高円寺庚申通り商店街
高円寺駅から北へ、純情商店街を抜けていくとやや細い庚申通り商店街になる。庚申塚があることから、歴史のある商店街で、若者向けのカフェやラーメン店などができる一方、精肉店や魚屋など生活に密着したお店もそろっている商店街である。北に進むと早稲田通りになるが、かって拡幅計画があった名残の場所がある。
シンボルの庚申塔は、室町時代頃からはじまり、江戸時代さかんに建立された庚申塔は、本尊が青面金剛で、多くは見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が刻まれている。
庚申通り商店街にある庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のために建立したもので、はじめ現在のところで真南に向かって鎮座していたこの塔は、大正12年の関東大震災で横転しまし、その後西向きに建て直しました。昭和20年の東京大空襲の際、戦火をかぶり塔の一部が破損したので、昭和37年現状のように修復されました。
高円寺駅から北へ、純情商店街を抜けていくとやや細い庚申通り商店街になる。庚申塚があることから、歴史のある商店街で、若者向けのカフェやラーメン店などができる一方、精肉店や魚屋など生活に密着したお店もそろっている商店街である。北に進むと早稲田通りになるが、かって拡幅計画があった名残の場所がある。
シンボルの庚申塔は、室町時代頃からはじまり、江戸時代さかんに建立された庚申塔は、本尊が青面金剛で、多くは見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が刻まれている。
庚申通り商店街にある庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のために建立したもので、はじめ現在のところで真南に向かって鎮座していたこの塔は、大正12年の関東大震災で横転しまし、その後西向きに建て直しました。昭和20年の東京大空襲の際、戦火をかぶり塔の一部が破損したので、昭和37年現状のように修復されました。