毎月開催しているコミュニケーション講座で久しぶりの自己との対話
朝、区役所の会場に参加した人から出てきた内容は
土いじりをしている時
ぼーっとしている
ごろごろしている
目標を立てて達成した時
おかげさまでいかされているんだなあ・・・と感じるとき
縁側で趣味をしているとき
災害に合わない自分
戦争の無いところで生きている
笑える
健康でいること
そして当たり前と思っているパートナーの存在や家族の存在
この当たり前について幸せという事にフォーカスしなくて不自由や
不平不満を口にしがちだという事に気づいた
そして他者の幸せを考えると
自分が不足しているもの、手に入らなかったものを持っている他者を幸せだと感じている
さらに自分が幸せだと思う事は他者も思っているという・・・(本当にそうかな?)
もう一つ
私「あなた幸せねと言われてもちがうのよ。そうはおもわない。このワークは苦しかった」という女性に
ことばで説明は意味がないと思い
特別ワークを参加者の力を借りてやった
力を借りると言っても
ことばがけを口々に頼んだ
「********************~」
これは大成功で
「もうやめて…体が・・・・・やだやだ!」
その後すぐ
参加者にもう一度言葉がけを頼んだ
それは「あなたは幸せね」と。
1人ひとりがこえがけしていく
「・・・・・・・・・・・・・・」
そういわれても私は幸せじゃないわと言っていた彼女の目に
キラキラ光るものが湧き出てきた
「今日は私の誕生日ね!」
では、happy birthdayうたおうとなり
参加者みんなで「♪ ♬ happy birthday to you ~(^^♪」
彼女の顔が晴れやかになていく変化を観ていて自然に
ひゃーうれしいねえ、とか 私まで幸せ感じるわなど声があがった
朝講座を振り返り感想は
1人ひとり幸せってちがうんだなあ!
他者の話を聴くと自分もそうだと思い出したりいいなと思うので考えが広がるんだね・・・
毎日ひとつ幸せをじっくり感じよう~!
他の人はどんなことが幸せと感じるのときいてみよう~
などなど・・・
夜は自宅で開催
年齢層も朝より20歳ほど若い
健康など同じような事があったが特記することは
自転車で日本一周している19歳の男性の発言にやはり深く頷く
彼は
布団がある事
雨露がしのげる
米粒、ご飯が食べられる
食卓を囲んで食べる
電源がある事
という事を発言した
無いから感じた事だそうだ
今までこんな事考えた事がなかったけど大事ですねえ…
はたまた・・・
書き込んでいる時にくすくすと笑いだした人がいた
笑ったのはなぜか訊いていいかというと
他者の幸せを考えていた時に
酒のみで困っている夫が浮かんだ
そういえば
「この人はきっとこれが幸せなんだろうなあ」と思う瞬間があったなあと
そうか‥これがこの人のしああせなんだと胸の奥に落ちたという
そう思うとくすくすと笑いがこみあげてきたと・・・・・
朝夜の90分で共通認識は「当たり前って本当に当り前だろうか?」という事があがった
当り前を感謝していないのかなとか深い洞察がそれぞれ始まった