YTは数十センチの分厚い書類とともに送検され
私と夫は別々に、事情聴取を受けることになるそうだった。
どうしてそういう話が前もって入ってきたかというと
このころから早くも
弁護士の先生は担当検察官と話をし始めたからだ。
どうやら弁護士の仕事とは、そういうものらしい。
弁護士会館と地検の入っている庁舎って隣同士だ。
ふだんからきっと、そういう風になってるのかもしれない。
最初はニキさんの事情聴取も予定されていたが
これはしなくてよくなったそうだった。
同一人物説を、YTが捨てたから。
ニキ・リンコの実在を
検察官に証明する必要がなくなったからである。
支援者の人々の見解と違い、司法の場では
あくまで被害者は私たち。
告訴したのもニキさんではない。私たち夫婦だ。
ニキさんは捜査に協力してくれた人という位置づけ。
先生からは
私たちが被害者として何を求めているかをはっきり検察に話したほうがいい、とアドバイスを受けた。
そして
検察官から「YTに謝罪を求めるか?」ときかれたとき
私たち夫婦はなんの相談もしないまま、それでも同じ答えをして帰ってきたことを後から知った。
「謝罪はいりません」
「反省もいりません」
そんなものは、求めていなかった。
私たちが求めたのは、二度とやらないこと。
そして
この事件を通じ、自閉症の世界にきっちりとわかってもらうことだった。
自閉症・発達障害はバラエティに富む障害で
まだ発生の原因も治療法もはっきりしていない。
脳みそのどこかのつながりがうまくいっていないと推定されている。
そして、どこがどうつながっていないのかはおそらく人による。
私はこの本にも書いたけど
講演でも著作でも「目からウロコ!」といわれるたび
それだけ自分たちはマイノリティなのだと受け止めてきた。
斬新な切り口だからこそ、面白がって読んでもらえたと考えてきた。
もちろん奇をてらうつもりはなかった。
一般人の私の目から見て、自閉っ子ってこういう存在だよ、って思って
それを素直に企画化してきただけだ。
その切り口から自閉症を見つめなおし
ちょっと気が楽になったり、QOLを上げて行ってくれる人たちがどんどん出てきた。
それだけの話。
けれどもYTはそれを誤解したらしい。
花風社が、ニキ・リンコが、自閉症を定義しようとしている、と脅威に感じたらしい。
バカらしい。そんなわけがない。
そんなことは私にできるわけがない。
ていうか天下の内山医師が定義しても
それを信じない人だっているかもしれない。
内山医師自身、他人が自閉症と診断した人に疑義を持つこともあるようだし。
「自閉症ってこんなもん」って
えらい研究者の間だって、必ずしも意見が一致しないでしょ?
香川大学石川元先生のアスペルガー論を読んだ事がありますか?
アスペルガーが最初、アスペルガー障害をどう記述していたか。
私はびっくりして腰を抜かしそうになりましたよ。
アスペルガー障害の定義だって
時代の要請によって変遷を経てきたのだ、という歴史的事実を知ったことは
ちょっぴり視野を広げてくれた気がする。
こういう混乱状況の中で
ていうか不勉強だから、そもそも混乱状況にいるということに気づいていないのかもしれないけど
私たちの広めている「自閉っ子観」に勝手に脅威を感じ
そしてそこにそぐわない自分たちが追い詰められているように感じる。
その結果私の人格攻撃に走る。
これこそが、認知の偏りゆえの八つ当たりじゃないかと私は思うけれども
昨今この醜態をさらしたのはYTだけではない。
皆さんもさんざん目撃してきましたね。
各自が手探りで自分の周囲を見つめ、勉強し
自閉症観を構築していくのは別にいいだろう。ていうか必要なことだろう。
目の前の子どもを理解するためにね。支援するためにね。
ただし自分の考えにそぐわない相手に対し
虚偽の情報を未確認で書いてはいけない。
それは他人の名誉を毀損する違法行為だ。
結局私たち夫婦はそろって謝罪も反省も求めなかった。
じゃあ何を望むかといわれて
きっちりと前科一犯にしてくださいと言った。
そうやって
自分とは違う障害観を持っている相手であっても
虚偽の情報を未確認で拡散してはいけないこと
それは他人の名誉を毀損することにつながること
これをきっちり自閉症の世界に伝えたい、と私は検察官に伝えた。
この事件が起訴に持ち込まれるかどうかは、自閉症の世界にとって大きなことなんです。
ただでさえ意見の違う人の人格攻撃までしていいと思っている人が多い世界なんです。
この事件が起訴されなければ、やりたい放題になるでしょう。
それだけまだ実態のわからない、混沌としている障害だから。
それが私が、検察に伝えたことだった。
今、発達障害者就労支援の限界が耳に入り始めている。
就労支援のかたちは変わっていかざるをえないだろう。
特別支援教育が始まって数年。
支援を受け、必要性が薄くなり
支援級から普通級へ移るというケースも増えるだろう。
そうやって「治っていく」人が増えるだろう。
「治った」と喜ぶ人が増えるだろう。
障害を言い訳にせず、自分で工夫を重ねながら
障害者としてではなく
一般人として生きる道を選ぶ人もいるだろう。
そしてその人たちを邪魔する権利は、誰にもない。
その人たちや、その人たちを応援する人たちを、気に食わないからといって誹謗中傷する権利は誰にもない。
それでもあえてするのなら最後まで責任を取ることだ。
訴訟を起こされても、恫喝だなどと泣き喚かずに。
これがこの裁判を通じて
私が自閉症の世界に送りたかったメッセージである。
さて、こうやってYTは起訴された。
今後の経過は、私のもとへは入ってくるようですけど
(そういう制度があるのだと、これまた弁護士の先生に教えていただきました)
私は今後、この人物の法的措置に関する新しい情報を外へ出す意図は一切ありません。
私がこの裁判を起こしたのは、ゴシップを提供するためではないから。
自閉症者でも、
他人の人権を蹂躙すれば、責任は生じる。
複数の医師の意見を経て、起訴された。
その情報が提供できた今、情報提供という側面で、私の使命は終わったと考えています。
障害者手帳を持っていようと、悪いことをすれば裁きを受けます。
それをわかってもらうことが、私たちの目的だったから。
そして現在子育て中の皆さんは、
そういうリスクを抱え込まないための教育を考えてください。
それが一番、自閉症に対する偏見をなくす近道です。
言葉狩りを重ねても、偏見はなくならない。
一番の近道は、自閉症者も社会(みんな)の中で生きていけることを、一人一人が証明することです。
あとの経過を知りたければご自由に調べてくださいませ。
私はYTの人権も重んじるつもりですから、皆さんに私からお知らせすることはありません。
そして最後に、藤家寛子さんが今度出版する本のあとがきにあたる部分の一部を引用させてもらいます。
こういう人たちの未来を守るために
こういう人たちが希望を抱いて生きていくことを誰にも邪魔させないために
私たち夫婦は民事提訴と刑事告訴をしました。
私たちなりの社会貢献でした。
そして、今後も必要とあれば法的措置は起こします。
相手が障害者であれ。
障害児の保護者であれ。
社会(みんな)の中に生きる存在である以上
平等な市民として扱い
誰かの人権を侵害していたら
平等に責任を問います。
これが私たちなりの障害者支援です。
それが私たちの考える「共存」です。
さて、藤家さんの名文。
すでに本場所中モードになって、朝早くから仕事していた私は
またほろっとしましたよ。
=====
次世代の人たちへ
私が発達障害という診断を受け、八年の歳月が流れた。
以前と比べると、格段に情報がある今の世の中で、これから私たちは、ふたつの方向に別れていくだろう。
あくまで、できないことを受け入れてもらいたいと思う人。
一方で、私たちにも努力が必要で、自分の方から社会に寄り添っていく人。
どちらが正しいとは言えないが、私は後者を選んだ。
それは、これまでの人生の歩み方から導き出した答えだ。
出歩く先々で、私のように回復した人はめずらしいと言われた。
多くの事例を目にしてきているお医者様でさえ、稀なケースだとおっしゃった。
でも、私はそう思わない。
私のように回復する人は、いろんなところに存在していると思う。
確かに、重い二次障害を乗り越え、社会に出て行くのはたやすいことではない。
私も何度も挫折しそうになった。
でも、それらを越えたときに感じる気持ちよさは、一瞬で過去の辛い記憶を吹き飛ばしてくれるのだ。
その喜びを知っている人は、もっとたくさんいると思う。
自分が頑張ることで、過去を帳消しにできるのだ。
後ろを振り返って、目を背けたくなる出来事が多ければ多いほど、先の人生を歩んでいくのはしんどい。
その荷おろしが自分でできることを、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。
そして、まっさらな未来を見て、希望をもって生きてほしい。
=====
さて、いよいよ明日は初場所初日。
大関稀勢の里の初日です。
いい席が取れました。
いってきます!
私と夫は別々に、事情聴取を受けることになるそうだった。
どうしてそういう話が前もって入ってきたかというと
このころから早くも
弁護士の先生は担当検察官と話をし始めたからだ。
どうやら弁護士の仕事とは、そういうものらしい。
弁護士会館と地検の入っている庁舎って隣同士だ。
ふだんからきっと、そういう風になってるのかもしれない。
最初はニキさんの事情聴取も予定されていたが
これはしなくてよくなったそうだった。
同一人物説を、YTが捨てたから。
ニキ・リンコの実在を
検察官に証明する必要がなくなったからである。
支援者の人々の見解と違い、司法の場では
あくまで被害者は私たち。
告訴したのもニキさんではない。私たち夫婦だ。
ニキさんは捜査に協力してくれた人という位置づけ。
先生からは
私たちが被害者として何を求めているかをはっきり検察に話したほうがいい、とアドバイスを受けた。
そして
検察官から「YTに謝罪を求めるか?」ときかれたとき
私たち夫婦はなんの相談もしないまま、それでも同じ答えをして帰ってきたことを後から知った。
「謝罪はいりません」
「反省もいりません」
そんなものは、求めていなかった。
私たちが求めたのは、二度とやらないこと。
そして
この事件を通じ、自閉症の世界にきっちりとわかってもらうことだった。
自閉症・発達障害はバラエティに富む障害で
まだ発生の原因も治療法もはっきりしていない。
脳みそのどこかのつながりがうまくいっていないと推定されている。
そして、どこがどうつながっていないのかはおそらく人による。
私はこの本にも書いたけど
講演でも著作でも「目からウロコ!」といわれるたび
それだけ自分たちはマイノリティなのだと受け止めてきた。
斬新な切り口だからこそ、面白がって読んでもらえたと考えてきた。
もちろん奇をてらうつもりはなかった。
一般人の私の目から見て、自閉っ子ってこういう存在だよ、って思って
それを素直に企画化してきただけだ。
その切り口から自閉症を見つめなおし
ちょっと気が楽になったり、QOLを上げて行ってくれる人たちがどんどん出てきた。
それだけの話。
けれどもYTはそれを誤解したらしい。
花風社が、ニキ・リンコが、自閉症を定義しようとしている、と脅威に感じたらしい。
バカらしい。そんなわけがない。
そんなことは私にできるわけがない。
ていうか天下の内山医師が定義しても
それを信じない人だっているかもしれない。
内山医師自身、他人が自閉症と診断した人に疑義を持つこともあるようだし。
「自閉症ってこんなもん」って
えらい研究者の間だって、必ずしも意見が一致しないでしょ?
香川大学石川元先生のアスペルガー論を読んだ事がありますか?
アスペルガーが最初、アスペルガー障害をどう記述していたか。
私はびっくりして腰を抜かしそうになりましたよ。
アスペルガー障害の定義だって
時代の要請によって変遷を経てきたのだ、という歴史的事実を知ったことは
ちょっぴり視野を広げてくれた気がする。
こういう混乱状況の中で
ていうか不勉強だから、そもそも混乱状況にいるということに気づいていないのかもしれないけど
私たちの広めている「自閉っ子観」に勝手に脅威を感じ
そしてそこにそぐわない自分たちが追い詰められているように感じる。
その結果私の人格攻撃に走る。
これこそが、認知の偏りゆえの八つ当たりじゃないかと私は思うけれども
昨今この醜態をさらしたのはYTだけではない。
皆さんもさんざん目撃してきましたね。
各自が手探りで自分の周囲を見つめ、勉強し
自閉症観を構築していくのは別にいいだろう。ていうか必要なことだろう。
目の前の子どもを理解するためにね。支援するためにね。
ただし自分の考えにそぐわない相手に対し
虚偽の情報を未確認で書いてはいけない。
それは他人の名誉を毀損する違法行為だ。
結局私たち夫婦はそろって謝罪も反省も求めなかった。
じゃあ何を望むかといわれて
きっちりと前科一犯にしてくださいと言った。
そうやって
自分とは違う障害観を持っている相手であっても
虚偽の情報を未確認で拡散してはいけないこと
それは他人の名誉を毀損することにつながること
これをきっちり自閉症の世界に伝えたい、と私は検察官に伝えた。
この事件が起訴に持ち込まれるかどうかは、自閉症の世界にとって大きなことなんです。
ただでさえ意見の違う人の人格攻撃までしていいと思っている人が多い世界なんです。
この事件が起訴されなければ、やりたい放題になるでしょう。
それだけまだ実態のわからない、混沌としている障害だから。
それが私が、検察に伝えたことだった。
今、発達障害者就労支援の限界が耳に入り始めている。
就労支援のかたちは変わっていかざるをえないだろう。
特別支援教育が始まって数年。
支援を受け、必要性が薄くなり
支援級から普通級へ移るというケースも増えるだろう。
そうやって「治っていく」人が増えるだろう。
「治った」と喜ぶ人が増えるだろう。
障害を言い訳にせず、自分で工夫を重ねながら
障害者としてではなく
一般人として生きる道を選ぶ人もいるだろう。
そしてその人たちを邪魔する権利は、誰にもない。
その人たちや、その人たちを応援する人たちを、気に食わないからといって誹謗中傷する権利は誰にもない。
それでもあえてするのなら最後まで責任を取ることだ。
訴訟を起こされても、恫喝だなどと泣き喚かずに。
これがこの裁判を通じて
私が自閉症の世界に送りたかったメッセージである。
さて、こうやってYTは起訴された。
今後の経過は、私のもとへは入ってくるようですけど
(そういう制度があるのだと、これまた弁護士の先生に教えていただきました)
私は今後、この人物の法的措置に関する新しい情報を外へ出す意図は一切ありません。
私がこの裁判を起こしたのは、ゴシップを提供するためではないから。
自閉症者でも、
他人の人権を蹂躙すれば、責任は生じる。
複数の医師の意見を経て、起訴された。
その情報が提供できた今、情報提供という側面で、私の使命は終わったと考えています。
障害者手帳を持っていようと、悪いことをすれば裁きを受けます。
それをわかってもらうことが、私たちの目的だったから。
そして現在子育て中の皆さんは、
そういうリスクを抱え込まないための教育を考えてください。
それが一番、自閉症に対する偏見をなくす近道です。
言葉狩りを重ねても、偏見はなくならない。
一番の近道は、自閉症者も社会(みんな)の中で生きていけることを、一人一人が証明することです。
あとの経過を知りたければご自由に調べてくださいませ。
私はYTの人権も重んじるつもりですから、皆さんに私からお知らせすることはありません。
そして最後に、藤家寛子さんが今度出版する本のあとがきにあたる部分の一部を引用させてもらいます。
こういう人たちの未来を守るために
こういう人たちが希望を抱いて生きていくことを誰にも邪魔させないために
私たち夫婦は民事提訴と刑事告訴をしました。
私たちなりの社会貢献でした。
そして、今後も必要とあれば法的措置は起こします。
相手が障害者であれ。
障害児の保護者であれ。
社会(みんな)の中に生きる存在である以上
平等な市民として扱い
誰かの人権を侵害していたら
平等に責任を問います。
これが私たちなりの障害者支援です。
それが私たちの考える「共存」です。
さて、藤家さんの名文。
すでに本場所中モードになって、朝早くから仕事していた私は
またほろっとしましたよ。
=====
次世代の人たちへ
私が発達障害という診断を受け、八年の歳月が流れた。
以前と比べると、格段に情報がある今の世の中で、これから私たちは、ふたつの方向に別れていくだろう。
あくまで、できないことを受け入れてもらいたいと思う人。
一方で、私たちにも努力が必要で、自分の方から社会に寄り添っていく人。
どちらが正しいとは言えないが、私は後者を選んだ。
それは、これまでの人生の歩み方から導き出した答えだ。
出歩く先々で、私のように回復した人はめずらしいと言われた。
多くの事例を目にしてきているお医者様でさえ、稀なケースだとおっしゃった。
でも、私はそう思わない。
私のように回復する人は、いろんなところに存在していると思う。
確かに、重い二次障害を乗り越え、社会に出て行くのはたやすいことではない。
私も何度も挫折しそうになった。
でも、それらを越えたときに感じる気持ちよさは、一瞬で過去の辛い記憶を吹き飛ばしてくれるのだ。
その喜びを知っている人は、もっとたくさんいると思う。
自分が頑張ることで、過去を帳消しにできるのだ。
後ろを振り返って、目を背けたくなる出来事が多ければ多いほど、先の人生を歩んでいくのはしんどい。
その荷おろしが自分でできることを、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。
そして、まっさらな未来を見て、希望をもって生きてほしい。
=====
さて、いよいよ明日は初場所初日。
大関稀勢の里の初日です。
いい席が取れました。
いってきます!