神楽坂(かぐらざか)
同地は、東京都新宿区で牛込地区に位置し、早稲田通りの大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂道です。坂の周辺の地名でもあり、町丁は神楽坂一丁目から六丁目があり、全域住居表示未実施になっています。なお大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」と呼ばれています。この地名は東京メトロ東西線神楽坂駅や都営大江戸線牛込神楽坂駅など駅名にも使われています。
江戸時代には、外堀に設置されていた牛込門に通じる交通の要衝だったそうです。「神楽坂」の名称の由来について、『江戸名所図会 巻之四』(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれます。 また、「改撰江戸志」には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されていそうです。
同地は、東京都新宿区で牛込地区に位置し、早稲田通りの大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂道です。坂の周辺の地名でもあり、町丁は神楽坂一丁目から六丁目があり、全域住居表示未実施になっています。なお大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」と呼ばれています。この地名は東京メトロ東西線神楽坂駅や都営大江戸線牛込神楽坂駅など駅名にも使われています。
江戸時代には、外堀に設置されていた牛込門に通じる交通の要衝だったそうです。「神楽坂」の名称の由来について、『江戸名所図会 巻之四』(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれます。 また、「改撰江戸志」には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されていそうです。
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