京都橘大学通信課程のスクーリングでワークショップが先週末から3日間あった
今振り返ると、そのワークで最近気になることを突き詰めた形になったのだ
人間関係はコミュニケーションと同じような形だと思っている
う~ん・・・話し方と人とのかかわり方が似ていると思ってる
そのコミュニケーションが自然にストレートに表現したり間や場の空気を塩梅よく感じるには
幼少期、乳児期 はたまたその後の周りとの関係で創れるのかなあ
まあ、とにかく頭ではわかっているが行動することは難しいもんだな
自分を安心して委ねられるというような経験が大きく影響するのではないかと思うようになった
日本語で言うなら 甘え の表現になるのかもしれない
土居健郎(甘えの構造の著者)の表現でいうなら「健康的な甘え」である
健康的な甘えってなんだろうか
そんな疑問が 昨年の秋から渦巻いてたので スクーリングの問題提起の時に「甘えってどんなこと?」と投げかけることにした
1日目は40人近い参加者の中でいろいろなテーマを持ち出し小グループでのワーク
2日目3日目とワークがあったが、どのワークにも材料を提供し積極的に参加した
3日間終了後の次の日、身体は思っているより疲れていて昼間ほとんど寝ていた
当日その場で感じた事や、今日になりじわじわやってきた気づきのいくつか書いてみようと思う
親に言われた「迷惑をかけぬように」という縛りは
迷惑をかけぬ、負担をかけぬ…頼みごとをしないに通じ
心配をかけぬようにすることにつながり
心配させまいと 辛い・しんどい・悲しいなどの感情表現をしないに繋がっていたのだな
感情にいいも悪いもないとは頭では知っているが
自分の中ではマイナスの感情というとらえていたわ
ただ養母を心配させまいと勝手にマイナスだ負の感情だと決めていたようだ
参加者のそれぞれの忌憚のない発言の中から
「迷惑をかけたくないのでしょうかね?」・・・・これは確かにある!
「あなたの発言も私には回り道のような感じがするけど」・・・なるほど!
「問題提起の中にいろいろからまっていますね。整理して一番何が問題なのか?それを出しましょう」・・・あるあるこんがらがている事!
手法としては
①オープンスペーステクノロジー
②オープンダイヤローグのリフレクティングや
③サイコドラマとはちょっと違うフォーラム・シアターを学んだ
その中での気づきは
人々に支えられて自分が何となく影響されたり
ハッとしたり
アッと思ったり
体験を通して腑に落ちていく
各自の問題を劇化し演じ、もう一度再演するときに観劇している人がアクター(役者)に変わり参加したり、
ちょっとした言葉を変えることで起こることが変容していく
そんな体験の中私の人生観が大きく変わったと思う
頭では理解している…知っていることだが
体験を通して
腑に落ちたこと
『人生は驚くほど愉快であり
人々は関係性を持ち助け合いながら
愛に溢れている
そして、私は私で居られる
迷惑をかけようが、何もできずとも存在してる』
何か積極的にやらなければならないと思う事が自分を硬化させていたことにも気づき
グダグダになって悩みを補助してもらいながら劇を作っていくさなかにも
チームンみんなに発言してもらい
劇の再演には多くの参加者に劇中に参加してもらい
あんなに貢献することになろうとは
またあんなに腹を抱えて笑うとは思いもよらなかったことだった
途中は先生が「あ~失敗したな、これを選んで」と落胆させたようだが
残りの30分でアドバイスを受けいれ
仲間と集中して失敗もオッケー!大事な3つのポイントだけはやりきろうと一丸になってやったことは
これからの生きていく大きなヒントになった
細かい事はいいのだ
一番大事なことだけ集中する!
私の周りにはハンモックのような人々の温かいネットワークが存在する
休むときにはそこで休む
そして活動のエネルギーを充足する
周りにいる人々に感謝して
そんな穏やかな気持ちでいる
色々なしがらみを捨てたというか
外れたとでもいおうか・・・・
一緒に体験してくれた仲間に心から『ありがとう』
問題提起するための現実の私の周りにいる人々にも
勿論そのことがあっての気付きなので
より深く感謝している
今年はいい年になる予感がますます強くなっている
まことにラッキー