5月に入ってトレーニングしていると
なんだかモヤモヤがたまってる
このモヤモヤというのは
いやなことがあるとダンマリしてしまうのだが・・・
その時の感情は
悲しい
辛い
怒り
などを感じている
けれどそれを瞬時になかった事のように
冷静にしようとしている
ここにたどり着くまでに去年11月くらいからの
「なにがしたい?」という質問だった
去年は答えられない・・・ごまかしているような・・・
思い返すとそれは両親の離婚の時からの命題だったのかもしれない
私は母と暮らしたかった
それを口ごもったのだ
一旦は口にだし却下されて
駄々をこねる様に言い張りもせず泣きもせず
私がいることが両親にとって迷惑なのではないか
これ以上困らせてはいけない
と決断したのだと思う
そして新しい母が来たときに
父が「困らせないようにええこでいるんやで」と言ったことは記憶にある
母は私がなくと「私が泣かせたようでこまる」と言った
泣くまいと決めた
父は「一人っ子だから一人で生きていかんならんのやから自分でかんがえろ」と言った
だから一人で考える様になった
甘えたやからしっかりし・・と言われ甘えたらあかん・・しっかりせな
そんなこんな・・・・
小さいときから「妙ちゃんは賢いけどかわいげないなあ」と言われてきた
今でこそ「たえさんってかわいいなあ」と言われるが
ちっとも子供らしい子供ではなかった
ひょっとしたら期待に応えなければならないとか
ちゃんとしなければならないとか
musut のみの人生だったのだろう
6月9日のあの感覚は人生で初めてだった
それは何かというと
「で、何がしたい」という問いにやはり答えられず・・・だまった
「時間かけて考えて」と言われ自問自答
出来ない理由・恐怖・・諦め
どーせ言っても却下される・・・云々カンヌン
その中でカトちゃんの「そのままだったら今迄と一緒ってきがついているんでしょ?」と言う問いもあった
今迄と同じならこれからも同じ人生しか起こらない
自分は人生の質を変えるためにトレーニングしているのにここを足踏みしてどうなる?
今でしょ!と言い聞かせ
エガチャンに「アシスタントやりたいです」と言った
「ほなみんなと一緒に立候補するとき前にでて。誰も受講生が選択しなかったらチームは持てません
やめるか受講生するか考えて」ということになった
結果は選挙でいうなら落選・・父が味わったのと同じである
父は世の中から「もういらない」という烙印を押されたと感じていた
そのご自分の豊かな人生を取り戻した
私は
なんと人生でこんな清々しい気持ちは初めてだった
ほんとうにやりたいことを選択しチャレンジしたからこその感覚だったんだと思う
ずっと背負っていたのもをやっと置いたという感じか
晴れ晴れしているしやる気は内から隅が憩っているように芯から湧いてくるし
こんなこと初めてだった
が・・・・
なぜか横槍を入れるような言葉が降ってくる
あのとき押し黙ったように
毎回押し黙る
離婚していくときのように
いやな感情が積もっていく
これは今の事ではない
離婚な事でもない
まぎれもなく
父の人生の変動していく過程で引越しをしていくときの
私のいやな感情だと気が付いた
腹が立つ・憤りを感じる・でもどうしようもない
その結果・・・幼稚園・小学校で仲間入りが難しい
友達がない時期がありさみしい思いも随分した
こんな目に合うのは父の人生に振り回されているからだ!
離婚して新しいお母さんなんて私は望んでいなかった
私の本当の気持ちなんて解るはずがない
と、恨みつらみ・・・怒りを感じているのを隠していたのだと気が付いた
怒ってはいけない
悲しんではいけない
泣いてはいけない
心配かけてはいけない
それらを強化するがごとく
結婚をした
まるでそのようにしていくための結婚だったのかもしれない
平静を装うことが一番まし
けれど自分の本当の気持ちはどんどん沈んで行った
何がやりたいのか?
はんのうして反抗するのみ
一体何を生きてきたのだろうか
命がないかもしれないと高校の時大病してなんでもやろうと刹那主義に生きたときもあったが
結局起こったことに
反応したにすぎなかった
60前にその呪縛から解き放たれ
恨みつらみも捨て去り
私は自分がほんとうにしたいことをやっていく
それが私らしいのだから
この世のすべては意中の法則の中で産まれ
人が出現し人が創りだした
私も人である
感情がある
出してよい
心配をかけてもよい
愛を与えてもよいし受け取ってもよい
自分を束縛する呪縛を解くのは自分である
いらないならいらないといいい
欲しいものは欲しいと表現し
あるものは与える
白黒の世界が
カラーの世界になったようだ
今人生が一番面白い
ほんと
今でしょ!!
両親からの呪文から解き放ち
私は私らしく生きていく!!
ひゃほーー!!嬉しい!!
なんだかモヤモヤがたまってる
このモヤモヤというのは
いやなことがあるとダンマリしてしまうのだが・・・
その時の感情は
悲しい
辛い
怒り
などを感じている
けれどそれを瞬時になかった事のように
冷静にしようとしている
ここにたどり着くまでに去年11月くらいからの
「なにがしたい?」という質問だった
去年は答えられない・・・ごまかしているような・・・
思い返すとそれは両親の離婚の時からの命題だったのかもしれない
私は母と暮らしたかった
それを口ごもったのだ
一旦は口にだし却下されて
駄々をこねる様に言い張りもせず泣きもせず
私がいることが両親にとって迷惑なのではないか
これ以上困らせてはいけない
と決断したのだと思う
そして新しい母が来たときに
父が「困らせないようにええこでいるんやで」と言ったことは記憶にある
母は私がなくと「私が泣かせたようでこまる」と言った
泣くまいと決めた
父は「一人っ子だから一人で生きていかんならんのやから自分でかんがえろ」と言った
だから一人で考える様になった
甘えたやからしっかりし・・と言われ甘えたらあかん・・しっかりせな
そんなこんな・・・・
小さいときから「妙ちゃんは賢いけどかわいげないなあ」と言われてきた
今でこそ「たえさんってかわいいなあ」と言われるが
ちっとも子供らしい子供ではなかった
ひょっとしたら期待に応えなければならないとか
ちゃんとしなければならないとか
musut のみの人生だったのだろう
6月9日のあの感覚は人生で初めてだった
それは何かというと
「で、何がしたい」という問いにやはり答えられず・・・だまった
「時間かけて考えて」と言われ自問自答
出来ない理由・恐怖・・諦め
どーせ言っても却下される・・・云々カンヌン
その中でカトちゃんの「そのままだったら今迄と一緒ってきがついているんでしょ?」と言う問いもあった
今迄と同じならこれからも同じ人生しか起こらない
自分は人生の質を変えるためにトレーニングしているのにここを足踏みしてどうなる?
今でしょ!と言い聞かせ
エガチャンに「アシスタントやりたいです」と言った
「ほなみんなと一緒に立候補するとき前にでて。誰も受講生が選択しなかったらチームは持てません
やめるか受講生するか考えて」ということになった
結果は選挙でいうなら落選・・父が味わったのと同じである
父は世の中から「もういらない」という烙印を押されたと感じていた
そのご自分の豊かな人生を取り戻した
私は
なんと人生でこんな清々しい気持ちは初めてだった
ほんとうにやりたいことを選択しチャレンジしたからこその感覚だったんだと思う
ずっと背負っていたのもをやっと置いたという感じか
晴れ晴れしているしやる気は内から隅が憩っているように芯から湧いてくるし
こんなこと初めてだった
が・・・・
なぜか横槍を入れるような言葉が降ってくる
あのとき押し黙ったように
毎回押し黙る
離婚していくときのように
いやな感情が積もっていく
これは今の事ではない
離婚な事でもない
まぎれもなく
父の人生の変動していく過程で引越しをしていくときの
私のいやな感情だと気が付いた
腹が立つ・憤りを感じる・でもどうしようもない
その結果・・・幼稚園・小学校で仲間入りが難しい
友達がない時期がありさみしい思いも随分した
こんな目に合うのは父の人生に振り回されているからだ!
離婚して新しいお母さんなんて私は望んでいなかった
私の本当の気持ちなんて解るはずがない
と、恨みつらみ・・・怒りを感じているのを隠していたのだと気が付いた
怒ってはいけない
悲しんではいけない
泣いてはいけない
心配かけてはいけない
それらを強化するがごとく
結婚をした
まるでそのようにしていくための結婚だったのかもしれない
平静を装うことが一番まし
けれど自分の本当の気持ちはどんどん沈んで行った
何がやりたいのか?
はんのうして反抗するのみ
一体何を生きてきたのだろうか
命がないかもしれないと高校の時大病してなんでもやろうと刹那主義に生きたときもあったが
結局起こったことに
反応したにすぎなかった
60前にその呪縛から解き放たれ
恨みつらみも捨て去り
私は自分がほんとうにしたいことをやっていく
それが私らしいのだから
この世のすべては意中の法則の中で産まれ
人が出現し人が創りだした
私も人である
感情がある
出してよい
心配をかけてもよい
愛を与えてもよいし受け取ってもよい
自分を束縛する呪縛を解くのは自分である
いらないならいらないといいい
欲しいものは欲しいと表現し
あるものは与える
白黒の世界が
カラーの世界になったようだ
今人生が一番面白い
ほんと
今でしょ!!
両親からの呪文から解き放ち
私は私らしく生きていく!!
ひゃほーー!!嬉しい!!