平らな深み、緩やかな時間

293.『川西 紗実 展』とベンヤミンの「アウラ」について

東京・渋谷の神宮前の「トキ・アートスペース」で、1月29日まで『川西 紗実 展』が開催されています。

http://tokiart.life.coocan.jp/2023/230124.html

 

川西さんは、絵画的な表現をする作家ですが、表現形態において平面作品を壁面に飾ることにこだわりのない人です。川西さんが描いた作品は、ときにくしゃくしゃになって天井から吊り下げられ、ときに折り曲げられ半立体状になって床に置かれます。しかし、その作品の表面は、つねに何かを描きたい、という欲求に満ちています。

 

上の展覧会の案内状の写真を見てください。

グレーや茶褐色の大きな色面と、鮮やかな細かい模様のような形が交錯し、入り乱れて複雑な空間を形成しています。それらの形は何の規則性もなく描かれていますが、じっと見ていると左右に緩やかな揺れをともなって、心地よい流れを作っていることが感じられます。

それに半透明のレイヤーを重ねたような、平面的な画面の奥行きが、川西さんの現代的な空間意識を象徴しています。川西さんの作品は絵画的なイリュージョンを持ちながらも、それが旧套的な奥行きへと向かわない、そういう現代絵画の方法論を自然体で身につけているのです。これは、私のような世代の絵描きには、ちょっとうらやましい特性です。

年寄りの画家たちにとって、絵が上達するということは、遠近法的な奥行きを身につけるということでした。そんな古くさい絵を描きたくなければ、石や木や金属などの物質的な素材を画廊に持ち込んで、インスタレーションの作品でも作れば良いのです。しかし、そんな現代美術家たちが、時代が変わって再び絵筆を握ってみれば、旧套的な絵画空間がどこかで透けて見えるような絵画をぎこちなく描くしかないのです。もしくは、私の親しくしている真摯な表現者たちは、自分自身の記憶に抗って厳しい局面での表現を展開しています。

その記憶への抵抗が表現の緊張感を生んでいる、と私は思っていますが、川西さんのように自然に現代的な絵画空間で遊ぶように描く人を見ると、明らかに新しい時代の息吹を感じます。

リニューアルされた地平に立つ表現者が、これからどこに向かうのか、それを見ることは楽しみでしかありません。

 

そんな新しい表現者である川西さんですが、やはり表現者としての水準を保つ上では作品を作品として見せる力量が必要で、川西さんはその力量を持っています。今回の展示では、四角い矩形の作品が多かったのですが、大胆な筆致で描かれたように見える作品であっても、それは見事に構成されたものでした。どのように描いても作品としてちゃんとまとまって見えてしまう、これは作家としての長所ではありますが、うっかりするとそれが表現の限界になってしまいます。

川西さんは、その限界を越えるために二つのアプローチを実践しているように見えます。

 

一つは、基底材である紙を丸めたり、折り曲げたり、吊り下げたり、床にばら撒いたりして、平面ならざる平面として表現する方法です。

この方法については、以前の川西さんの展覧会の時にも、私はフランスのシュポール/シュルファス運動に関連する作品、例えばクロード・ヴィアラ(Claude Viallat、1936‐ )の作品や、アメリカのミニマル・アートの作家、フランク・ステラ(Frank Stella, 1936 - )の作品と比較しながら言及しました。

http://www.moreeuw.com/histoire-art/claude-viallat-oeuvre.jpg

https://uploads6.wikiart.org/images/frank-stella/shoubeegi-1978.jpg

 

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/9b6fb21a04345f25b1591f4086f65915

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/89101040f756167fef8c2668d9d73f7e

 

そしてもう一つは、今回の案内状の写真のように、矩形の画面の中でいかに自由に表現できるのか、ということを模索する方法です。

この案内状の作品については冒頭でその表現について書きましたが、実は川西さんはこの作品においては、意図的に素材の物質性を抑制して描くことを試みていました。しかし、他の作品においては、もっと果敢に素材についてさまざまな工夫をしていました。

例えば、パネルの上に塗った下地の素材と油彩絵の具やアクリル絵の具との相性を推しはかりながら、マットで不透明な色面と透明感のなる色面とを巧みに描き分けた作品がありました。あるいは、絵の具の中に物を混ぜて多様なマチエールを試みたり、紙を立体的にコラージュして物質性を強調したり、というようなことも探究していたのです。

それらの素材へのアプローチは、今のところ川西さんにとって新鮮な感触となっているようで、その驚きや喜びが作品に表れていました。もしかしたらこの新鮮な喜びは、いつか失われてしまうのかもしれません。しかしその時には、これらの多様な表現が川西さんの血となり肉となって、新たな表現へと向かっていることでしょう。

 

今回の展示では、これらの二つの方法を兼ね合わせたような表現もありました。奥の左側の壁面に飾られた黒いパネルの上に、不定形の紙のペインティングを貼った作品です。川西さんのお話では、大きな紙に描いた画面を切り抜いて、パネルに貼ったらうまく収まったのだそうです。その意図しない偶然性がよかったのだと思います。画面上の自由なペイントと、パネルの黒い矩形とがうまく融合していて、川西さんの自由なペイントを損なうことなく四角い画面に定着させることができていました。

この手の作品は、意図して切り抜こうとすると意外とうまくいきません。どこで切ったら良いのか迷ってしまって、それが不自然さや窮屈さを生んでしまうのです。しかし今回の結果から、こういう表現形式も一つの有効な方法である、ということがわかって良い収穫となったと思います。



さて、こんなふうに技術的な側面から川西さんの作品を分析することも興味深いのですが、多様な表現を試みてやまない川西さんの制作の動機、その精神的な支えとなっているものについて、私なりの解釈を書いてみたいと思います。

川西さんのこの多様な表現を見ると、もしかしたら私のような古い世代の作家は違和感を持つかもしれません。おっちょこちょいな人だと、なぜ川西さんはもっと表現方法を絞らないのか、なぜもっと統一した方法論で作品を制作しないのか、などという余計なことを言うかもしれません。

と言うのは、私の若い頃の現代美術の作品と言えば、どうしても作品そのものよりも作品制作の方法論やコンセプトを重視する傾向がありました。その極端な例はコンセプチュアル・アートの作品だったのですが、例え絵画形式の作品であっても、そこには明確な方法論が必要であり、展覧会でいくつかの作品を展示するのであれば、そこには統一した方法論が見出されなくてはならなかったのです。

例えばミニマル・アートの絵画を志向するならば、展覧会場に並んだ作品は全て平滑な色面で塗られた作品でなければならず、そこに一枚でもそうでない絵が混ざっていれば、表現の不徹底さをなじられる、というような傾向がありました。結果的に、それは退屈な眺めの展覧会になりましたし、作家自身だって決まったやり方でキャンバスを塗るだけならば、流れ作業のような制作になったことでしょう。

今はミニマル・アートの流行が去ったとはいえ、展覧会で作品を発表するということは、自分なりの決定的な方法論を発表することだ、と考えている作家は多いと思います。一点一点の作品で評価されるより、並べられた作品の全体で明確なコンセプトを語ることで、自分の表現を理解してもらいたい・・・、そう思っている作家は意外と多いと思います。私は一概にそれが悪いとは言いませんが、その作家は一枚の絵、一点の作品と向き合った時に何かヴィヴィッドな感情を持ちえたのでしょうか?そんなことを疑問に思ってしまいます。

 

このことに関連して、私がいま勉強している『フランクフルト学派』(細見和之 著)という新書の中にヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin、1892 - 1940)というドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家が登場します。ベンヤミンについては、次回のblogあたりで取り上げたいと考えていますが、今回は作品一点一点をどう見るべきなのか、という話の流れで、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』という論考について触れてみたいと思います。

『複製技術時代の芸術』という論文で、ベンヤミンは有名な「アウラ(オーラ)」という概念について書いています。「アウラ」は芸術作品などを前にして人が経験するであろう畏怖や崇敬の感覚のことで、私たちは通俗的な意味で「あの作品はオーラを放っている」とか、著名人を見かけると「あの人にはオーラがかかっていた」などと言います。ベンヤミンは、この「アウラ」の感覚には、多分に古来からの偶像崇拝や儀式などが影響しており、近代になって写真や映画などの「複製技術」による芸術表現によって、「アウラ」の感覚が失われつつある、と書いています。次の文章を読んでみてください。

 

いったいアウラとは何か?時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である。ある夏の午後、ゆったりと憩いながら、地平に横たわる山脈なり、憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを、目で追うことーこれが、その山脈なり枝なりのアウラを、呼吸することにほかならない。この描写を手がかりとすれば、アウラの現在の凋落の社会的条件は、たやすく見てとれよう。この凋落は二つの事情にもとづいている。そしていずれの事情も、大衆がしだいに増加してきて、大衆運動が強まってきていることと、関連がある。すなわち、現代の大衆は、事物を自分に    「近づける」ことをきわめて情熱的な関心事としているとともに、あらゆる事象の複製を手中にすることをつうじて、事象の一回性を克服しようとする傾向を持っている。対象をすぐ身近に、映像のかたちで、むしろ模像・複製のかたちで、捉えようとする欲求は、日ごとに否みがたく強くなっている。この場合、写真入りの新聞や週刊ニュース映画が用意する複製が、絵画や彫刻とは異なることは、見紛いようがない。一回性と耐久性が、絵画や彫刻において密接に絡まり合っているとすれば、複製においては、一時性と反復性が同様に絡まり合っている。対象からその蔽いを剥ぎ取り、アウラを崩壊させることは、「世界における平等への感覚」を大いに発達させた現代の知覚の特徴であって、この知覚の複製を手段として、一回限りのものからも平等のものを奪い取るのだ。このようにして視覚の領域で起こってきていることは、理論の領域で統計の意義がしだいに顕著になってきていることに、ひとしい。大衆にリアリティーを適合させ、リアリティーに大衆を適合させてゆく過程は、思考にとっても視覚にとっても、限りなく重要な意味をもっている。

(『複製技術の時代における芸術作品』ベンヤミン 野村修訳)

 

「アウラ」とはどのようなものなのか、夏の午後に山脈の風景を眺める時に感じられることを事例として説明するベンヤミンの文章がとても美しいです。しかし、このような」「アウラ」が失われて、写真や映像に置き換えられて大衆化されていくことを、ベンヤミンは肯定的に受け止めているように読み取れます。私がベンヤミンのこの論文を読んでいて躓くところはそこなのです。「これこそ、芸術の危機ではないのか?」と私は思うのですが、ベンヤミンはそう捉えていないようです。

『フランクフルト学派』の中に書かれた細見さんの解説を参照してみましょう。

 

これは一見、芸術にとって憂慮すべき事態とも思われます。ベンヤミン自身、読みようによっては、そのことを嘆いていると感じられるところもあります。しかし、そういう複製技術が可能にしたものを、むしろ最大限に評価しようというのが、ここでのベンヤミンの基本的な姿勢です。とりわけ、映画という新しいメディアにそくして、複製技術のもたらした可能性をベンヤミンは力強く訴えます。ベンヤミンは、映画によって、私たちの知覚のあり方それ自体が拡張されたと言います。スローモーションの技術によって、普通なら目にすることのできない素早い動き、たとえば花瓶が床に落下してその破片が飛び散る様子を私たちはじっくりと観察することができます。逆にあまりゆっくりで知覚できない動き、たとえば植物が蔓(つる)を伸ばす様子を、映像を早送りすることで、私たちは目に見える動きとして捉えることができます。

(『フランクフルト学派』「第3章 亡命のなかで紡がれた思想」細見和之)

 

私が長年、モヤモヤとしていたものが、細見さんの平易な解説によって氷解しました。ベンヤミン自身も「アウラ」の喪失について、両義的な感覚を持ちつつ、この論文ではそれを肯定的に捉えようと試みているわけです。

しかし、それはいったいどうしたわけでしょうか?

この当時の芸術運動でイタリア未来派という動向がありました。その中心人物である詩人のフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(Filippo Tommaso Marinetti、 1876 - 1944)は当時の最新のテクノロジーを肯定し、勢いあまって「戦争」と「ファシズム」を讃美したのです。どうやらベンヤミンは、その動向を芸術至上主義の帰結だと解釈し、それに対して映画の大衆性に注目したようなのです。

再び、細見さんの解説を参照しましょう。

 

背景には、ファシズムと戦争を美的に讃美するにいたったイタリア未来派のマリネッティら(「戦争は美しい」が彼らのスローガンでした)に対する痛烈な批判が存在しているのですが、ここでベンヤミンがコミュニズムの側に明確に立って、映画を階級闘争の武器とすることを訴えていることに疑いはありません。まだこの時点でベンヤミンはプロレタリア革命を実現したソ連に期待を寄せていました。彼がその期待を放棄するのは、1939年8月、ドイツとソ連が独ソ不可侵条約を結んだときでした。そのとき、スターリンとヒトラーが、つまりコミュニズムの陣営のトップ(であるはずの者)とファシズムの陣営のトップとがはっきりと手を結んだのでした。

また、この論考のなかで、既存の芸術におけるアウラの喪失について語る際、ベンヤミンは「芸術の自律性」という主張を時代遅れのブルジョワ的なもの、と批判しています。芸術の自律性というのは、芸術はあくまで芸術のためのみ存在している、平たく言うと、芸術は他の何か(たとえば、お金を得るとか、名声を獲得するとか、国の威信を高めるとか)の手段ではなく、それ自体として価値を有している、と考える立場です。映画をプロレタリアートの武器としようとするベンヤミンの主張からすれば、当然このような芸術の自律性という考えは批判の対象となります。この点はアドルノにショックをあたえました。アドルノからすれば、芸術の自律性という立場はけっしてゆずれないものだったからです。この相違もベンヤミンとアドルノの「論争」のテーマとなります。

(『フランクフルト学派』「第3章 亡命のなかで紡がれた思想」細見和之)

 

前回のblogで見たように、アドルノ(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund、1903 - 1969)は自分自身が音楽家でもありましたし、大衆音楽を否定した人でもありました。その点で尊敬するベンヤミンとは意見が異なっていたのです。

このアドルノやベンヤミンが生きた時代は、封建的な社会が大きく変革した時期でもあり、また第二次世界大戦があってファシズムが台頭した時期でもありました。彼らの価値観も揺れていたようで、ベンヤミンの「アウラ」に対する考え方もその時期に特有のものだと考えても良いでしょう。

もしもベンヤミンが戦後も生きながらえていたら、あるいは現代のネット社会を覗き見したら、どのような感想を持つのでしょうか?例えば、今の私たちから見れば、映画という表現は十分に「アウラ」的な表現手段です。ネット上で気軽に見ることができる即席の動画に比べれば、映画館で映画を見ることはまさに「アウラ」を体験する鑑賞の形式なのです。さらに私にとっては、パソコンの画面上で映画を見ることすらも、「アウラ」的なものなのです。

だから私は、ここでベンヤミンに抗して宣言したいと思います。芸術表現における「アウラ」は戦争やファシズムの価値観とは無関係であり、むしろそれらを否定するものです。「芸術至上」の考え方は、ブルジョワ的なものでもありません。

大衆芸術においても、優れたものには「アウラ」が感受できますし、「複製技術」がはびこってしまった現在では、「アウラ」を取り戻すことこそが人間にとって必要なことだと私は思います。コロナ禍で、オンラインばかりの人やものとの触れ合いになってしまった時に、私たちはどれほど直接的な触れ合い、「アウラ」的な一回性の触れ合いの貴重さを知ったことでしょうか・・・。

 

だいぶ話が川西さんの展覧会からそれてしまいましたが、私は川西さんが一点一点の作品に真摯に向き合い、その都度表現手段が違っていることの原因は、川西さんがつねに自分の作品に「アウラ」を求めているからではないか、と考えます。前に述べたように、私の世代の現代美術家が方法論にこだわるあまり、一定の方法で作品を量産してしまうのは「アウラ」を喪失してしまう行為に他なりません。私はそういう作品を退屈だと思っています。

それに比べて、川西さんのように、ひとつひとつの作品が少しずつ違った様相を見せ、その時の彼女の感覚に見合った方法論で制作されていることに、私はとても興味を覚えるのです。川西さんにとって、そのように制作することが自然なことであり、そこには何の躊躇もないように見えます。私は何十年かの人生を無駄に過ごしたのち、今、川西さんのような若い方の表現に、とくにその感覚に学ぶことが多いのです。

彼女たちが自然にできていることを、私たちは意識的にやらなくてはなりません。やれやれ、ろくな年の取り方をしなかったな、とぶつぶつ言いながらも、新しい感覚の作品と出会うことが楽しくてなりません。

皆さんにも、そのことがわかっていただけるとうれしいのですが、ちょっと理屈っぽかったでしょうか・・・?

とにかく、トキ・アートスペースに足を運んで、彼女の実物の作品を見てください。そうすれば、すべてわかります。

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