Taga_castillo

アマ無線、電子工作、歴史(古代)、ゴルフ、スペイン語、他

東北歴史博物館館長講座(第5回)

2013-07-28 11:47:09 | 歴史
7月27日(土)、第5回東北歴博の館長講座が開催されました。
昨日の講義は以下のような内容でした(各項目の内容は書ききれないので、部分的に記入)。

第5回(2013-07-27)
第3章 郡山遺跡の概要
3.Ⅰ期官衙
 Ⅰ期官衙・Ⅱ期官衙ともに、礎石建物ではなく掘立柱建物で瓦葺きではない。
 Ⅰ期官衙の年代:7C半ば~7C末(出土土器による)。
  施設の造営基準が、真北に対して西に50~60°振れるのが特徴。
 ◎外郭と規模
  外囲施設は材木列塀。
  全体の規模:長方形、西南辺295.4m、西南~東北604m、面積17.8ha。
  内部に掘立柱塀、材木列塀、板塀で囲まれた中枢区、北・南倉庫区、北・
  南雑居区、鍛冶工房区がある。
 ◎中枢区=政庁
  規模:東南辺91.6m、西北辺92.0m、東北辺118.6m、西南辺120.3m
 ◎倉庫区
  中枢区の東北に北倉庫区、西南に南倉庫区
 ◎雑居区
  北倉庫区西北に北雑居区、南倉庫区の西南に南雑居区
  ○北雑居区:東南~西北51~54m、西南~東北65~66m
  ○南雑居区:90mx60m以上
 ◎鍛冶工房区
  北雑居区西南に鍛冶工房と総柱倉庫
  ○鍛冶工房:平面長方形の竪穴建物、内部に5基の鉄鍛冶炉
4.Ⅱ期官衙
 Ⅱ期官衙の年代:7C末~8C前葉。Ⅰ期を取り壊して同位置に建造。
  造営基準はほぼ真南北。
 ◎外郭と規模
  平面はほぼ正方形、外囲施設は材木列塀。
  規模:南北423.2~423.8m、東西425.1~430.9m、面積18ha。
   多賀城の74haの4分の1
 ◎大溝と外溝
  材木列塀の外側に二重に大溝と外溝をめぐらす。
 ◎外郭南門
  南辺中央、5間×2間の12脚門か。
 ◎櫓
  外部塀をまたぐ、2間×2間の櫓。4隅と各辺の3等分点に設置か。
 ◎中枢区=政庁・曹司
  ○政庁:儀式・政務・宴会
  ○曹司
 ◎工房
  官衙内の東西辺に
  ○東辺:鉄鍛造、銅鋳造、漆工房
  ○西辺:鉄・漆工房
 ◎造営尺度:大尺使用か
  古代の尺度:1令大尺(高麗尺)=1.2令小尺(天平尺)
5.郡山廃寺
(1)遺構
  Ⅱ期官衙の付属寺院。
 ◎伽藍中枢部の規模
  北辺120m、南辺125m、南北167m、面積約2ha。寺域はさらに東へ。
 ◎南門、北西門
 ◎講堂
  東西棟基壇建物。東西32m以上・南北12m以上。
 ◎僧房、金堂、塔
(2)出土瓦
  多賀城・多賀城廃寺の創建瓦より古く、7C末~8C初め。
  八弁単弁蓮華文軒丸瓦、重弧文平瓦、粘土板桶巻き作り無断丸瓦、
  粘土板桶巻作り平瓦
  文様から見て、郡山廃寺の軒瓦は多賀城・多賀城廃寺創建瓦の祖型
(3)伽藍配置
  伽藍配置は多賀城廃寺と同じと推測。大宰府の筑紫観世音寺とも同じ。

東北歴史博物館館長講座(第4回)

2013-07-13 22:24:55 | 歴史
7月13日(土)、第4回東北歴博の館長講座が開催されました。
なお、今日から「考古学からの挑戦」というテーマで、「東北大学考古学研究
の軌跡」特別展が9月8日まで開催されています。

今日の講義は以下のような内容でした。
(各項目の内容は書ききれないので、部分的に記入)

第4回(2013-07-13)
第2章 辺境支配の展開
1.辺境政策
 陸奥国と越後国・出羽国は、国家領域の北の端の国で、「辺国」(辺境の国)
 と呼ばれた
 律令国家の辺境政策は、蝦夷の移住する地域(辺国の外側)に支配領域を拡
 大すること
2.郡の設置方式
 ◎一般諸国:その地域の住民を公民とし、豪族を郡司任命
 ◎辺境:国家に対して服従性を持たなかった
  ①城柵の設置
  ②他地域からの移民(柵戸)→公民化→郡・里の設置
  ③蝦夷の服属→朝貢→公民化
3.辺境支配の拡大の諸段階
 奥越羽における辺境への支配拡大は、7C半ば~9C初めのほほ1世紀半に、
 奥・越羽がほぼ対応して段階的に進められた。
 第1段階 7C半ば郡山遺跡Ⅰ期官衙 (越・羽:磐舟柵)
 第2段階 8C前半:1000戸移民 (越・羽:出羽柵)
 第3段階 8C後半:桃生城陥落 (越・羽:雄勝城)
 第4段階 9C初:阿弖流為征討
4.陸奥国と越後・出羽国
 越羽側より陸奥側は蝦夷の抵抗が強く、困難で時間がかかった

第3章 (仙台)郡山遺跡の概要
 7C半ば~8C前葉の地方官衙遺跡であり、日本歴史全体としては、律令制
 国家が形成・確立する時期
 ◎性格
  Ⅰ期官衙:城柵
  Ⅱ期官衙:陸奥国府
1.調査の歴史
 (1)黎明期:1915(大3)年~
 (2)本格的調査:1979(昭54)年~
2.郡山遺跡の立地
 (現)仙台市太白区郡山、仙台平野のほぼ中央、名取川・広瀬川の合流点の
 北西1.5kmで、合流点から6kmで太平洋に河口を開く