浅草(あさくさ)
11月1日の浅草は、天皇賞などがあり、賑わっていました。浅草寺の門前町として繁華街および観光地となっています。また浅草駅は東京メトロ銀座線、都営浅草線と東武スカイツリーラインが接続しているほか、つくばエクスプレスの浅草駅とも近接しており、東京都区部と北関東を結ぶ拠点となっています。
浅草の歴史は、歌川広重『猿わか町の夜』に紹介されているように、猿若町(現・浅草6丁目)には江戸三座があり、劇場街として賑わました。
628年推古天皇の時代、この土地の漁師、檜前浜成・竹成兄弟が、隅田川で観音像を網ですくい上げ、礼拝供養したことから始まります。浅草寺一帯は太古の時代から浅草台地の高台で、現在の待乳山、弁天山、蔵前、鳥越神社付近などから陸地化が進みました。隅田川の河口近くで海の幸にも恵まれ官道も通り、やや高台でもあって災害からも避難しやすい土地だったため町の発展が早かった。確実な史料における浅草という地名の初見は、鎌倉幕府が編纂した『吾妻鏡』です。1181年(養和元年)の条に、鶴岡八幡宮造営のため、武蔵国浅草の宮大工と招いたと記されます。地名の由来は『台東区史』沿革編(昭和41年)で諸説が紹介されており、草深い武蔵野で「草が浅く茂っていたから」という地形描写説のほか、「海を越す」を意味する「アツアクサ」というアイヌ語説や「聖者のいる場所」を意味する「アーシャ・クシャ」というチベット語説などがあります。
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