こんにちわ
今朝思わず Twitterでつぶやいた
今がチャンス!学び方は親が変わると子も変わる
最近ニュースで学校がないと学ぶ力が低下するなどと
休校中の先生の大変さ(学習内容のインターネット配信の準備など、そりゃそうですよね)が紹介されています
不思議に思っているのです
何故か?
60歳にして京都橘大学通信制健康科学部心理学科に入学で
単位を取って卒業したからです
スクーリングもありましたがネット上のメディア授業が多かったです
他には通読した中から試験が出ました
つまりコロナにならなくても
学習方法はあったわけです
何かの資格を取るにしても
講座のインターネット受講もあたはず
文科省が時代の流れを見通して採用してきたかは別です
学校に行けない生徒たちのための高校もメディア授業がありました
この春の大学の「入試の問題」
それは記述式にするというもので
そうすると採点に困るということで見送られたわけです
そもそも、現場の先生方が
マークシート方式で入学され
記述式に対応できる授業が出来ているのか?という問題があるにもかかわらず
「自分の頭で考える記述式」に急になったとしても
それは 予測がつく人には 出来ない事は承知の助だったんではないのでしょうか?
第二次世界大戦に負けた後に入ってきた教育システムは
いったい誰が導入したのでしょうか
何のための?
国々によって教育は違いますが
ハッキリしていることは
その国に利益がある教育を施そうとしているのではないでしょうか?
アメリカが日本に教育を入れた時に
自分を主張するような教育にしたのでしょうか?
実は自分が学校に通っている時から息子たち、孫たちが通っていることを感じつつ
何か変だと思っていたのですが
ここ数年「成程」と納得したのです
ある人が国が転覆するような教育するはずがない
とか
アメリカにたてつくような発言はしないような教育だよね
とか
私の耳に聞こえて来たのです
そりゃそうだわ
正しい・間違っているという判定で
議論するというようなことは
最近になってグループワークなどが盛んにおこなわれるようになったものの
家庭ではどうか
夫婦で議論するのか?
『議論とは自分の意見を言い 違う意見を聴き
批判もしながら論理的に意見を論じあう』
そんな光景はなかなかないように感じている
たまたま私の育った環境は
議論をして当たり前の生活だったので身近に観てきた
だからそれが当たり前だと思っている
けれど当時の日本の過程では議論しているところなど観た事がない
まず「女・こどもが口出すな!」とお言うような風習であった
自分の考えを持つようには教育されていなかったのだろうなと思っている
みなさんは自分の考えをおもちですか?
指示されて言われたことだけするという考えも自分の考えかもしれませんが
この、コロナで自粛・家でするとなった時
誰も指図はしてくれません
勿論子どもたちにもチャイムが鳴って
強制的に椅子に座ってというような仕組みはないです
けれど親たちが 自分達で時間をつくり
考えて過ごしていたとしたら
子どもはそれを幼いころより経験をし
見聞きし、一緒に体験しているだろうから
こんなに困ることはないのではないかと思うのです
実際私は収入が減るなと感じていて対策を立てているところです
けれど先の見通しも立てつつ
新しい事もチャレンジして
今とても可能性を感じて嬉しく思っています
もち論、そのことは一緒に住んでる孫にも
にやにやしながら話しています
教育制度を私が変えられるわけではありませんが
ひょっとしたら変わる可能性があるのかもしれないとワクワクしているところです