東京都美術館の「モネ展」を見に行きました。
印象派、とくにモネ(Claude Monet, 1840-1926)は日本人が大好きな画家です。今回もたいへんな人出だと聞いていたので、少し早めに都美館に行きました。噂にたがわずたいへんな混雑でしたが、私が見たかった晩年の作品については、まあまあ落ち着いてみることが出来ました。
モネは晩年の作品を数多く自分の手元に残していたそうです。それらがマルモッタン美術館に寄贈され、今回、それをまとめて見る機会となったのです。いまさらモネを見ても・・・という方もいらっしゃるでしょうが、私にとって晩年のモネは何度見ても新しい発見があります。それらが集められた最後の部屋は、あたかも抽象画かと見まがうばかりの絵が並び、圧巻でした。会場内では「日本の橋って(タイトルに)書いてあるけど、どこに橋があるの?」「何が描いてあるのか、さっぱりわからない!」という声があちらこちらから聞こえてきました。それだけモチーフ解釈の抽象度が高かったのだと思います。そのあたりのことについて、私なりの感想を記すことにします。
まず、素朴な疑問があります。モネは晩年になって、どうしてあのような抽象的な絵画を描いたのでしょうか?白内障による視力の衰え、という説が一般的には有力です。しかし、今回のカタログにはこんな解説があります。「筆触を荒く、ものの形をあいまいにするモネのこのような描き方には、1912年に診断を下された白内障の進行が影響を及ぼしていたと言われるが、モネは近距離では十分に視力があり、筆の運びは認識できていたといわれている。」(p118 後藤結美子)おそらく、その通りだと思います。モネの描く形はあいまいであっても、筆触に迷いはなく、その色彩には強い意志を感じます。誰でも年を取れば視力に不自由を感じるものですが、それだけであの抽象的な画面を説明することはできないでしょう。
それでは、モネは意図的に表現主義的な作品を描いたのでしょうか?その可能性は否定できないと思います。モネは印象派の画家ですが、彼が作品の抽象度を高めていった1915年頃といえば、カンディンスキー(Wassily Kandinsky 1866-1944)がすでに初期の表現主義的な抽象絵画を描いていますし、ムンク(Edvard Munch 1863-1944)の有名な『叫び』が描かれたのは1893年です。考えてみると彼らとモネとは20歳ぐらいしか違わないのです。モネが直接、彼らの絵を知っていたかどうかわかりませんが、色彩や形象を自由に表現する時代に生きていたわけですから、その気配を感じとっていたことでしょう。それにそもそもモネの作品には、印象派の手法とはそぐわない過剰な色彩表現がしばしば見られます。朝焼けや夕暮れの光を口実にして、ずいぶんと濃厚な色を使うなあ、と感じたことはありませんか?私はモネの資質の中に、印象派の理論には収まらない何かがあるのだろう、と思います。ただゴッホ(Vincent van Gogh 1853-1890)やゴーギャン(Paul Gauguin 1848-1903)のように、自分の内面表現や文学的な主題をとりあげることがなかったので、純粋な印象派の画家だと捉えられているのです。その資質が、晩年の作品に噴出したのではないか、とも考えられます。
そしてモネの作品は、しばしば20世紀前半の時代を飛び越えて、第二次世界大戦後の抽象表現主義の絵画との類似点が話題になることがあります。今回のカタログにも、「最晩年の作品」の項目の解説に、こんなことが書かれています。
モネは入念な仕上げをさほど重視していなかったが、これほど自由で、抽象画に近い表現をとるのは稀なことだ。画家の生前は一度も展示されず、公にされることなく保管されたこれらの作品が示すものは、彼の画業の本質的な部分であり、おそらく20世紀の芸術に最も豊かな影響を及ぼすこととなるものである。《日本の橋》に見られる縦長の筆触によりほとばしる色彩と、そこから生まれる視覚のダイナミズムは、ジャクソン・ポロックの「オール・オーバー」や「ドリッピング」、アメリカの抽象表現主義やエコール・ド・パリの画家たちの作品を強く想起させる。
(p116-7 クレール・グーデン)
抽象表現主義の画家の中でも、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock, 1912-1956)とモネの晩年の絵画との類似はよく聞く話で、ここで書かれている「オール・オーバー」や「ドリッピング」などの特徴は、ぱっと見たところで似ています。しかしここではあえて、モネとポロックとの違い、さらにモネとポロックの生きた時代の、それぞれの表現の限界について考えてみたいと思います。
ポロックは批評家のグリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 -1994)のアドヴァイスのもとで、絵画制作を先鋭化していきました。はじめは神話などのイメージを手掛かりに絵を描いていましたが、やがて抽象絵画に移行し、画面の密度を均質化するようになります。画面の均質化は、一般的な意味での画面構成や上下左右などの方向性をなくしていくこと、つまりに「オール・オーバー」になっていくことに繋がります。また、アメリカ・インディアンの砂絵からヒントを得たと言われる「ドリッピング」も、画面の均質化に一役買っています。この達成をポロックはわずか数年で成し遂げています。このスピード感が、いかにもモダニズムの時代のものだと感じさせます。
一方のモネの晩年の絵は、筆触が粗くモチーフが朦朧となり、まるでポロックの絵のように抽象的な作品に見えます。しかしモチーフの細部表現がラフになっても、全体の空間構成が現実から離れることはありません。例えば描かれたものが樹間の小道であっても、小川にかけられた太鼓橋であっても、アーチ状のものに覆われながら奥へと進んでいく空間は維持されています。ですから、何だかわからないけれど奥行きの感覚が似ている作品が並ぶことになります。モネは空間を把握する力に長けた画家だったので、睡蓮の池の水面を描いても、ちゃんと水平線に近い上部が奥に行くように表現しています。この点では、画面の平面化を推し進めた少し後輩のゴーギャンやゴッホと比べて、モネは写実主義の画家だった、と言えるでしょう。
私は絵画が物理的に平面であるということと、その平面上に奥行きを表現したものであること、このふたつの事実について画家たちがどのように立ち向かったのか、ということに興味があります。ここで絵画史について云々するつもりはありませんが、大雑把にいうとイタリア・ルネッサンス期において最も精緻な遠近表現が完成し、近代以降はより自由に表現するために画家たちが絵画の平面性に注目してきました。ある意味では、いずれの表現方法をとってもその結果は見えているのです。ですから、いま絵を描く画家にとって、この二つの事実のはざまでどのように葛藤したのか、ということが重要になります。そのことに無反省なまま絵を描くことは簡単なことであり、また安易なことでもあります。
ここで、ポロックとモネの表現の比較にもどって考えてみましょう。ポロックの時代にあっては、絵画の平面性をどこまで推し進めることが出来るのか、が真摯な問題でした。ですから彼は、具象的なモチーフや奥行き表現を捨てて、絵画の平面性を追究しました。一方のモネにあっては、ものを見て描くことが彼の画業の大前提でしたから、モチーフの細部がどれほどぼんやりとしていても、奥行き表現を捨てることはありませんでした。彼の絵はポロックの表現に似ていても、「オール・オーバー」になることはありませんでした。ポロックの表現とは、やはり半世紀分の差異があるのです。
私たちはモネの晩年の作品を見て、絵画にとって遠近法に依拠した奥行きの表現がいかに重要であったのか、ということをあらためて考えてみてもよいでしょう。モネとポロックとの半世紀分の差異は、たいへんに重いものです。モネの絵画の現代性について驚愕するのならば、モネが奥行きのある絵画空間の中で葛藤していたことも胸に刻んでおかなくてはなりません。
それにしても、モネからポロックまで半世紀、それは短すぎるようにも思います。モダニズムの絵画は、あまりに性急に結果を出してしまったのではないでしょうか。モネの晩年の作品を見ると、咀嚼しきれないような何かを感じてしまいます。ポロックがドリッピングという技法で絵画空間に風穴を空けてしまったのですが、そのことの意味をいまだに私は正しく理解できていません。だから、モネからポロックへと至る筋道を、何回でも辿りなおしてみたい、とそう思うのです。
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