東北歴博館長講座の第7回に引き続き、第8回目の概略を記したいと思います。
第8回(2013-09-07)
第5章 郡山遺跡の性格
:
2.Ⅱ期官衙と陸奥国府
724年(神亀元年)多賀城が陸奥国府として造営されるが、Ⅱ期官衙は多賀城以前の陸
奥国府。
(1)陸奥国府への駅路
注]駅路:都と国府をつなぐもので、都から7路あった。
718年5月の石城国・石背国の分国に伴い、京から常陸国府(茨城県石岡市)まで延び
ていた駅路の東海道を石城国府(いわき市か)まで延ばし、さらに陸奥国府まで延ば
すため719年(養老3年)7月石城国に10駅を置き駅路を設置(「続日本紀」養老3年7
月丁丑条)。
この駅路は福島県浜通りをJR常磐線沿いに進み、中通りを進んできた東山道に玉前
駅で合流する。従って719年の陸奥国府は玉前駅より北の仙台平野に所在。
*石城国街道十駅:養老3年(719年)7月設置、引仁2年(811年)4月廃止。
(2)Ⅱ期官衙から多賀城へ
Ⅱ期官衙の廃絶時期は多賀城創建(724年)と同時期かやや下る時期。
(3)郡山廃寺から多賀城廃寺へ
郡山廃寺は多賀城廃寺の前身、軒瓦の継承関係、伽藍配置の共通性。
(4)藤原京モデル
Ⅱ期官衙は藤原宮をモデルに設計されたことは、郡家や城柵でなく陸奥国府とみれば
理解しやすい。
(5)Ⅱ期官衙=陸奥国府
以上の(1)~(4)から、Ⅱ期官衙は多賀城以前の陸奥国府。
(6)国府からの道
国府=郡山遺跡。
内陸部:東山道
浜通り:玉前駅から分岐する海道
置賜・最上評:716年以前は陸奥国の所管。郡山遺跡-小野駅-笹谷峠-最上駅。
3.郡山遺跡と渟足柵・磐舟柵
郡山遺跡と渟足柵・磐舟柵は同様な変遷をたどる兄弟城柵。
渟足柵:城柵→越後国府
磐舟柵の改修:698年(文武2年)12月、700年2月に磐舟柵の改修命令。
郡山Ⅱ期官衙の造営(694-700年)ごろと対応し、政府が一体的に進めた辺境経営の中
で設置された城柵。
4.郡山廃寺と多賀城廃寺・筑紫観世音寺
(1)多賀城廃寺と筑紫観世音寺
多賀城廃寺は、多賀城創建と同時に創建で、多賀城の付属の官寺。
①筑紫観世音寺と同じ伽藍配置
②多賀城城外から「観音寺」(観世音寺の略称)の墨書土器が出土。
筑紫観世音寺は、朝鮮・中国との外交・国防にあたる太宰府の付属官寺。
政府は、諸蕃と蝦夷に対峙する西と東の辺境の官衙である太宰府、多賀城に付属する
官寺を、安置仏像、寺号、伽藍配置を同じくして建立した。
○密教的観音信仰
7C後半には死者の追善を目的としたが、遅くと7C末から密教的観音信仰が盛ん
になり、観音に鎮護国家が期待され、さらにその威神力によって国家に敵対し背く
ものを鎮圧するものとしてまつられた。
○郡山廃寺の寺号は観世音寺か(注]資料には寺号が見えない)
①東西辺境の官衙の付属寺院
②3寺とも同じ伽藍配置
③郡山廃寺は多賀城廃寺の前身の寺院
④多賀城廃寺・筑紫観世音寺は観音信仰に基づき観世音寺を寺号とした。
第8回(2013-09-07)
第5章 郡山遺跡の性格
:
2.Ⅱ期官衙と陸奥国府
724年(神亀元年)多賀城が陸奥国府として造営されるが、Ⅱ期官衙は多賀城以前の陸
奥国府。
(1)陸奥国府への駅路
注]駅路:都と国府をつなぐもので、都から7路あった。
718年5月の石城国・石背国の分国に伴い、京から常陸国府(茨城県石岡市)まで延び
ていた駅路の東海道を石城国府(いわき市か)まで延ばし、さらに陸奥国府まで延ば
すため719年(養老3年)7月石城国に10駅を置き駅路を設置(「続日本紀」養老3年7
月丁丑条)。
この駅路は福島県浜通りをJR常磐線沿いに進み、中通りを進んできた東山道に玉前
駅で合流する。従って719年の陸奥国府は玉前駅より北の仙台平野に所在。
*石城国街道十駅:養老3年(719年)7月設置、引仁2年(811年)4月廃止。
(2)Ⅱ期官衙から多賀城へ
Ⅱ期官衙の廃絶時期は多賀城創建(724年)と同時期かやや下る時期。
(3)郡山廃寺から多賀城廃寺へ
郡山廃寺は多賀城廃寺の前身、軒瓦の継承関係、伽藍配置の共通性。
(4)藤原京モデル
Ⅱ期官衙は藤原宮をモデルに設計されたことは、郡家や城柵でなく陸奥国府とみれば
理解しやすい。
(5)Ⅱ期官衙=陸奥国府
以上の(1)~(4)から、Ⅱ期官衙は多賀城以前の陸奥国府。
(6)国府からの道
国府=郡山遺跡。
内陸部:東山道
浜通り:玉前駅から分岐する海道
置賜・最上評:716年以前は陸奥国の所管。郡山遺跡-小野駅-笹谷峠-最上駅。
3.郡山遺跡と渟足柵・磐舟柵
郡山遺跡と渟足柵・磐舟柵は同様な変遷をたどる兄弟城柵。
渟足柵:城柵→越後国府
磐舟柵の改修:698年(文武2年)12月、700年2月に磐舟柵の改修命令。
郡山Ⅱ期官衙の造営(694-700年)ごろと対応し、政府が一体的に進めた辺境経営の中
で設置された城柵。
4.郡山廃寺と多賀城廃寺・筑紫観世音寺
(1)多賀城廃寺と筑紫観世音寺
多賀城廃寺は、多賀城創建と同時に創建で、多賀城の付属の官寺。
①筑紫観世音寺と同じ伽藍配置
②多賀城城外から「観音寺」(観世音寺の略称)の墨書土器が出土。
筑紫観世音寺は、朝鮮・中国との外交・国防にあたる太宰府の付属官寺。
政府は、諸蕃と蝦夷に対峙する西と東の辺境の官衙である太宰府、多賀城に付属する
官寺を、安置仏像、寺号、伽藍配置を同じくして建立した。
○密教的観音信仰
7C後半には死者の追善を目的としたが、遅くと7C末から密教的観音信仰が盛ん
になり、観音に鎮護国家が期待され、さらにその威神力によって国家に敵対し背く
ものを鎮圧するものとしてまつられた。
○郡山廃寺の寺号は観世音寺か(注]資料には寺号が見えない)
①東西辺境の官衙の付属寺院
②3寺とも同じ伽藍配置
③郡山廃寺は多賀城廃寺の前身の寺院
④多賀城廃寺・筑紫観世音寺は観音信仰に基づき観世音寺を寺号とした。