごとたい。あんた、急いで帰って来てやらんね」

ひどく切迫した電話をかけてきた。

詳しいことは分からないが、何か事故にあったらしい。

とにかく姉が告げた長崎の病院に車を走らせた。

 

 

どうやら一命はとりとめた。

だが右足の膝から下を切断せざるを得なかったし、

顔をはじめ体のあちこちにひどい損傷を負った。

それでも治療の甲斐あって、いったんは会話できるほどには回復したのである。

だが、その希望の日も長くはなかった。

引き続きの治療中、突然意識を失くし植物人間の状態となってしまったのである。

2人きりの病室。話しかけても無論返事はない。

ハンサムだったあの顔も失くしてしまった。

めくれた布団からわずかに足先がのぞいている。

「起きろ」と足の指をくすぐれば、わずかに動かし生きていることを示すだけで、

それ以上のことは何も起こらない。

ついには平成4年の年明け早々息を引き取ったのである。51歳であった。

 

自らの行く末に絶望したのか、

それとも老いた母にこれ以上の負担をかけまいとの優しさなのか──

「何故」と問うても答えず、

手帳に挟んだ写真のよっちゃんは薄く笑うばかりである。

 

 

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もう一度会いたい | トップ | 3食昼寝付き »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クリン)
2024-10-23 15:00:24
つらいお話ですね・・🐻
よっちゃんさまの魂が天国でやすらかなれとねがいます🌈✨
返信する
Unknown (Toshiが行く)
2024-10-23 19:19:45
クリンさん ありがとうございます。
兄は3人いましたが、この兄とは2つ違いだっただけに小さい頃からいつも一緒に遊んでいました。
2人だけの病室の光景は忘れられません。
返信する
Unknown (murasaki)
2024-10-24 10:12:19
おはようございます~
いつも有難うございます、

吉一ことやっちゃんのお兄様、
どこで何が変わって行かれたのでしょうね、
私の訪問介護時代は精神の人もいてお家に訪問しご本人をしっかり支えないと大変な事になるようでした、

叉お墓に名前が無いと言うのは、
地方、宗派により違いますが、誰かが施主になって法要をしないと後々も法事もできないままで俗に言う浮かばれない人になると言う事みたいです、
出来ることなら詳しい事を知っておられるtoshi さんがお墓に家族仲良く名前を入れて上げてはいかがでしょうか?

読ませて頂いてドラマの様な人生で人の心の中は分からない、toshi さんの回想も含め
お兄様がお気の毒で儚いですね🍃
返信する
Unknown (murasaki)
2024-10-24 10:14:12
あ、ごめんさい よっちゃんなのに🙏
返信する
Unknown (Toshiが行く)
2024-10-24 10:45:35
murasakiさん ありがとうございます。
実は兄の命日はちゃんと墓石に刻まれていたのですが、
なぜか痛みがひどく見えずらくなっていました。
それで後日きちっと刻んだんです。
せめてもの慰めです。
返信する

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事