はじめに展覧会のお知らせです。
10月6日から10月18日に東京の櫻木画廊で開催される『Dan Nadaner、Miyashita Keisuke(ダン・ナダナー、宮下圭介)』展のパンフレットに私が紹介文を書きました。アメリカのダンさんと宮下さんの二人の展覧会ということで、日本語のテキストとともに野地恵子さんが翻訳してくださった英訳テキストがついています。美しい装丁は宮下夏子さんが手がけています。パンフレットの仕上がりは展覧会当日なので私も現物を見ていませんが、いまから楽しみです。
二人の作品について少し触れておくと、宮下さんの作品がしっかりとした構造を持った抽象絵画であることは皆さんご存知だと思いますが、ダンさんの作品も奔放に描いた絵画のように見えながら、実は理論的な考察に裏付けられたものです。ですから、二人の制作方法を対比して見るだけでも、十分に興味深い展覧会になるでしょう。
そして彼らの作品は画面上の絵具の層がその表現に大きく関わっているので、やはり実物を見る必要があります。(本当に優れた作品というのは、そういうものです。)新型コロナウイルス感染が予断を許さない状況ですが、素晴らしい展覧会になることは間違いないので、感染防止に気をつけながらご覧いただければ、と願っています。
このところ、夏の暑さから急に秋の深まりが感じられる気候になり、世間のせまい私の下にも知り合いの作家の方から、展覧会の案内状が続けて届くようになりました。感染の自粛期に展覧会を延期された方も、そろそろあらためて展示をされる時期なのかもしれません。実は職場の仕事も日常の回復とともに忙しくなってきているところですが、何とか時間を作って一つでも多くの展覧会を見たいと思っています。
みなさんも体調が万全でしたら、手洗い、うがい、消毒を励行しながら、少しずつ街の画廊へ出かけてみませんか?日本の政府は飲食店やホテルの経営にしか興味がないようなので、画廊での展覧会などの私たちの文化は、私たち自身で守っていくしかありません。この苦境の中で画廊を経営、運営している方たち、作品を展示している作家の方たちを孤立させてはいけません。感染を正しく恐れながら、何とか画廊へ足を運びましょう。
さて今回は、前回も話の中で触れた持田季未子(1947 – 2018)の遺作とでも言うべき『美的判断力考』という本のなかの、「美的判断力の可能性」という論文を取り上げます。この本は、彼女がさまざまな機会に書いた文章を集めたもののようですが、例えば『絵画の思考』で「第二回吉田秀和賞」を受賞した時のあいさつ文のように、通常の論文とは一味違った砕かれた言葉で書かれた文章もあり、書物の中でしか持田のことを知りえなかった私のような者にとっては、うれしい編集となっています。
そしてこの「美的判断力の可能性」という論文ですが、ジェンダーという観点から芸術関連の諸学をみると、従来の考え方とはずいぶんと見方が変わってくるのではないか、という内容なのです。ですから、これはできれば前回の、『Chatterbox』展に関するコメントの後に紹介できればよかったのです。ところがいつもの私の鈍さから、というよりもジェンダーについての私の無関心から、この論文のことをすっかり失念していて、一週遅れとなってしまったのです。何だかんだと偉そうなことを書いてみても、私の意識レベルはこんなものです。それでも黙っているよりは、わかったことを懸命に書いた方がいい、というそれだけの理由で文章を綴っています。底の浅い知識が露見したら、ぜひご意見をいただきたいと思います。
ここまで読んでいただいた方の中で、前回のこのblogを読んでいらっしゃらない方がいたら、ぜひとも前回の分を先に読んでいただきたいのですが、それも面倒な方のために、簡単に事情を説明しておきましょう。
8月末に京橋のギャラリー檜で『Chatterbox』展という展覧会がありました。この展覧会は阿部尊美、藤本珠恵、山本裕子、飯沼知寿子という4人の女性作家による展覧会だったのですが、ギャラリーの一室ずつを割り振った個展形式の展示の充実ぶりもさることながら、会場で配布された4人の対談をまとめた冊子が興味深いものでした。それは彼女たちの制作活動と共に、女性作家として制作していくことの困難にも触れた内容だったのです。「Chatterbox(おしゃべりな人)」というタイトルに、重たい内容を軽妙に語ってみせる彼女たちのウィットとともに、その困難の中で活動してきた自負と覚悟を感じました。前回のblogにおいて私はこの展覧会を振り返るとともに、冊子の中で美術批評に関して触れている部分があったので、私の尊敬する持田季未子の『絵画の思考』の序文から、批評のあり方について書かれた部分を引用して自分なりの考察を進めてみたのです。
そしてblogを更新した後で、その持田季未子がジェンダーについて書いた論文「美的判断力の可能性」のことを思い出したのです。すっかり忘れていたくせにこんなことを言うのも何なのですが、この論文はとても重要な論文だと思います。というのは、持田はこの中で、ジェンダーという観点が根本的に「美的判断力」の見直しを要請していること、すなわち、この観点による見直しが男女にかかわらず誰にとっても必要だということを解き明かしているのです。その一方で、例えば「フェミニズム美術史学」の「特性と限界について」、冷静に見定める部分もあって、この論文が客観的な立場から書かれたものだということがわかるのです。
ですから、「ジェンダー」や「フェミニズム」という観点に興味がある人、軽視している人、そもそもそういう知識に欠如している私のような人、誰もがこの論文を読んでその影響の広さと特質、限界について知る必要があるのです。その論文「美的判断力の可能性」の書き出しは、次のような説明から始まります。
21世紀になった今日、ジェンダー観点の導入による見直しが、人文科学諸分野で進行中である。およそ学術研究は、蓄積した知識の総体およびそれらをあつかう方法のたえざる見直しを通して進展するものだが、ジェンダー視点によるそれは、諸学が従来当然のこととして問わずにきた基礎的部分をつきくずす意気込みにおいて、近年きわだっている。そのようにして、近代的人文諸学が価値中立、客観、合理を建前にしながらじつはジェンダー・バイヤスを背後に潜ませていたことが、指摘されつつある。
芸術関連の諸学も例外ではない。
美術史学の場合、たとえばアメリカの美術史家リンダ・ノックリンの名前は、日本で早くから知られている。草創期の記念碑的作品とされる彼女の『なぜ女性の大芸術家はあらわれなかったのか』(1971)は、すでに1976年に邦訳が出て影響力をもった。ノックリンは、ジェンダー問題だけでなくいろいろな位相での政治的権力と美術との関係に注目し、社会史に目配りしつつ、確実に歴史研究を推し進めてきた実力者である。また『女・アート・イデオロギー』を著したイギリスの研究者、グリゼルダ・ポーロックの名前も日本でよく知られている。ポーロックは、女性アーティストたちと実地に接触し、美術教育の実践にも携わりながら、80年代以降フェミニスト美術史学の代表的存在の一人となった。美術作品を人間の生きる現実の場からかけ離れた自律的な宇宙のようなものと考えるかわりに、ジェンダー、人種、民族、階級がぶつかりあう歴史や社会に引き戻し、いわば作品をテクスト外の文化的な意味あふれる世界に開いて、表象の歴史を見直していこうとする意欲は、すでにひとつの潮流をなしている。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
まず持田は「ジェンダー観点の導入による見直しが、人文科学諸分野で進行中である」ことを告げています。美術史においては、リンダ・ノックリン(Linda Nochlin, née Linda Natalie Weinberg、1931 - 2017)の『なぜ女性の大芸術家はあらわれなかったのか』が、早くも1976年に邦訳が出ている、と書かれています。「注」を見てみると『美術手帖』「1976年5月号」に松岡和子(1943 - )の訳によって掲載されていたそうです。この論文はよく話題に上りますが、恥ずかしながら私はこの論文を読んでいません。いまさらですが、読んでみようと思ってAmazonや古書店のネットで調べてみたら、なんと1976年の『美術手帖』は5月号だけ見つかりません。狐につままれたような感じです。
ちょっと脱線しました。この部分で私が重要だと思うのは、「近代的人文諸学が価値中立、客観、合理を建前にしながらじつはジェンダー・バイヤスを背後に潜ませていた」というところです。そのことの重大さは、このあとでわかります。
その前に持田は、「人文科学諸分野で進行中」だという「ジェンダー観点の導入による見直し」ですが、それでは哲学美学の分野においてこの動向はどういう状況なのか、ということについて言及しています。
では哲学的美学についてはどうか。美術史や音楽学などの隣接諸分野と比較すると、哲学的美学にかんしては、海外の研究動向の紹介も十分でなく、日本国内での蓄積もまだほとんどないように思われる。実証的な方法が確立され、より具体的、個別的な事柄をあつかう美術史学の方に、もともと女性研究者が多いからであろうか。アーティストに目を転じても、絵画、彫刻、手工芸、インスタレーション、写真、映画など多様な場で、少なくない数の女性たちがフェミニズムに親和的な態度を示しつつ表現活動をおこなっているし、作曲家や指揮者こそまだ数少ないものの、音楽の演奏家についてはとうに女性の方が上回っている。哲学の途に入る女性の数はまだ少ない。
しかし美学という学問的言説のありように踏み込み、美や芸術を語るその語り方自体がいかにジェンダーを組み込んでいるかに対して学問批評を加えようという試みは、アメリカでは90年代に入って隆盛となっている。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
ここでの注目点は、「哲学的美学」の分野におけるジェンダー視点の研究の遅れ、さらには日本においては海外の研究動向も十分に紹介されていない、という現状です。そこで持田はここでその考察を進めて、私たちにその内容を知らしめてくれるというわけです。
ところで「哲学的美学」という分野は、正直に言って美術作家にとって、そして一般の美術鑑賞者にとっても、なかなか縁遠い学問なのではないでしょうか。「美学」という言葉は、わりと一般的に使われていますが、学問としての「美学」とはどんなものなのか、知らない人も多いと思います。
哲学で「美」を扱う、といえばプラトン(Plátōn、紀元前427 - 紀元前347)が「芸術はイデア(理想)の模倣である」などと今から見るととんでもないことを言って「芸術」を貶めてきた、という印象があります。
その後、時代がぐっと下ってバウムガルテン( Alexander Gottlieb Baumgarten、1714 - 1762)というドイツの思想家によって「美学」という言葉が作られ、「知性」に対して下に見られていた「感性」が学問として探究されるようになったのです。バウムガルテンよりも10歳年下の哲学者、イマニュエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)は、バウムガルテンの影響を受けながら、『美と崇高の感情に関する考察』という論文、あるいは主著の一冊である『判断力批判』において人間の感覚と美との関係について考察しています。
さらにアメリカの現代美術の批評家クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)は、カントの哲学を基本に据えてフォーマリズム批評を展開したことは、このblogでも何回か取り上げています。とくにカントの論文のタイトルにもなっている「崇高」という概念は、アメリカの現代美術を代表する画家であり、論述家でもあったバーネット・ニューマン(Barnett Newman、1905 - 1970)の主要概念にもなっています。
長くなりましたが、ここまで辿ってみると「美学」という学問が、あるいは「美学」が探究した概念が現代美術にも深く根差していることがわかります。私たちが現代美術の作品を「いい!」と言ったり、「よくない」と言ったりするときにも、知らないうちに「美学」の概念が根拠になっているのです。
そして持田は、その「美学」が成立した当初から、その同時代に活躍し、後世に大きな影響を与えた哲学者のカントが、「ジェンダー偏向を有していた」というフェミニズムの学説を取り上げています。アメリカの現代絵画、とりわけ抽象表現主義やカラー・フィールド・ペインティングは、カント哲学を基本としたグリーンバーグのフォーマリズム批評の下で大きく展開しました。その影響を受けた日本の現代画家も多い中で、カントが「ジェンダー偏向を有していた」とするなら、これは捨てておけない事実ではないでしょうか。その内容を見ていきましょう。
『フェミニズムと美学の伝統』の巻頭に置かれるマティックの論文は、「美と崇高、芸術の概念におけるジェンダー・トーテミズム」という題名である。この巻頭論文以外にも、多くの筆者が「美と崇高」の問題に言及している。「美と崇高」の二項対立は、18世紀なかばというまさに美学言説がヨーロッパで成立した時代に好んで話題にされたテーマだが、これこそ、美学が現代のフェミニストたちから批判を浴びているポイントであるように見受けられる。出発点において美学はジェンダー偏向を有していたと彼女たちは言う。
フェミニスト哲学者がこの二項対立に対して一様に批判的なのは、当初から崇高が男性に、美が女性に配当されていたためだ。バウムガルテンがギリシャ語の単語「感覚」(aisthesis)をもとに美学(Aesthetik)という言葉を作り出し、それを著名にすえて主著『美学』(1758)を出版したのとちょうど同じ時期に、イギリスでエドモンド・バークの『崇高および美に関する我々の観念の起源の哲学的研究』(1756)が出る。この本で「美と崇高」は、対立する趣味のカテゴリーとしてこまかく論じられている。バークの経験論的な趣味論やジャン・ジャック・ルソーの教育論の影響のもとに、カントが前批判期の小品『美と崇高の感情に関する考察』をあらわし、一種の道徳哲学との関連から美と崇高の感情について論じたのは1764年である。カントはバーク同様、二つの異なる道徳規範を留保つきながらはっきりと男女両性に配分していた。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
カントの時代において、「美」と「崇高」は対立する概念として好んで論じられ、カントもその延長線上にあったということがわかります。
カントは、女性の長所は「美」を高めることにあり、男性の特性は「崇高」にあって、その「崇高」を「理性」としてはっきりと目立つようにすることが男性に期待される、と書いているのだそうです。この言葉の裏には、女性は「高度の洞察を持っていないこと、臆病で、重要な仕事を課せられていないこと」が含まれていて、でも、女性は困惑することはない、女性は「美しく、男の心を引きつける、それだけで十分である」と解説しているのだそうです。これは男の私から見ても、ひどい偏見だと思います。このカントの言葉に続けて、持田は次のように解説しています。
崇高こそ意志的、理性的な男性にふさわしい徳目とされ、美より上位に置かれている。20世紀末には、男性が美しく着飾ったり化粧したりしても誰も珍しく思わなくなった。それと比較すれば、道徳や趣味のすみずみにおよぶ性別規範はまさしく18世紀という近代の確立期に特徴的な現象だったことがわかる。
『判断力批判』(1790)でも二項対立は引き継がれる。本格的な批判期に属するこの著作においては、『美と崇高についての観察』の段階とは異なり、趣味や徳目の男女への配当は背後にしりぞくものの、理性との関連で崇高が美よりも高く位置づけられている。両性への明示的な言及はなくなり、より理論的に洗練された形で二項対立が存続するのである。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
なるほど、『判断力批判』を読んでも、そこに男女の性別の意識があることにはピンときませんでしたが、それはより洗練された形で差別意識が隠されていたというわけです。
たぶん、いまの私たちが『判断力批判』を読むと、いきなり「崇高」という概念があらわれてきて、それが「美しい」ということよりも重要な概念として扱われていることに戸惑いを感じるのが普通の反応だと思います。これは何だ?そういえばバーネット・ニューマンが「崇高」という言葉を使っていたな・・・、などということが、おぼろげに頭をよぎる、というわけです。「崇高」という概念が「美」との対比において、それも男女の差別的な対比において現れてきたのだ、ということを知っておく必要がありますね。それがわからないと、「崇高」の概念を正しく理解することもできないでしょう。
さて、こんな事情があることを知ると、カントという人を許せない!と感じる方も、当然いらっしゃると思います。「カントはフェミニスト哲学者からあまり好かれない」という言葉で書きはじめられた論文もある、と持田は紹介していますが、それも当然だと思います。しかし、カントの影響下に築かれてきた西洋哲学は巨大です。その巨大さの前で、このカントの「ジェンダー偏向」についてどう考えたらよいのでしょうか。そして私たちは、フェミニスト哲学者によるカント批判をどう受け止めたらよいのでしょうか。持田は次のように問いかけています。
彼女たちのカント批判を、私たちはどのように評価すればよいか。彼女たちは大哲学者の権威をものともせず、啓蒙主義的西洋近代が反面ジェンダー化の過程そのものだったことを見破り、西洋哲学を脱構築する視点を提供したと言えるのだろうか。あるいはひたすら男性中心主義の弾劾告発に終始するだけのたいして実りがない議論なのか。公平に測量しなければならない。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
持田はこのように宣言した後に、まず「18世紀のイギリス生まれの啓蒙思想家でフェミニズムの偉大な先駆者のひとり」であるメアリ・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft、1759 - 1797)のことを取り上げています。この人は小説『フランケンシュタイン』の作者であるメアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley、1797 – 1851)の母親なのですね。ウルストンクラフトは激動の人生を送った人のようですが、その著書『女性の権利の擁護』(1792)の中で「女性に美の規範を配当することに異議を申し立てた」のだそうです。ウルストンクラフトが目指したものは、女性も男性と同じ「徳」を修得すること、つまり当時の価値観はそのままに、女性が男性と同等の価値にあずかれるようにするというものでした。
ウルストンクラフトが論敵としたのはジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712 - 1778)らの教育思想家です。ルソーは主著『エミール』のなかで「女性は男性より体力が劣っているから、弱く受動的でなければならない。男性を楽しませ、男性に服従させられるように造られたのであるから、その主人に気に入られるようにすることが女性の義務である」と述べているのだそうです。ルソーは人間が社会と平等の契約を結ぶ「社会契約論」を提唱し、その著書『エミール』は理想的な子供の教育を語った本だと教わってきましたが、恥ずかしながら、私は彼の本を読んだことがありません。こういうことがあるから、ちゃんと読まないとだめですね。
そのルソーらの考え方に対し、「ウルストンクラフトの女子教育論は、男女の違いを生得的なところに求めるルソーに抗して、人為的、制度的な環境が作り出す結果と考えたものであり、フェミニストの面目が躍如としている」と持田は書いています。
しかし、そのウルストンクラフトでさえも「崇高の優位自体には疑いを差しはさまず、もっぱら女性が男性なみにその価値にあずかれるよう、男女平等をもとめているという点」が問題だ、と持田は書いています。つまり彼女の価値観にも、時代的な限界があったということです。それでは、いまの私たちはどう考えるべきなのでしょうか。
啓蒙の負の遺産や西洋の近代的理性のあやうさがすでにさまざまな角度から指摘された20世紀には、「美と崇高」批判の方法もウルストンクラフトの時代とは様変わりしていなければならない。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
これは男女を問わず、なかなか大きな課題だと思いますが、おそらく誰もが同意するでしょう。どのような差別であれ、差別されているものが差別しているものの位置に取って替わればよいというものではありません。そのような価値観そのものを、見直す必要があるのです。
しかし、そのように言うのは簡単ですが、実践するとなると難しいことです。実際のところ、ここから先の持田の論述は入り組んでいて、私にはうまく要約できる自信がありません。しかし、試みてみましょう。
まずはカントの「美と崇高」の中身について、もう少し見ておかなければなりません。
カントの『判断力批判』は、実はあまり芸術作品について論じていなくて、どちらかと言えば自然の美に対して共感する感覚について分析しています。これは私も以前に書きましたが、カントは故郷のケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)をほとんど(まったく?)離れたことがない人らしく、彼の見ることの出来た芸術作品は限られたものだったと思われます。今のように画像や印刷物で他国の芸術作品をふんだんに見ることが不可能だったのですから、そんなカントの芸術的体験に不足した状況を私たちは知っておく必要があります。
そのなかで、カントは「美」を、例えば自然のなかに咲く花のようなものだと思ったのです。そして彼は女性についても、その自然の美しさに近い存在だと考えたのです。一方の「崇高」は、例えば峻厳な山や荒れ狂う自然を見た時に人が抱く畏怖の感覚から発想されました。それは動揺、不快、高揚、苦痛を孕んだ感情でもあります。峻厳な山という圧倒的な大きな存在に対した時、人は自分が自然から独立した理性的な存在だと感じることができるのだと、カントは考えたのです。
これは、ちょっとわかりにくいですね。私たちは「崇高」と言えば、峻厳な山の威容そのものが「崇高」な存在なのだと思ってしまうのですが、カントの言う「崇高」とは、そのような山の姿そのものではありません。その山に圧倒されて、人間が自分の限界を感じたのち、自分の中に生じる自然から離れた感覚、それが人としての理性理念であり、男性が身につけるべき重要なものだというのです。
ところが、このようにカントが女性を自然と親和的な存在と見なしたことが、フェミニズム論者から攻撃されます。コーネリア・クリンガー(Cornelia Klinger)は「野蛮人や女性や子供は、つねに、象徴的に自然と同一視されて来たのではないか」と言ったそうです。また、クリスティーン・バタースバイ(Christine Battersby)は「自然から独立して理性的存在者となり得る男性だけが芸術作品を創造する」というカント以降の学者が唱えた「天才観念」を批判したのだそうです。さらにカント哲学が提唱した「自立と自由意志」は、女性や未成年を排除したうえで成り立つものではないか、と主張したロビン・メイ・スコットや、カントをヨーロッパの帝国主義的世界戦略の文脈で解読したキム・ホールの学説などが紹介されています。
このような動向について、持田は次のようにまとめています。
時代的限界が刻印されているかもしれないカントの言葉を彼女のように道徳的見地から非難するだけでは、議論が単調に陥る。過去の言説を現代の視点で読み直して、積極的な可能性を探ることはできないものだろうか。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
持田の言うとおり、人間の思想というものは自ずとその時代の制約を受けています。カントという人は生涯独身で、規則正しい生活を送る真面目な学者だったようです。そんなカントに、その時代の「ジェンダー偏向」のすべてを負わせて、その思想をあげつらうだけではあらゆる可能性が閉ざされてしまいます。
例えばカントの思想を、その時代の「ジェンダー偏向」に陥らないように読み直すことは、不可能なことでしょうか。
そこで持田は、先ほど出てきたコーネリア・クリンガーに注目します。「コーネリア・クリンガーの論文には、告発に終始しない柔軟な姿勢が感じられるように思う」と彼女を評価し、その理由を説明していくのですが、これがまた、入り組んだ話なのです。
そのコーネル・クリンガーが参照したのが、有名な『ポストモダンの条件』の著者であるフランソワ・リオタール(Jean-François Lyotard, 1924 - 1998)の『崇高とアヴァンギャルド』(1985)という論文です。リオタールはバーネット・ニューマンの絵画から論を起こし、「二世紀を隔ててカントの美学が戻ってきた」と論じています。リオタールは20世紀の前衛芸術が「欠乏」状態にある、と分析し、それがカントの「崇高」がもたらす畏怖の感覚と同じようなものだと考えたのです。カントの「崇高」は、先ほど見てきたように峻厳な山や嵐を目前にしたときに感受する人間の畏怖の感情がもたらしたものでしたが、それが20世紀の前衛芸術の陥っている「欠乏」と同じだというのです。しかし、そもそも20世紀の前衛芸術の「欠乏」が何だかよくわかりません。持田はこう解説しています。
リオタールによれば、20世紀前衛芸術はある種の「欠乏」(misere)の経験に結びついている。「欠乏」とは具体的には、画家が真っ白なキャンバスを前にしたときに感ずる不安をさす。言葉や音や色や形がなくなってしまうのではないか、いったいそれは起こるのか、今はたんなる無だ、何も起こらないのではないか、といった感情に襲われる作家の体験をさす。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
これを読んでも「欠乏」が何を指すのか、私には明確にはわかりません。
それで私の想像するところでは、こういうことです。20世紀の前衛芸術はつねに前進することを求められ、新しい改革を迫られています。次に何を描くべきなのか、その方法論が見つけられなければ何も描けない、という不安感は、確かにあったと思いますし、それはいまの私たちにも共有できるものです。その「何も起こらない(描けない)のではないか」という緊張状態が、18世紀の「崇高」の感情と同じものではないか、というのです。
何だかこじつけのような気もしますし、「リオタールのカント解釈は、かなり自由なものである」と持田も書いていますので、かっちりと結びつかない解釈であることはやむを得ないのかもしれません。しかしリオタールのこの解釈は、モダニズムが右肩上がりに上昇していく人間をイメージしていたのに対し、真っ白なキャンバスを前にして不安を感じる人間(画家)という、近代性からの離脱を感じさせるイメージを提示した点において、フェミニストのクリンガーが共感を寄せたのだろう、と持田は分析します。
クリンガーもそこに注目し、リオタールに好意を寄せている。彼女は「カントとリオタールは、共に想像力の無力さを崇高の中心においているが、そのことが前者では人間が理性的存在として参加し得る高次元の秩序の前兆ととらえられるのに対し、後者にはそのような地平はなく、たんに表象できないものと言うにとどまり、その意味で後者はポスト形而上学的である。前者において人間に理性的存在としてのアイデンティティを自覚させる契機となる同じものが、後者では逆にアイデンティティを脱構築する機能をもつことになる」とまとめている。リオタール論文にジェンダー観点はないにもかかわらずフェミニストのクリンガーが共感を寄せる理由は、かれが近代人男性の自己像と強く結びついた崇高概念を逆に近代性からの離脱の契機ととらえたことが、フェミニズムに通底するからだろう。まさしくポストモダン的なかれの崇高論は、18世紀の発生時において根深く男性性と結びついていた崇高概念のうちに、むしろ啓蒙的理性をおびやかす破壊力を見出している。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
ここで思想がひとまわりして、モダニズムの根源であったはずのカントの思想が、モダニズムからの離脱にも生かされていく・・・、というたいへん面白い構図になっています。
しかし、リオタールの崇高論をここまで引用してきたクリンガーですが、この後でリオタールに異を唱えます。それはリオタールが、ニューマンという芸術家を英雄視していることによります。先にクリスティーン・バタースバイのフェミニズム論を紹介しましたが、フェミニズムの論者はカント以降の学者が唱えた「天才観念」を厳しく批判しているのです。
持田はそれを次のように解説します。
モダニズムを担った、フランス印象派からキュービズム、抽象美術などをへて大戦後のアメリカ前衛芸術にいたる芸術家の固有名をヒーロー視することに、近年の美術史学はしばしば抵抗する。クリンガーのリオタール批判はそういった状況と基盤を共有すると言うことができる。
彼女の論文はやみくもにカントを批判するのではなく工夫が見えるところを評価したい。だが芸術論としては繊細さを欠くうらみがある。その難点は、クリンガーにかぎらずフェミニズム視点による美学や美術史学全般にみられることのように思う。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
ここで持田がクリンガーに対し、「芸術論として繊細さを欠く」と言っているのはどういうことでしょうか。
持田はニューマンの絵画がいかに崇高に、男性的に見えようと、第二次世界大戦の時代を生きた彼の作品には「分裂と不調和と恐怖の経験のさなかにあって芸術という平和的な形式で暴力を克服しようする努力を読みとることは、それほどむずかしくない」と書いています。同じように、ニューマンの盟友、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)の作品がどんなに活動的で激しく見えても、『ラヴェンダー・ミスト』や『秋のリズム』の優美さや抒情性は否定できないばかりでなく、そこには「暴力にみちた世界を克服しようとする強い意志さえ感じられる」とも書いています。つまり、一見して暴力的で男性的に見える作品であっても、つぶさに見えていけば芸術作品として違った側面が見えてくるということです。
フェミニズム美術史研究においては、その作品が無意識のうちに表現してしまっているジェンダー力学が暴かれてきました。そして同様の動向として、例えばヨーロッパの人たちから見た差別幻想である「オリエンタリズム」なども、近年になって明らかになってきました。さらにそれが、リオタールとクリンガーに見るように、近代からの離脱を共有するような、新しい研究の可能性を切り開くこともあったでしょう。しかしそれぞれの学問には探究すべき方向性があります。簡単に言えば、それぞれの学問分野には向き、不向きがあるのです。そのことについて、持田は次のように書いています。
支配する側からはなかなか見えにくい隠された権力関係に光を当てることは、習慣的な見方をはなれて作品を批判的に見直すよう促すという意味で、本来、作品の価値評価に役立つはずのものである。だが現実にはイデオロギー批判に終わることが多い。かつての社会主義レアリズムも同じような厄介な問題をはらんでいた。政治と芸術の関係はなかなか一筋縄では行かない。政治的関係の観点だけから芸術的創作を論ずることは不可能なのである。
思うにフェミニズム美術批評は広告写真、各種のプロパガンダ映像、ポルノグラフィーなどの対象を扱うときに、もっとも有効性を発揮するのではないか。大衆社会に流通するこれらの視覚イメージにおいて、偏った意味内容がどのように形成され、変化し、伝達され、受容されるか、といったことの分析が得意分野のように思う。より繊細な感受性と複雑な意味論的分析を必要とする芸術作品を相手にすると、いろいろ不都合が生じてくる。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
そして先ほどのリオタールとクリンガーの論文に話をもどすと、クリンガーの批判がニューマンらの作品を捉えそこなっていたとすれば、リオタールの議論も哲学者の芸術論にありがちな観念的なものであったことも事実だ、と持田は書いています。そもそもリオタールは美術批評家ではないので、その後は芸術から離れて『判断力批判』を芸術抜きで論じたのだということです。
それでは、フェミニズムにも向き、不向きがある、という結論で話は終わってしまうのでしょうか?
実は、そうではないのです。もっと実りのある探究の仕方があるはずだ、と持田は話を続けます。
美学言説がジェンダー・バイヤスに濃く染まりながら18世紀に成立したのは事実だが、カントの美学そのもののなかに、近代的主体の限界の自覚とその克服への努力を読みとることもできる。ジェンダー観点導入による批判はたしかに一度は必要だが、告発だけに終わるのではつまらない。フェミニズムと1970年代後半以降のフランス哲学は、立場の相違こそあっても、ともに、文化がいかにフィクショナルな言説でしかなかったかを明らかにした。両者は西洋の近代的価値の批判という共通の動機をもち、ひいては人間の文化一般の批判という目標を共有していた。それだけに、相互に栄養を与え、学び合っていくことが可能なはずである。
(『美的判断力考』「美的判断力の可能性」持田季未子著)
こういう前向きなコメントの後で、この論文の結びとして持田が取り上げたのが、ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925 – 1995)の『カントの批判哲学』です。
実は近々、この『カントの批判哲学』を読み解きたいと思っていたので、次回にはこの「美的判断力の可能性」で持田が指し示したドゥルーズの読解とともに、『カントの批判哲学』をじっくりと読んでみたいと思います。
ということで、よかったら次回もお読みください。
新型コロナウイルス感染がおさまらない中、活動を自粛されている方もいらっしゃると思い、できれば毎週このblogを更新して、気に入ったテーマであれば読んでいただきたい、と頑張ってきました。しかし、さすがに本業が忙しくなってきたので、次回の更新は少しタイミングが遅れるかもしれません。
画廊も見て回りたいし・・・、でも、これは喜ばしい悩みです。Blogは続けますので、よろしくお願いします。
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