8月末に京橋のギャラリー檜で『Chatterbox』という4人の作家による展覧会を見に行きました。
(http://hinoki.main.jp/img2020-8/exhibition.html)
展覧会ではギャラリー檜の4つの部屋をそれぞれの作家が個展形式で展示していました。絵画や版画から映像作品まで表現形式も様々で、とくにグループでまとまった展示をしている印象はありませんでした。しかし、会場で『Chatterbox ―4人の語りとそれぞれの表現』という展覧会の小冊子をいただき、帰ってから読んでみると、そのグループ展の意義が分かったような気がしました。
この4人の作家というのは、阿部尊美、藤本珠恵、山本裕子、飯沼知寿子で、それぞれがキャリアを積んで活躍している女性の作家たちです。冊子の初めの部分で飯沼知寿子は、ギャリーで知り合うことが多いのは男性の作家たちだということを語った後で、そんな状況下で「他の女性作家達は、どのような言葉で語るのか、これまで言葉にしてこなかった部分を言葉にしていきたい」と書いています。
私事で恐縮ですが、私は市井のギャラリーで作品を発表してきましたが、とくに褒められたり評価されたりしたことがなく、それも自分の力不足のせいだとあきらめてきました。しかし、それがもしも男女の性別のような、自分の努力ではどうしようもないことに起因しているのだとしたら、それを淡々と受け流すわけにはいきません。
いくつか、その分かりやすい例をあげておきます。
例えば出品作家の山本裕子が、「早くお嫁に行きな」と大学の先生から言われた話が出てきます。たぶん、言ってしまった先生には、悪気はなかったのだと思います。しかし、その分だけ根が深い問題だと言えます。その大学の先生に、「きみは作家活動はやめて、家事でもやったらどうかな?」と自分が言われたらどう思うのか、ということを想像する力があれば、その言葉の中の取り返しのつかない侮蔑に気が付くはずでしたが・・・。「お嫁に行きな」の一言には、女性は家庭に入って家事や子育てに従事するべきだという偏見があり、さらには家事や子育てという大切な営みに対する蔑視も含まれている気がします。その先生は、先の戦争で亡くなった若い画家やその家族の無念を思い、彼らの作品を世に出すというヒューマニズムにあふれた仕事をしてきた方だけに、残念に思いました。戦争で亡くなった方への共感を、身近な人にも働かせることができればよかったのですが、得てして人間はそういうバランスの悪いことをやってしまいます。私自身もそういうことに鈍感なので、気をつけなければなりません。
それから飯沼知寿子が「あなたはフェミニズムなんてことより、もっと大きなことをやっているよ」と、ある男性作家に言われたことが語られています。正直に言うと、そういうことなら私も言いそうだな、と思いました。しかし、この言葉には「フェミニズム」を軽視する偏見が潜んでいます。そもそも「もっと大きなこと」などと思わせぶりな言い方をせずに、明確に飯沼さんが何を表現していると思ったのかを語ればよかったのです。そのうえで、それが「フェミニズム」よりも重要なことなのかどうかという判断を、作家自身にゆだねればよかったはずです。
そういう反省ばかりが頭をよぎって、冊子を読むのがつらくなってしまいますが、この中には男性特有の問題というよりも、美術にとって普遍的な課題だと受け止められることも語られていました。
例えばそれは、美術批評の問題です。
「男性作家の多くは年表の後ろに繋がるような作品が作りたいわけで、年表を作るのは評論家だから、結局歴史に残りたい作家が評論家とタッグを組んで歴史を作っていく」と山本裕子は語っていますが、はたして評論家の仕事というのは、そういうものなのでしょうか。例えば、私の尊敬する批評家である持田季未子(1947 – 2018)は次のように書いています。
絵画を美術史の言説の内部に閉じ込めておいてはならない。絵画を思想へ向けて開くディスクールが必要である。それは行為者である当の画家たち自身がよく成し得るところではない。ここに批評の出番がある。
(『絵画の思考』「序」持田季未子著)
このblogで何回か引用したことのある文章ですが、ここには(行為者である)画家と批評家がどのように協力し合い、絵画や芸術を開かれたものにしていくのか、ということが書かれています。そして私が絵を描きながら下手な文章を綴っているのも、持田が語っているような批評ならば私のような立場の者が文章を書くことにも、少しは意味があるのだろう、と思っているからです。
持田の文章に絡めて考えるなら、さきの山本裕子の言葉はまさに「絵画を美術史の言説の内部に閉じ込めて」おこうとする動きを指摘したものに他なりません。その閉域の中で、すこしでも名誉を得ようとすることが「年表の後ろに繋がるような」動きなのです。
私は男性、女性の性別に関わらず、そういう動きをする人たちが嫌いです。しかし「美術史の言説」のなかではゴミ屑同然の私がいくらそんなことを言っても、何も変わりません。それよりも、「結局歴史に残りたい作家が評論家とタッグを組んで歴史を作っていく」という痛烈な批判を言葉にできる人たちが、こうして声を上げることがとても重要なことです。こういう感性を持っている人たちだけが、「美術史の言説」を破壊することができると思うからです。
また、冊子には「評論家の文章を読んでいると眠くなってしまう」(藤本珠恵)ということが書かれていました。これは間違いなく、私の文章にもあてはまります。「独特な言い回し」(阿部尊美)、「専門用語というか」(藤本珠恵)、「日本語で言ってくれない!?」(飯沼知寿子)、「逆に回りくどくしている」(阿部尊美)というふうに、皆さんがいろいろな言葉で批評の文章を批判されていますが、痛いところをついています。しかし、これも男女にかかわらず、批評の文章の課題だと私は思います。例えば、さきに引用した持田季未子は次のようなことを書いています。
芸術の思考は哲学のそれとちがって推論などによるのでなく、科学のように分析と総合を事とするのでもないが、しかし芸術には単に感覚や感情の発露にとどまらぬまぎれもない思考がある。私たちはそれを、遠いむかし幾何学的精神に対してより直覚的な繊細の精神の大切さを説いたブレーズ・パスカルに敬意をはらいつつ「繊細なる精神」と呼んでもいい。それは絵画という場所においても生動しているはずだ。
(『絵画の思考』「序」持田季未子著)
この文章は「眠くなってしまう」文章でしょうか、それとも明快な文章でしょうか。
持田はたぶん、こういうことを言いたいのです。
「芸術の思考」は哲学のような理論の積み上げではないし、科学のようなさまざまな知見を総合したものでもありません。かといって、単に感覚的なものの言い方だけで、言い表せるものでもありません。理屈よりも直覚的な、それも「繊細なる精神」で語られなくては表現できないのが「芸術の思考」なのです。
そういうふうに語る持田の文章も、易しくはありません。
4人の作家が「独特な言い回し」や「専門用語」などの言葉でターゲットにしている文章は、たぶん、理論的な積み上げや知見の総合だけで芸術を解釈しようとしている文章でしょう。しかし、そうではない批評を目指す文章、例えば持田のように「直覚的な」「繊細なる精神」で書かれた文章も簡単にわかるようなものではない、という点が問題をより深刻にしていると思います。
私の目指しているのは、持田のような「絵画を思想へ向けて開く」批評であり、さらにそれを一般的な言葉で語ることです。しかしその一方で、文章を読む立場の方にも、すこし歩み寄る姿勢が必要だと思います。
いまの現代美術の世界は、難しい理論を好んでこねくり回す人たちと、そんな理論にうんざりして拒絶反応を持ってしまった人たちと、大きく二分されてしまっているように見えます。その結果、みんなが思考停止してしまって、結局のところ、マスコミに取り上げられやすいような話題性しか取り柄のない作品が幅を利かせているのです。これはあまりにも悲しい現実です。みんなで少しずつ汗をかいて、『Chatterbox』展のような質の高い展覧会を見て、持田季未子のような困難な課題に正面から向き合う文章を読みませんか?(本当に残念なことに、持田はすでに亡くなってしまいました・・・。)みんなで動けば、マスコミも取り上げます。
現在の社会全体が男性中心であることを考えると、この結果も男性中心社会の限界を示している、という面があると思います。少し前に「美術館女子」という読売新聞と美術館連絡協議会の共同企画が、「女性蔑視」の企画だということでとん挫しましたが、これなどは本当に情けない話です。
その一方で、これは男性中心社会という視点だけでは、解決できない問題だという気もしています。こういった話の背景には、この国の人たちの文化との向き合い方に課題があるのです。これは根本的なことですから、改善するのには時間がかかります。国(政府)は文化を軽視することしかしていませんし、教育行政を見ると上からの命令を効率的にこなす人材を育てることだけに躍起になっています。公的に何かが改善されることは当分の間、期待できないでしょう。
そんな状況下で、この『Chatterbox』展からは、現状を変えたいという思いを私は感じました。ご覧になった方は、どのように感じられたのでしょうか?せっかく、このような小冊子が発行されたのですから、みなさんも「Chatterbox(おしゃべりな人)」になってみませんか。結局のところ、私たち一人ひとりが高い意識を持つことが必要なのです。
ろくな感想になっていなくて、本当に申し訳ないのですが、女性の作家があいかわらず困難な状況と向き合っていることが、鈍い私にもすこしは理解できたと感じています。そのうえに、男女にかかわらず個々の作家にとってもきつい状況ですが、とにかく歯を食いしばって頑張りましょう。
さて、今回は以前の『感覚の論理学』を取り上げたblogでも少し触れた、ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925 - 1995)の書いた『ニーチェ』(1965)を取り上げます。ドゥルーズには、その三年前に『ニーチェと哲学』(1962)という本があるようですが、そちらは未読なので比較できません。今回はちくま学芸文庫から出版されている『ニーチェ』の方を読んでいきます。
そのニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844 - 1900)ですが、天才的な古典文献学者として若いうちにスイスのバーゼル大学古典文献学教授となり、退職して後は在野の哲学者として活躍しました。しかし40歳代なかばで精神に異常をきたし、短い生涯の晩年の10年以上を狂気の中で暮らした悲劇の思想家です。その代表作である『ツァラトゥストラはこう語った』(Also sprach Zarathustra, 1883 – 1885)は超人ツァラトゥストラの物語の形式をとった、とても不思議な哲学書です。ニーチェという哲学者は、時代も形式も越えた唯一無二の思想家なのです。
私には学生時代から就職した頃にかけて、集中してニーチェを読んだ時期がありました。それはドゥルーズのようなポスト・モダニズムの思想家がニーチェを評価していたからですが、途中からは自分自身を元気づけるために読んでいたのだと思います。既成の価値判断に対して、生命力を軸とした思想で異を唱えたニーチェの言葉が、社会人としての枠にはめられた自分の心を解放してくれるような気がしたのです。みなさんも、そういうふうに社会的な圧力を感じた時に、ニーチェを読んでみると元気が出ると思います。ただし、彼にとって既成の価値観の根源であったと思われるキリスト教については、かなり激しく攻撃しています。キリスト教を信じておられる方は、キリスト教が深くヨーロッパ世界に根付いている中でこういう批判もあるのだな、というふうに読んでいただけるとよいと思います。
そのニーチェの文章ですが、例えばドゥルーズはこの『ニーチェ』の中で、『ツァラトゥストラはこう語った』の次の部分を「ニーチェ選集」として引用しています。
私はあなたがたに超人を教える。人間とはのり越えられるべきなにものかである。あなたがたは、人間をのり越えるために、なにをしたのか。
およそあらゆる存在たちはこれまで、自らをのり越えて、より高いなにものかを創り出してきた。ところがあなたがたは、この大きな潮流の引き潮となろうとするのか。人間をのり越えるより、むしろ獣に戻ろうとするのか。
猿とは、人間にとってなにか。嘲笑の的、あるいは苦痛に満ちた恥辱の種である。超人にとって人間とは、まさにこうしたものとなろう。嘲笑の的であり、苦痛に満ちた恥辱の種であろう。
あなたがたは虫から人間へと道をたどってきた。だがあなたたがのうちには、まだ多数の虫がうごめいている。かつてあなたがたは猿であった。そしていま現在も、人間は猿に較べてもそれ以上に猿である。
あなたがたのうちで最も賢い者も、なかば植物、なかば幽霊のような、雑種的で、継ぎはぎの存在にしかすぎない。しかしあなたがたに向かって私は、幽霊や植物のようになれと言ったであろうか。
聞け、私はあなたがたに超人を教える。超人とは大地の意味である。願わくはあなたがたの意志が、「超人こそ大地の意味であれ!」と述べるように!
わが兄弟たちよ、私はあなたがたに懇願する、大地に忠実であれと。あながたがたは、大地の彼方にある天上の希望を説く人々を信じてはならない。意識的であろうとなかろうと、彼らこそ毒を盛る人間なのである。
彼らこそ生命の侮蔑者であり、自分自身中毒にかかり、瀕死の人間である。大地はこのような人間に倦みはてている。死滅しつつある者は、滅びるにまかせておくがよい。
かつては、神を冒涜することが最悪の冒涜であった。しかし、神は死んだ。そして神とともにそれらの冒涜者たちも死んだのだ。だからそれ以降は、大地を冒涜することが最も醜い罪である。そして大地の意味に価値を与える以上に、探りえないほど奥深い存在の内奥に高い価値を認めることが、最も醜悪な冒涜なのである。
(『ニーチェ』より、『ツァラトゥストラはこう語った』「序説」)
もしも、あなたがこの有名な「神は死んだ」という一節の含まれた文章をはじめて読んだのだとしたら、どのように感じられたのでしょうか、激しい言葉に驚かれたのではないですか?これが哲学書なのか、とはじめて読んだとき、私もそう思いました。それに「猿」が気の毒なくらいに揶揄されていて、動物好きの方が読まれていたら申し訳ないです。
それにしても、ニーチェは「猿に較べてもそれ以上に猿」だと人間を批判していますが、なぜ現代の私たちはそのように批判されなくてはならなかったのでしょうか。このニーチェの思想には、キリスト教を含めた西洋の思想全般に対する批判が込められているのです。
それでは、私たちはどうしたらよいというのでしょうか。ドゥルーズの『ニーチェ』を紐解いていきましょう。
さて、このドゥルーズの『ニーチェ』ですが、実はとても真っ当にニーチェの思想を紹介しています。彼のフェリックス・ガタリ(Pierre-Félix Guattari、1930 - 1992)との共著に見られるような刺激的な論述を期待していると、ちょっと肩透かしを食うかもしれません。
ドゥルーズは、まずニーチェの「生涯」について書いています。その出だしの文章は次のようなものです。
『ツァラトゥストラ』の第一部は、次のような三つの変身の物語で始まっている。
「どのようにして精神は駱駝(らくだ)となるか、またいかにして駱駝はライオンとなるか、そしてライオンはついに小児となるか」。駱駝とは荷を担ぐ動物である。駱駝は既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担いでいる。駱駝はそうした重荷を担いで砂漠へと向かい、そしてそこでライオンに変身する。ライオンは諸々の彫像を壊し、重荷を踏みにじり、あらゆる既成の価値の批判を断行する。そしてそのライオンの役目はついに小児となること、すなわち「戯れ」と新たなる始まりになること、新しい価値および新しい価値評価の原理の創造者となることである。
(『ニーチェ』「生涯」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
『ツァラトゥストラはこう語った』の中でニーチェが示した人の成長について、ドゥルーズは簡明に解説しています。人は駱駝のように重荷を背負い、耐える時期があり、やがてライオンとなって自己表出をして、最後には子供のように戯れ、創造的になる、という話です。ニーチェの場合には、ラクダとして背負うのは既成の価値観であり、ライオンとなってそれを打ち壊し、そして小児のように自由で創造的な書物を著したのです。そしてその最後には「悲劇的な結末が存在している」とドゥルーズはこのあとに書きたしています。これはニーチェが狂気のうちに亡くなったこと、さらにはその思想がナチズムに利用されたことも含まれているのかもしれません。
すこし横道にそれますが、日本の哲学者、梅原 猛(1925 - 2019)も若い頃にニーチェに魅かれ、自分の喧嘩っ早い経歴に触れて、自分は駱駝でいる時期があまりに短く、すぐにライオンになってしまった、というようなことを書いていました。うる憶えなので間違っていたら申し訳ないのですが、印象的な記述だったので記しておきます。そして梅原が晩年に「スーパー歌舞伎」や「能」の創作に意欲的に取り組んだことを思うと、駱駝からライオン、さらに小児へというニーチェ的な人生を見事に生きられたのだな、と感慨深いものがあります。私が梅原のことを知ったのは大学生の頃ですが、その時にはすでに老人のように見えました。その後の活発な動きを見て、この人は百歳まで活躍されるのに違いない、と思っていたのですが、昨年、亡くなってしまいました。大往生ですが、亡くなる前に力を入れた「人類哲学」の発展を期待していたので、ちょっと残念です。
ニーチェの生涯に戻ります。先に私が書いたように、ニーチェは若い頃から神童として才能を発揮し、若くして大学教授になり、ワーグナーと親しくなって、やがて決別し、ルー・ザロメ(Lou Andreas-Salomé、1861 - 1937)との運命的な出会いがあり、奇妙な共同生活ののちに狂気に至って生涯を閉じます。その晩年の面倒を見たのは妹のエリーザベトなのですが、この妹についてドゥルーズはこう書いています。
彼女には大きな功績がある。つまり兄の思想を普及させるために、できるだけのことをしたという点で、またワイマールに「ニーチェ文庫」を設立したという点において。しかしながらこれらの功績も、この上ない背信行為を前にしてはかすんでしまう。というのも彼女は、ニーチェを国家社会主義に奉仕させようと試みたからである。それぞれにある一人の「呪われた思想家」の葬列につき従う随員たちのあいだに、いつも姿を見せるタイプの女性、すなわち亡き兄弟の名声を勝手に濫用する姉妹―これこそニーチェの運命をしめくくる最後の特徴なのである。
(『ニーチェ』「生涯」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
このなかの「ニーチェを国家社会主義に奉仕させようと試みた」というのは「国家社会主義ドイツ労働者党」すなわち「ナチス」にニーチェの思想が利用されたことを指しているのだと思われます。ニーチェの「力の思想」とでも呼ぶべき特徴が「力」で人を抑圧する政治に、先に見た「超人思想」が、ユダヤ人への「差別」に利用されたのだと私は理解していますが、厳密に専門書に当たったわけではないのでくわしい分析はできません。
そしてエリーザベトは、ナチスに取り入るためにニーチェの文書を反ユダヤ主義に読めるように改ざんした、とも言われています。その一方で、ニーチェの文書はさまざまな読み方が可能であるためにナチスに利用されたのだ、という説もあるようです。
いずれにしろ、ニーチェの激しい言葉を暴力の肯定のように、そして「超人思想」を「選民思想」のように読み取って「差別主義」に陥ってしまうことは、まったく不毛な解釈だと思います。ドゥルーズもこの本の端々で、そのことを指摘しています。
さて、そのニーチェの哲学ですが、キリスト教を含めた西洋思想全体がその批判の対象になるのですが、それはどこまで遡ればよいのでしょうか。その対象はキリストの誕生をはるかに遡り、西洋哲学の祖であるソクラテス(Socrates、紀元前469頃 - 紀元前399)に及びます。
哲学の退化は、ソクラテスとともに明確に現れる。もしひとが形而上学を二つの世界の区別によって定義するのだとすれば、つまり本質と外観との対立、真と虚偽との、可知的と可感的との対立によって定義するのだとするならば、ソクラテスこそ形而上学を発明したのであると言わねばならない。ソクラテスは生を裁かれるべきなにものか、節制すべき、限界づけられるべきなにものかとする。そして思想を、高位の価値の名において―<神性>、<真>、<美>、<善>・・・などの名において用いられる一つの尺度、そこで実現される限界づけにする。ソクラテスとともに、自ら意図して、かつ巧妙に服従した哲学者という類型が出現するのである。しかしながらここでは諸世紀を飛び越えて検討を続けてみよう。カントは批判をそれとして再建したと、あるいは立法者たる哲学者というイデーを再発見したと考えることができるだろうか。カントはなるほど認識への偽りの自負心を告発するが、認識することの理想そのものを疑問に投入することはない。彼は偽りの道徳を告発するけれども、道徳性という思い上がりそのものを、またそうした価値の性質や起源を疑問に付することはない。彼はわれわれがさまざまな領域を、そして関心を混同した点を非難する。しかしそれらの領域は無傷なままとどまり、理性の諸々の関心(真の認識、真の道徳、真の宗教)は、神聖なまま残されている。
(『ニーチェ』「哲学」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
気持ちいいほどに根本的です。あらゆるものを批判した思想家として、モダニズムの祖と言われるイマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)でさえ、「道徳」そのものを疑うことがなかった、と批判されているのです。あろうことか、「道徳」を教科として位置づけてしまった我が国の為政者たちは、たぶん、いや間違いなくニーチェもドゥルーズも勉強していないのでしょうね。それからカントを自らの美術批評の根拠としたクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)のフォーマリズム批評も、もしかしたらその源のところに限界があったのかもしれません。
そして私たちは哲学的な思考をふだん働かせてはいませんが、それでも<真>、<美>、<善>といったソクラテス以降に定着した類型を、ごく自然に受け入れています。しかし、それがそもそも「哲学の退化」だというのです。
ここで、ちょっと気になることがあります。それは、これを主張しているのはニーチェでしょうか、それともドゥルーズでしょうか、ということです。少しニーチェからは外れますが、ドゥルーズの本の読み方として、あるいはその受容の仕方として國分功一郎(1974 - )が『ドゥルーズの哲学原理』の中で興味深いことを言っているので、紹介しておきましょう。
この本の「はじめに」の部分で、國分はドゥルーズの哲学は政治的なものなのかどうか、という問いを投げかけます。すると、ドゥルーズの政治的だと思われているものは、実は多くの本の共著者であるガタリによるものだろう、と分析しています。つまり、多くの研究者がドゥルーズという哲学者と、ドゥルーズ=ガタリというチームを混同している、というのです。その要因はそもそもどこにあるのか、と言えばドゥルーズ自身の著作が、それまでの哲学者の研究所の体裁をとっており、どこまでがドゥルーズの思想なのかがあいまいだということが分かってきます。
ドゥルーズ=ガタリは、その思想としか言いようのない数々の概念を打ち出し、哲学や歴史や社会を独自の仕方で描いた。その意味で、ドゥルーズ=ガタリの思想を研究する際、その研究の対象は明確である。対し、ドゥルーズの思想はそうではない。ドゥルーズの著作のほとんどが特定の哲学者や作家を対象としたモノグラフだからである。そこでは対象となる哲学者の概念や作家のテーマが詳細に解説されている。言い換えれば、ドゥルーズの本で解説されているのは、対象として取り上げられた哲学者や作家の思想であって、ドゥルーズの思想ではない。
(『ドゥルーズの哲学原理』「はじめに」國分功一郎著)
私には、このドゥルーズのやり方が、正しいのかそうではないのか、判断することができません。ただ、ドゥルーズが後年、ガタリという個性的な共著者を得たことは、ドゥルーズ個人にとってだけではなく、この世界において幸運なことであったと思います。活動的な発案者と、抜群の知性を持った解釈者がチームを組んだのがドゥルーズ=ガタリであったようです。ふつうは哲学者の共著というと、この部分はAが、この部分はBが書いた、と分けられることが多いそうですが、ドゥルーズ=ガタリの場合には、そのような線引きは不可能だそうです。
さて、そこで私たちも、これはニーチェの思想であって、これはドゥルーズの解釈である、という線引きをひとまず置いて読み進めていきましょう。実際のところ、ソクラテス以前に返れ、と言ったのはニーチェですが、ドゥルーズ自身の思想もモダニズムの発展を根本から疑い、歴史的なものの見方をくつがえしたのですから、ドゥルーズが哲学的な遡行を実践した、と言ってもよいのだろうと思います。
先に進みましょう。ニーチェの哲学を特徴づけるとすると、それは「力」への意志です。「力」というと、暴力的な「力」や、他を圧する「力」を私たちは想像し、すぐにそれを否定しようとしますが、そのような「力」とニーチェの言う「力」は違いますし、「力」を否定するような考え方をニーチェは「ニヒリズム」として批判します。ドゥルーズの言葉を聞いてみましょう。
力の、力との関係は、「意志」と呼ばれる。だからまずなによりも<力>への意志というニーチェの原理に関して、その意味を取り違えることをしないようにしなければならない。この原理は意志が<力>を欲するということを、あるいは支配したいと欲望するということを意味しない(少なくともまず初めに意味することはない)。ひとが<力>への意志を「支配欲」という意味に解釈している限り、どうしても<力>への意志を既成の価値に依拠したものとしてしまう。なぜならこれこれという事態において、あるいはこれこれの闘争において誰がもっとも強い者として「承認」されるべきであるかを決めるのに適しているのは、既成の諸価値だけだからである。そういうわけで、ひとは<力>への意志の真の性質を誤認してしまう。われわれが行うあらゆる価値評価の、可塑性に富む柔軟な原理であり、まだ承認されていない新しい価値の創造のための隠された原理である<力>への意志の本性を見誤るのである。ニーチェの語るところでは、<力>への意志はなにであれ欲しがったり、手に入れることに存するのではなく、むしろ作り出すことに、そして与えることに存するのである。<力>への意志というときの<力>とは、意志が欲するものではなくて、意志のうちで欲しているもの(ディオニュソスその人)なのである。<力>への意志は相互の差異によって成り立つ示差的な境位(エレメント)であって、そこからある一つの複合体において向かい合う諸力が派生し、またそれら諸力のそれぞれの質が派生してくるのである。だから<力>への意志はまたいつも動性に富む、軽やかな、多元論的な境位として提示される。
(『ニーチェ』「哲学」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
ここで語られている「力」ですが、これは「可塑性に富む柔軟な原理」であると書かれていますから、形や見た目にこだわるのではなく、ふたつのものの差異によって生じる動的なものだ、と書かれています。これは前回、学習したスピノザ(Baruch De Spinoza、1632 - 1677)の「触発される力」を思い出させます。スピノザにおける「善きもの」とは、人間の活動を活発にするもの、すなわち「触発される力」であったわけですが、そのときにも國分功一郎の導きによりドゥルーズの解釈を参照しました。「力」への意志とは、支配欲ではなくて「むしろ作り出すことに、そして与えることに存する」というのです。この部分が言いようもなく美しいですね。
ところが、現実にはそうならなかったのです。
ところが反動的な諸力の本性はその逆に、まず自分がそうでないものに対立すること、他なるものを限界づけることにある。反動的な諸力においては、否定が最初であり、それらの力は否定することによって、見せかけの肯定へと至るのである。
(『ニーチェ』「哲学」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
ニーチェがどれほど複雑であろうと、読者は、ナチスが構想したような「主人」たるべき人種を、ニーチェがどのようなカテゴリーのうちに(つまりどのような類型のうちに)区別しただろうかということを、ただちに見抜くであろう。ニヒリズムが勝るとき、そのとき初めて<力>への意志は「作り出す」という意味であるのをやめて、<力>を欲すること、支配しようとすることを意味するのである(だから既成の価値を、貨幣、名誉、権力・・・などを我がものとして要求すること、自分のものにしてもらうことを意味する)。そしてそのような<力>への意志はまさしく奴隷のそれであり、奴隷、あるいは無力な者が<力>とはどのようなものであるかについて考える様態なのである。
(『ニーチェ』「哲学」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
「力」の意味をはき違え、自分と対立するものを生み出し、それを支配しようとするときに「力」は創造的な意味を失う、とドゥルーズは書いています。そのような状態を「ニヒリズム」と言い、ニーチェはこの「ニヒリズム」と徹底して戦ったのです。そしてニーチェの概念がどれだけ複雑であっても、ナチスの思想とは区別できるはずだ、とドゥルーズは断言します。
それから、先に引用した部分で「<力>への意志というときの<力>とは、意志が欲するものではなくて、意志のうちで欲しているもの(ディオニュソスその人)なのである」と書かれていましたが、「ディオニュソス」とは何なのでしょうか。ニーチェにとって、とても重要な概念なので私のわかる範囲で説明しておきます。
ディオニュソスはギリシア神話に登場する神様ですが、豊穣とブドウ酒の神だと言われています。その存在は一風変わっていて、例えばディオニュソスと対比して語られるのがアポロですが、アポロが美と秩序を象徴する陽の神様だとすると、ディオニュソスは陶酔と快感、狂気を象徴する陰の神様です。ディオニュソスはローマ神話では「バッカス」と呼ばれていたので、その名前の方がわかりやすいでしょうか。バッカスはバロック期の絵画に葡萄や葡萄酒とともに描かれたり、美女と一緒に酔っぱらって騒いでいる姿を描かれたりしているのを、見たことがある人も多いと思います。そのディオニュソスがニーチェの哲学と、どのように関係しているのでしょうか。
たしかに『悲劇の誕生』以来、ディオニュソスはアポロンとの同盟関係によってというよりも、ずっとはるかにソクラテスとの対比によって定義されていたのがわかる。ソクラテスは高位の価値の名において、生を裁き、断罪したのであるが、ディオニュソスは生とは裁かれるべきものではないということ、生はそれ自身で充分正しく、充分聖なるものであることを予感していたのである。ところでニーチェがその著作の過程を進むにつれて、真の対立が明らかに現れてくる。もはやソクラテスに対するディオニュソスでもなく、<十字架にかけられた者>に対するディオニュソスなのである。両者の殉教は共通のように見えるけれども、この殉教の解釈、価値評価な異なる。なぜなら一方においては、生に敵対する証言と、生を否定することで成り立つ復讐の企てが見られるのであり、他方にあるのは生の肯定なのだからである。
(『ニーチェ』「哲学」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
すごく単純な読み方になりますが、ニーチェは何かに耐えよ、あなたのために犠牲になった人がいるのだから、それぐらいのことは忍従しなさい、といったお説教が嫌いです。ソクラテスが真理のために、あるいはキリストが人々のために死を選び、犠牲になった、という教訓がどこかに、今を生きていることの喜びを否定するニュアンスがあり、そのことが我慢ならなかったのだと思います。なぜ今生きていることを肯定しないのか、なぜ今ではなく来世に希望を持たなくてはならないのか、そのことをニーチェは「ニヒリズム」だと言ったのです。
私は宗教に干渉するつもりはないので、ここでキリスト教を批判するつもりもありませんが、ニーチェの言いたかったことは単にキリスト教の否定ではなくて、ソクラテス以前に遡って既成の価値観を見直してみる、ということだと思います。「真」、「善」、「美」といったカテゴリーそのものを見直すというわけですから、それこそ前回のスピノザで國分功一郎が書いていたような、コンピュータのOSごと取りかえるような、頭の中の大改革が必要です。ここまで読んでみると、モダニズムを徹底して見直したドゥルーズが、スピノザとニーチェを深く読んだことの理由が分かります。
それからニーチェの哲学で、これも大切な概念である「永遠回帰」について、ドゥルーズがどのように書いているのか、見ておきましょう。この「永遠回帰」の反対にあるもの、もちろん、近代における人間の発達史観です。人間は日々発達していて、言ってみればピラミッドの頂点を目指して動いている、というイメージです。しかしニーチェが唱えたのはソクラテス以前に返れ、ということですから、このような線状の発達史観を受け容れることができません。それで古代的な、時間がめぐって帰ってくるという「回帰」の思想を提唱したのです。それにしてもわかりにくいですよね。ドゥルーズは次のように説明しています。
ひとはまた次のように訊ねるかもしれない。もし<永遠回帰>がサイクルということに存するのならば、つまり<全体>の回帰ということに、<同一なもの>の回帰に、<同一なもの>への回帰に存するのだとすれば、いったいそこに驚くべきことがあるのか、と。しかしながらまさしく、問題となるのはそれらの事象ではないのである。ニーチェ独特の秘密は、<永遠回帰>は選択的である、ということである。そして二重に選択的なのである。まず第一に、思想として。なぜかというと<永遠回帰>は、すべて道徳というものを脱却した意志が自律へと至るために、一つの法則をわれわれに与えてくれるからである。私がなにを欲するにせよ(例えば私の怠惰、貪欲、臆病、あるいは私の美徳でもよいし、悪徳でもよい)、私はそれが永遠に回帰することもまた欲する仕方で、それを欲するのでなければならない。「生半可な意志」たちの世界はふるい落とされる。「一度だけ」という条件でわれわれが欲するようなものは、すべてふるい落とされるのである。たとえ臆病、怠惰であっても、それらが自らの永遠回帰を欲するとするならば、怠惰や臆病とは別のものになるだろう。それらは能動的になり、そして<肯定>の力となるであろう。
(『ニーチェ』「哲学」ジル・ドゥルーズ著 湯浅博雄訳)
つまり、永遠にめぐってくる時間は、回帰してくるときには、以前とすべて同じでなのではなく、私たちが本当に欲するものだけが回帰してくるのだ、というのです。すべてが新しく、線状に時間が伸びていくのではなく、今というときがより良い状態で巡ってくるのだ、と言いたいのでしょう。
前よりも良い状態で今が巡ってくる、というこの発想が、ニーチェにとってどうして必要だったのでしょうか?それは、ニーチェがあくまでも今を肯定したかったからだと思います。考えてみると、宗教における来世の考え方と、モダニズムにおける線状に発展していく時間のイメージとは似ても似つかないものですが、一点においてだけ共通しています。それは今という時間の否定です。来世のために今を耐えるという考え方と、よりよい未来のために今をその過程として考える、ということは、いずれも今が次の世、次の時間のためにある、という考え方です。どうして、今という時間を大切にしないのか、どうして今を楽しまないのか、それこそ否定的なニヒリズムに陥っているのではないか、とニーチェは考えます。
でも、今つらいことがある人、今を変えたい人にとって、その時間が永遠に回帰するというのは困ります。そこでニーチェは、あるいはドゥルーズは、あなたが本当に欲したものだけが回帰するのだ、だから今を大切に、そして楽しんで生きなさい、と言っているのです。
何だか、とってもいいことを言っていますね。そういえばドゥルーズに『差異と反復』という大著があります。昔読んで挫折してしまいましたが、こういうことを言っているのかもしれません。迂闊でしたが、こんど読み直してみます。
さて、今回も駆け足で大思想家であるニーチェについて書きました。
ニーチェは、いつかこのblogで取り上げてみようと思っていたのですが、あまりに思想が突飛で、かつスケールが大きすぎて、手に余る気がしていました。今回はドゥルーズの著書を手掛かりにして、ようやく書けた次第です。
無理やりに押し込んだ感はありますが、何とかニーチェの思想の鍵となる主な概念について、書くことができました。
そして私自身、絵画において、視覚中心の絵画観から脱すべく「触覚性絵画」ということを試みていて、自分なりにすごく大胆なことをしているような気がしていたのですが、スピノザやニーチェの言っていることからすると、何ともスケールが小さく、まるで微細なことに過ぎません。それでも、彼らと比較しても仕方ないので、凡人として一歩一歩進めていくつもりです。
それから、現代絵画において、國分功一郎が言うようなコンピュータのOSごと取りかえるような、そんな発想で絵を描いた人というと、私はすぐに中西夏之(1935 – 2016)のことを思い起こします。いずれ、そういう視点で中西について書いてみたいです。
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