スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、1826 - 1864)は、「アメリカ音楽の父」とも称される作曲家ですが、どんな人だったのか、実はよく知りませんでした。37歳で極貧のうちに亡くなったそうですが、次の歌は両親の死や貧乏生活が始まる前に書かれた曲だそうです。フォスター自身の「Hard Times」はこれから・・・、ということなのですが、ラジオでこの曲が流れたとき、英語の歌詞などろくにわからないのに、妙に心にしみました。
『Hard Times come again no more (厳しき時代よ、もう二度と来ないで)』
(http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Foster_Songs.htm)
※歌詞は上記HPより一部引用しました。曲も聴くことができます。
「厳しき時代よ、厳しき時代よ、もう二度と来ないで
ずっと長いこと、おまえは小屋の戸口に粘ってきたが
おお、厳しき時代よ、もう二度と来ないで」
「Hard times」と歌われる部分の旋律が哀れを誘うのでもなく、かといって上から目線で励ますというのでもなく、何となく真に迫って聞こえました。訳詞を読んでも、具体的に何がつらいのか、よくわかりません。アメリカがまだ素朴であった時代の生活のつらさかな、と想像できますが、素朴であると同時に普遍的な感じがしました。こういう曲が、ポピュラー・ミュージックとして成立する時代は、もう来ないでしょうね。
私事ですがこの一年間、仕事上でなかなか厳しいことが続きました。避けようにも避けられない、乗り越えようにも乗り越えられないことって、世の中には数多くあるもので、そういうときには、ただやり過ごすしかありません。「もう二度と来ないで」と歌うのも、そのやり過ごし方のひとつかな、などと思いました。
まぁ、こうして休日にろくでもないことをブログに書くだけの時間的な余裕はあるので、贅沢は言えませんが、この11月は厳しくて長く感じました。気持ちが滅入ると、とたんに文章をつづる意欲が減退してしまいますが、50代も半ばに差し掛かり、もう少し安定した気持ちがほしいところです。
さて、ストーブがほしい季節になってきましたので、晩夏の沖縄の講義についても、そろそろ締めておくことにします。二日間の講義のうち、二日目の講義の項目のみ、載せておきます。
講 義 9月14日
4.「ポロック論集成」とポロックの作品の変遷
<テキスト資料参照>
「ポロック論集成」参照
<ポロックの作品の変遷>
○スライド資料24 Going west 1934-38
○スライド資料25 Nakid Man with Knife 1938-41
○スライド資料26 Bird 1941
○スライド資料27 秘密の守護者女の顔 1943
○スライド資料28 男と女 1942
○スライド資料29 傷ついた獣 1943
○スライド資料30 トーテム・レッスン1 1944
○スライド資料31 トーテム・レッスン2 1945
○スライド資料32 (ナバホ族の砂絵)
(ジャクソン・ポロックの制作写真)
(ジャクソン・ポロックの制作写真)
(ジャクソン・ポロックの制作写真)
ゴシック 1944
○スライド資料33 伽藍 1947
○スライド資料34 海はすべてを変える 1947
○スライド資料35 五尋の海の底 1947
○スライド資料36 ナンバー1A 1948
○スライド資料37 蜘蛛の巣を逃れて 1949
○スライド資料38 ラベンダーの霧 ナンバー1 1950
○スライド資料39 ワン ナンバー31 1950
○スライド資料40 秋のリズム ナンバー30 1950
○スライド資料41 ナンバー28 1951
○スライド資料42 ナンバー10 1952
○スライド資料43 ブルー・ポールズ ナンバー11 1952
○スライド資料44 Ocean Greyness 1953
○スライド資料45 深み 1953
●ポイント
・ポロックの作品の変遷を把握できましたか?
・グリーンバーグのポロックへの評価をどのように考えますか?
・ポロックとグリーンバーグの関係、制作と言葉との関係をどう考えますか?
関連して・・・・
・先生や友達からの批評や助言を、あなたはどう受け止めていますか?
・友人の作品を批評するときに、何か気を付けていることがありますか?
5.「モダニズムの絵画」以降のグリーンバーク
<テキスト資料参照>
「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」参照
<関連の作品>
○スライド資料46 ハンス・ホフマン 理想郷 1960
○スライド資料47 バーネット・ニューマン 名前Ⅱ 1950
○スライド資料48 マーク・ロスコ 赤紫色の上の暗黄褐色、その上の黒色 1960
○スライド資料49 ロバート・マザウェル スペイン共和国への哀歌 1961
○スライド資料50 サム・フランシス サーキュラー・ブルー1953
○スライド資料51 ヘレン・フランケンサラー 洞窟の前 1958
○スライド資料52 モーリス・ルイス Beth Samarch 1958
○スライド資料53 ジャスパー・ジョーンズ Three Frags 1958
○スライド資料54 ウィレム・デ・クーニング 女 1950-52
○スライド資料55 フランク・ステラ Tuxedo Junction 1960
●ポイント
・「ペインタリー」な絵画とは、どんな絵画でしょうか?
・グリーンバーグは、ポップアートについて、どう考えていたのでしょうか?
・グリーンバーグは、これからの絵画をどうあるべきだと考えていたのでしょうか?
6.グリーンバーク以降の絵画
<講義資料参照>
「マイケル・フリード」参照
<関連の作品>
○スライド資料62 アンソニー・カロ スバン 1966
○スライド資料63 アンソニー・カロ テーブル作品第22番 1967
<講義資料参照>
「ロザリンド・クラウス」参照
<関連の作品>
○スライド資料64 デヴィッド・スミス Cubi ⅨⅩ 1964
○スライド資料65 リチャード・セラ House of Cards 1969
「アンフォルム」イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・クラウス より
本書『アンフォルム』の萌芽は1980年代初頭に遡る。この頃著者たちの目に明らかになってきたのは、ある種の芸術の実践―1920年代末・1930年代初頭のアルベルト・ジャコメッティの彫刻や、一連のシュルレアリスム写真―の特徴を適切に記述するにはジョルジュ・バタイユの「アンフォルムなもの」諸操作を用いる以外にないということだった。この時まで、バタイユの名がこうした諸実践に結び付けられたことはなかったのだが、それ以降、「アンフォルムなもの」のもつ操作的で行為遂行的な「力」は、上記以外の諸実践を理解するうえでも必要なものであることがわかった。たとえば、ルーチョ・フォンタナの作品の中の、重大な意義を持っているが無視されてきた部分のこと、あるいは1960年代におけるジャクソン・ポロックの受容のことである。ポロックの受容は、アンディ・ウォホールの《ダンス・ダイアグラム》シリーズ、サイ・トゥオンブリの落書き、ロバート・モリスのフェルト作品、エド・ルーシェイの《液体語》シリーズなど、様々な形をとったが、そのいずれに関しても「アンフォルムなもの」の「力」が重要だったということがわかったのである。
(「はじめに」)
<関連の作品>
○スライド資料66 トゥオンブリ 1960
○スライド資料67 トゥオンブリ 1961
○スライド資料67 トゥオンブリ 1970
<ミニマル・アートの立体の作品例>
○スライド資料71 ドナルド・ジャッド 無題 1966
<グリーンバーク以降の絵画を考察する作品例>
ブライス・マーデン
○スライド資料81 ブライス・マーデン Counturbatio 1978
○スライド資料82 ブライス・マーデン Meritatio 1978
○スライド資料83 ブライス・マーデン コールド・マウンテン(寒山)1 1988-89
○スライド資料84 ブライス・マーデン コールド・マウンテン(寒山)6 1988-89
○スライド資料85 ブライス・マーデン Epitaph Painting 1996-97
フランク・ステラ
○スライド資料90 フランク・ステラ ヴァルパライソ 1963
○スライド資料91 フランク・ステラ グールⅢ 1968
○スライド資料92 フランク・ステラ レブロンⅡ 1975
○スライド資料93 フランク・ステラ スラクストン3X 1982
以上です。
二日目も盛りだくさんで、少し時間をオーバーし、最後は駆け足で終わってしまいました。
特に学生の皆さんと考えたかったのは、グリーンバーグとポロックの関係についてです。批評家と作家が彼らのように影響しあって芸術を昇華させていくという事例は、本来、あるべき姿なのかもしれませんが、現実にはすごく珍しいことだし、彼らにしたって長くは続きませんでした。しかしそれが数年間のことだとしても、こんなふうに批評の言葉がアクティブに創造にかかわるということは、素晴らしく生産的なことではないでしょうか。批評というと、作品や作家の価値を値踏みし、場合によってはその揚げ足を取るような、そんなマイナスのイメージがあるような気がしますが、本当は創造活動にかかわってこそ、批評の言葉も価値を持つのではないか、と私は思います。おそらく、学生の皆さんが優秀であればあるほど、理不尽に批判されたり、持ち上げられたり、ということがあるのでしょうが、そういう中から本当に自分にとって必要な言葉を選び取り、糧にしていってもらえたらいいな、と思います。
そういう気持ちがあったので、今回の講義ではできるだけグリーンバーグとポロックのやり取りが、遠い国の天才たちのやり取りではなく、身近なこととして感じてもらえるように話しました。例えば、落ちぶれて行ってしまったポロックの作品について、グリーンバーグはどう言ったのか、あるいはどういう気持ちで何も言わなかったのか、などと想像してもらえるように・・・。
その後、沖縄芸大の知花先生から、学生の皆さんのレポートを送っていただきました。その一部だけ、ちょっと書き留めておきます。もちろん、名前は明かしませんし、言葉遣いも少し変えてあります。
「ポロックとグリーンバーグの講義では、二人の絵画や心理状態の経過を追っているような感覚で話が進みました。たくさんの大衆の目がある中で、このようなドラマが繰り広げられたのは、珍しいことだと思いました。この後、ポロックが悲惨な死に方をしたことを考えると、美術の力が人生に及ぼす影響の大きさに、驚愕してしまいました。」
「私自身、先生のアドヴァイスを聞き入れるのか、聞き入れないのか、選択を迫られる状況が多々あります。自分のやっていることに自信があるときは大体聞き入れず、そのまま通すことが多いです。自信がないときは、自分の気づかなかったことなどに気づき、よりよい方向に修正できることもあります。しかし、助言の通りにするのは少し悔しいという思いがあったり、見ている視点が違いすぎているのではないかと考えたりして、やはり悩んでしまいます。大学に入学してから、一人で描いていると思っていた絵が、実はさまざまな人のつながりの中にあるのだということを実感してきました。これからも、いろんなかかわりの中で道が折れたり変化したりしていくのだろうと思うとワクワクします。生きていくことと作品を作ることは一緒なのだと思いました。」
「作品を批評する際には、まず作者が何を目指しているのかを理解する必要がある。私が友人の作品に意見をするときには、何をどういう気持ちで描いているのか、探りを入れながら、ということを心掛けている。
最盛期のポロックを高く評価してきたグリーンバーグは、彼の主張から逸れていってしまったであろうポロックの作品を正面から否定せず、むしろ擁護するような姿勢をとった。これはおそらく、多少自分の意見を曲げても、ポロックに調子を取り戻してほしいという、グリーンバーグの気遣いであろう。」
「自分の作品を的確に批評してくれる人はなかなかいない。しかし、例えばポロックの作品とグリーンバーグの批評を理解することで、自分の作品にとって何か手がかりが見つかるのではないかと思う。私はこれまで、美術館や画集で何となく作品を見てきた。私は描き手であるからそれでよいと思ってきたが、何かしら感じたことを言葉で表現することで、作品への取り組む姿勢が変わり、新しい作品を作る手助けになるのではないか、と思った。」
その他、実感のこもったレポートが数多くあり、とてもうれしく思いました。
学生の皆さん、それから先生方やスタッフの方々、本当にお世話になりました。
今回はもう一件、カスヤの森美術館で見た、「MARTIN FAUSEL《絵画》」展について、書いておきます。
美術館のホームページには、次のような説明があります。
「当館では初の個展となるドイツの画家、マルティン・ファウゼルの絵画20点を展示。
薄く溶かれたアクリル絵の具を何層にも重ね合わせ、一つの画面を作り上げていく手法は絵の具という物質の積み重ねだけではなく、作家が画面に向かう時間の堆積をも表している。
その姿は、あたかも淡くはかない記憶の層を丁寧に積み重ね一つの物語を作り上げているかの様に感じられる。」
(http://www.museum-haus-kasuya.com/index000.htm)
ホームページの写真で見てもわかる通り、モノトーンにちかい色調で描かれた作品は、シンプルで控えめな印象です。画面に描かれた図像は、子供の落書きに近いような、プリミティブなものです。しかし、そこに何かさりげない深みがあり、作家が絵に触れる確かな感触が感じられます。絵画というものは、こんなに単純であっても、人の気持ちを動かすものなのだ、とあらためて感じました。
もっとたくさんの作品が見たいと思いましたが、制作に時間がかかるということもあって、寡作な作家だそうです。職業作家ではないので、作品を見る機会も限られているようで、貴重な展示を見ることができました。
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