平らな深み、緩やかな時間

259.『李禹煥』回顧展、『 Do it! わたしの日常が美術になる』と『新しい哲学の教科書』

気になった事件と皆さんと共有したい情報がありますので、一つずつ整理していきましょう。

 

まず、「エコテロリズム」と言われる事件について、少し触れておきます。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221015/k10013859631000.html

 

イギリス、ロンドンの美術館、ナショナル・ギャラリーで、ゴッホの代表作「ひまわり」にトマトスープをかける騒ぎがあり、環境活動家2人が逮捕されました。絵画はガラスに覆われていたため無事だったということです。

現地メディアの映像には、2人の女が、手にそれぞれトマトスープの缶を持ち、中身を一気に絵画にかける様子が映っていて、このうち1人が「絵画と、地球と人々の命を守ること、どちらが大切なのか」などと叫んでいます。

逮捕された2人が所属する環境団体は、イギリス政府に化石燃料への投資などをやめるよう訴えていて、これは抗議の一環だと主張しています。

(2022年10月15日 NHKニュースサイトより)

 

世の中には政治的なフェイクニュースや為政者による勝手な事実の歪曲、曲解が満ち溢れていますが、環境団体によるこのような短絡した主張、あるいは美術作品に対する曲解があることに、やるせない気持ちになります。

美術作品があり得ないような高値で取り引きされたり、展覧会が一般の人が入りにくいほどの高い入場料を設定したりすることには、私もうんざりしています。しかし静かに絵を眺める気持ちを持つことと、地球環境に思いを馳せることは対立するものではありません。むしろ自然環境を破壊するような消費型の娯楽が存在する中で、芸術に楽しみを見出すような生き方が、もっと見直されてもいいのではないかと私は思います。

「環境保護」という本来ならば共感できるメッセージが、このような心無い表現方法で発せられたことに、私はがっかりしてしまいます。アメリカの元大統領による世界の分断や、ロシアの為政者による野蛮な破壊行動が続くこの世界で、「環境保護」のような良識的な活動でさえも、このようなことになってしまうのか・・、という落胆の気持ちです。このような善良な主張については、多くの人たちが共有できるような形で進んでいくことを願っています。

芸術作品よりも、人の命の方が大切なことは自明ですが、そもそもこの「環境団体」を名乗る人たちは、問いの設定を間違えています。それが絵画に関することだったので、いたたまれずに取り上げました。



さて、次にお知らせです。

10月29日(土)から11月14日(月)まで、美術家の稲憲一郎さんがアトリエで展覧会を開催します。その展覧会のパンフレットに、私がテキストを書きました。展覧会が開催されたら、そのテキストもご紹介しますが、まずは稲さんの展覧会の案内状をご覧ください。私のホームページにそのPDFファイルを貼りましたので、ご参照ください。

http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html



ここからが今回の本題です。

私のホームページでも紹介してありますが、稲さんが「精神生理学研究所」の活動をしていた時の資料が東京・六本木の国立新美術館で展示されています。

『国立新美術館所蔵資料に見る1970年代の美術—— Do it! わたしの日常が美術になる』という展覧会です。展示に関する情報は次のとおりです。

2022年10月8日(土)~11月7日 (月)毎週火曜日休館 10:00~18:00

※毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで

https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/doit/

 

そして同じく現在、国立新美術館で同時期に活躍し、現在も現役で活動している李禹煥(リ・ウファン、1936生)さんの大規模な展覧会が開催されています。

https://leeufan.exhibit.jp/

 

美術館では1階で『李禹煥』回顧展、2階で『 Do it! わたしの日常が美術になる』の展示があり、私は1階から2階へと見に行きましたので、その順番で簡単にご紹介します。

李禹煥さんは、すでに何回か大規模な展覧会を美術館で開催しています。私もほぼ、そのたびに見に行っています。展覧会のホームページの展覧会紹介を掲載しておきます。

 

東洋と西洋のさまざまな思想や文学を貪欲に吸収した李は、1960年代から現代美術に関心を深め、60年代後半に入って本格的に制作を開始しました。視覚の不確かさを乗り越えようとした李は、自然や人工の素材を節制の姿勢で組み合わせ提示する「もの派」と呼ばれる動向を牽引しました。また、すべては相互関係のもとにあるという世界観を、視覚芸術だけでなく、著述においても展開しました。

李の作品は、芸術をイメージや主題、意味の世界から解放し、ものともの、ものと人との関係を問いかけます。それは、世界のすべてが共時的に存在し、相互に関連しあっていることの証なのです。奇しくも私たちは、新型コロナウィルスの脅威に晒され、人間中心主義の世界観に変更を迫られています。李の思想と実践は、未曾有の危機を脱するための啓示に満ちた導きでもあります。

(『李禹煥』展 紹介文より)

 

短い文章の中で、大変上手に李禹煥という作家を紹介しています。

私にとって李さんは、美術家であると同時に著述家です。彼の書いた『出会いを求めて』を読んだときに、デカルト(René Descartes、1596 - 1650)やハイデッガー(Martin Heidegger, 1889 - 1976)そして何よりもメルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)といった思想家の名前が出てきて、これは勉強しないと太刀打ちできないなあ、と思ったものでした。

そんな私にとって李さんの説明で一番わかりやすかったのは、彼が現代美術の作品を「見ること」と、モノとモノとの「出会い」について、あるいはその出会いの「場所」としての作品について語った部分です。李さんはそれを、サッカーの試合を例にとって説明していました。サッカーの試合を見てどうしてみんな熱中するのか、それはボールの動きや一人一人の選手のことを語っても説明できません。サッカーのゲームという構造の中で、ボールと選手との関係性を見て、人々は熱中しているのだ、という解説です。これからの美術は、人々がふだんの生活の中で見落としているモノとモノとの「関係性」について「見ること」を促す、そういう(サッカー・スタジアムのような)「場所」となるのだ、というような趣旨だったと思います。

だから彼の作品では、ガラスの上に大きな石が置いてあったり、重い鉄板が真綿に包まれたように設置してあったり、ふだんなら「あ、危ない」と思わず言ってしまいそうな関係性の中に置かれています。そのことによって、改めてそれらのモノのあり方について考えさせるような仕組みになっているのです。

ただ、李さんのような作品の場合、作品と初めて出会った時が最も新鮮で、再制作された作品を見ると、ちょっと複雑な気分になります。今回は大きな部屋の全体に石が敷き詰めてあったり、大きな石、金属板を使った大掛かりな作品が設置してあったり、という工夫がありました。なかなかこれらの作品が一堂に会した展示というのは、見る機会がないと思います。李さんが展覧会のインタビューで語っていたように、今回の展示では作家から提案されたアイデアが生かされているのだと思います。

しかし、私が最も心惹かれたのは『風と共に』と題された絵画作品とそれと近い感じの絵のシリーズでした。絵画空間という限定された場所の中で、できるだけ多くの大気を取り込もうとする李さんの筆致が、見ていて気持ちよく、感動的でした。これらの絵画作品には、李さんの作品のコンセプトである「関係性」を超越するような何かがあったように感じました。このことについては、後で触れます。



次に『Do it! わたしの日常が美術になる』を見に行きました。

こちらは、1970年代の日本の現代美術を資料で見る、という展示でした。原資料もあれば写真、映像もあって、大きな部屋の入り口から出口方向に歩いていくと、1970年代の美術の動向を目で追っていくことができます。こちらも展覧会のホームページからその紹介文を引用しておきましょう。

 

1960年代後半以降、新たに生まれた芸術の動向は、写真や映像、印刷物や郵便による通信、イヴェントやパフォーマンスなどにより、多様化していきます。その背景には、1964年の東京オリンピック、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)を経て、日本社会が高度経済成長を遂げ、物質的な豊かさを取り戻すとともに、映画、テレビをはじめとするマスメディアの変遷を経験したことが挙げられます。同時に、二度にわたる安保闘争や公害問題などにより、社会の矛盾や既成の共同幻想の虚構性があらわになり始めた時代でもありました。

本展では、国立新美術館の主要資料である安齊重男(1939-2020)による写真をガイドラインに、当館のアーカイブに所蔵されている美術関連資料を紹介します。展覧会が終われば解体されるその場限りの作品やパフォーマンスなどの表現を追い、安齊は作家たちの伴走者としてシャッターを切りました。その記録は、当時を窺い知ることのできる証言として解釈され、流通し続けています。また、当時の若手作家たちは身体や身近な素材を用い、それをコピー(ゼロックス)やビデオなど自主的に複製できるメディアで記録するという、簡易な形式で多くの作品を残しました。本展では安齊がとらえた70年代の美術動向を通奏低音としながら、当時の作家たちの制作意識や発表方法の広がりといった点に着目することで、現在に通じる資料の読みの可能性を探ります。

(『Do it! わたしの日常が美術になる』展示紹介文より)

 

この展示の中で、入り口近くのガラスケースの中に置かれているのが、稲憲一郎さんたちが行った「精神生理学研究所」の資料です。「精神生理学研究所」については、『国立新美術館研究紀要 No.4 』の中で伊村靖子さんという研究員の方が、しっかりとした論文を書いているので、その紹介部分を引用してみます。

 

「精神生理学研究所」は、1969年から70年にかけて、稲憲一郎、竹田潔、島村清治によるもので、各表現者が存在する場所を研究所とみなし、東京研究所(稲憲一郎)を拠点に、新潟研究所、茨城研究所、群馬研究所、モロッコ研究所、長野研究所等の各研究所の作家、参加者に呼びかけ、以下の手順を経る。

(1)各研究所より、決められた日時の行為(あるいは無行為)に関する「データ」(手稿、印刷物、写真、オブジェ等の原資料)を東京研究所に郵送。

(2)東京研究所でゼロックス等の複製技術によって「データ」を紙に複写。

(3)2の複写物をトレーシングペーパーの帯で研究所ごとに束ね、「精神生理学研究所」という活字風のレタリングをほどこしたトレーシングペーパー製の封筒におさめる。

(4)再び各研究所へ郵送。

3の封筒におさめられた状態を「原本」と呼んでいる。「原本」は各研究所へ郵送されただけでなく、さらに複数部制作され、批評家・作家・画廊主を含む約30箇所へ郵送された。実際にこれらが手元に届いたことは、東野芳明、ヨシダ・ヨシエのそれぞれの記事(「メール・アート」『朝日新聞』<1970年5月11日>、ヨシダ・ヨシエ「単独行為者の超劇場」『美術手帖』<特集;行為する芸術家たち、1970年12月52頁>)より確認することができる。瀧口修造へ送付された「原本」は、東京都現代美術館美術図書室に所蔵されている。

(『国立新美術館研究紀要 No.4 』「精神生理学研究所」伊村靖子)

 

今読むと、なんてアナログな!と思ってしまいますね。まだコピーが手軽に使えない時代で、もちろんカラーコピーなんてありません。コピーの精度にも限度があったと思います。実際に展示された「原資料」と、関係者に送付された報告のものと見比べると、その苦労が偲ばれます。しかし、郵送という制度とコピーという技術を使うことで、作家個人がそれぞれ場所で同時に行った行為を共有できる、という発想をインターネットがない時代に思い付いた、ということが素晴らしいと思いませんか?私たち一人一人の存在が、今とは比べものにならないほど強く「時間」と「距離」によって縛られていた時代に、それをこんなアナログな手段で無化してしまおう、という試みなのです。

これを「アート」と呼ぶのかどうか、難しいところですね。しかし、この1970年代の資料展を見ると、美術作家たちが自分たちの作品を「アート」と呼ぶのかどうかということよりも、とにかく今ある制度から自由になろう、そして制度の外にある世界に触れてみよう、という意志に満ち溢れていたことがわかります。

資料写真を見ると、やはり「もの派」と呼ばれた人たちの活躍が目立ちますが、1階で回顧展を開いている李さんは、その一人に過ぎません。この大きな時代のうねりを見逃してしまうと、李さんという作家を正しく評価することができないと思います。

 

さて、この1970年代の作家たちの試みを見ると、美術作家たちが今よりもずっと「実存主義」的であったと思います。それは私がにわか勉強で『新しい哲学の教科書』(岩内章太郎著)を読んでいることで抱いた感想なのですが、この時代の作家たちは先ほども書いたように、何とかして自分を囲んでいる狭い世界(その当時は「制度」という言葉が流行っていたのだと思いますが・・・)を壊して、広い世界、本物の世界、生々しい世界に触れようとしていたのだと思います。

この後の1980年代はどういう時代だったのか、と言えば、どこまで行っても何かの「制度」に捕まってしまう、そういう世界の構造がわかってしまった、と思われた時代でした。それを「ポストモダン」などと言って、シニカルに構えることがかっこいいと思われた時代でもありました。だったら、最新の思想や哲学を勉強しても意味がないし、絵なんか上手く描いても仕方ない、昔の絵のスタイルと漫画やイラストを組み合わせると、ろくに絵がわからない評論家がスター扱いしてくれるし、おかげで絵も売れるし・・・、その時代を生き延びた人たちが、今や大作家や大学の教授になっているのですから、困ったものだと思います。

しかし、そういう時代の中で、李さんは誠実に「関係性」を求めた作品を作り続けましたし、稲さんは立体作品と平面作品を行き来しながら、独自の表現を追究していきました。

 

どうして彼らにそのようなことが可能だったのでしょうか?実は『新しい哲学の教科書』に、その答えの一端がありました。それをこれから紹介しましょう。この本については、前回のblogで少し書きましたが、今回はその全体像を知っていただくために、『新しい哲学の教科書』の紹介文を掲載しておきます。

 

今、哲学は「人間」から離れて「実在」に向かっている。21世紀を迎えてすでに20年、哲学の世界では大きな変動が起きています。そこで問われているのは、「人間以後」の世界をいかに考えるか、というものです。「ポスト・ヒューマニティーズ」とも呼ばれるこの動向は、思弁的実在論、オブジェクト指向存在論、多元的実在論、加速主義、アクターネットワーク理論、新しい実在論など、狭い意味での「哲学」をはるかに越えた多様な領域に広がりつつあります。本書は、こうした動向の明快な見取り図を与え、自分の問題として考える手がかりを示すために気鋭の著者が書き下ろした渾身の1冊です。

(『新しい哲学の教科書』紹介文より)

 

このようにこの本は、新しい実在論や実存主義をわかりやすく解説しているのですが、それらの学説への批判もあちこちに見られて、それがどうも岩内さんという著者の言いたいことのようなのです。もう少し彼の言いたいことをずばりと書いた本があるようなので、そのうちにその本についても書いてみたいと思います。しかし今回は、この『新しい哲学の教科書』の前半部分から読み取れることを押さえておきましょう。

この本では、第1章で「偶然性」について語られています。これは前回書いたことですが、私たちは「偶然性」という自力ではどうしようもないことで、人生が左右されることがあります。しかし、そのことを含めても、私たちには存在することの意味がある、という話でした。もう少し知りたい方は、前回のblogを見ていただくか、『新しい哲学の教科書』を買って読んでください。

今回話題にしたいのは、その次の第2章です。

 

第2章では、人間と物との関係について語られています。

私たちは人間中心で物の存在を考えてしまいます。例えば私たちが物を認識するから、物の存在が証明できるのだ、というふうにです。しかしその一方で、私たちが認識してもしなくても、物がそこにあることを実感として私たちは知っています。こういう場合に、自然科学ならば客観的な物の世界を認識できるのではないか、と思われますが、しかし自然科学も一つの考え方に過ぎません。例えば、私たちが目の前にある物に対してどのように感じているのか、どのように認識し、どのような思いを抱いているのか、について自然科学は解明できません。人間が存在する前から自然界の物は存在していましたし、人間が滅亡後も存在するでしょう。もしかしたら、私たちは自分たちの作ったAIに滅ぼされるかもしれない、ということさえ想像できるのです。このことについて、岩内さんは、次のような興味深いことを書いています。

 

しかしこれらの状況は、人間は客観的事物の秩序だけを生きる存在ではない、ということを逆説的に示している。すなわち、空間と時間に規定された物の因果秩序を生きるだけでなく、人間は高さを予感し、それを目指そうとする変わった生き物なのだ。

<中略>

人間だけが「高さ」を作り出し、超越性を欲望する。いや、人間的欲望の本質が超越性に向かう力動なのだ。世界に意味が不在なのではなく、実は世界に意味を見出せないのである。

<中略>

近代哲学は(神に代わる)広さの創出については懸命に努力したが、高さについての原理は提起できなかった。その広さでさえ、ポストモダン思想に激しく攻撃されたが、私の考えでは新しい普遍性を確保する準備をー実在論の文脈ではテイラーとドレイファスがー現代哲学ではすでに整えている。

難しい問題は、やはり高さなのだ。停滞していた高さのディスクールをもう一度始動させたことが、思弁的実在論の大きな功績の一つだと言ってよい。つまり、思弁的実在論の登場によって現代哲学の所在がはっきりしたのだー「高さ」の可能性と「広さ」の可能性は区別されなければならず、そして普遍性は必ずしも超越性を伴わないということ、これである。

(『新しい哲学の教科書』「人間からオブジェクトへ」岩内章太郎)

 

ぶつ切りにしてしまって、申し訳ありません。

でも、私たちが知っておかなくてはならないのは、哲学者の誰がどのような主張をしているのか、ということではなくて、どういう考え方が大きな流れとしてあるのか、ということですので、そのことだけを読み取ろうと思って中略を入れました。

とはいえ、この引用文だけを読んでも、何が何だか、という感じだと思います。私なりの解釈を書いてみます。

これらの実在や実存に関する哲学は、先ほども書いたように1970年代の美術の動きとよく似ていると思います。なんとかして見晴らしのいい場所に出てみたい、そして世界の全体像をつかみたい、そして本物の世界と触れ合いたい、という試みが哲学にも、美術にもあったと思います。そして岩内さんは、哲学では「世界」の広さをつかみたい、という動きが、近代以降、確かにあったと書いています。それは多分、稲さんが「メールアート」によって距離と時間を超越しようとしたこと、あるいは李さんがモノの関係を追究して、次々と石や金属による作品を制作していたことにあたると思います。それに対して岩内さんは、人間は「高さ」を欲望する生き物なのだ、と言っています。しかし哲学においては、その「高さ」を研究する動きが停滞していた、と書いています。ですがやっと、岩内さんはその「高さ」を追究する契機を得たのだ、と書いているのです。

これはどういうことなのか、私は美術に置き換えて考えるとよくわかると思います。これはとても僭越なことですが、私は稲さんの「メールアート」について、これが「アート」にあたるのかどうか、よくわからない、というふうに書きました。現在の稲さんが制作している作品は、間違いなく「アート」ですが、「メールアート」については、その判断を留保せざるを得ないのです。どういうことかといえば、「メールアート」は美術の世界の領域を広げる画期的な試みでしたが、それ以上の高みを目指すものではないと考えるからです。そしてこれはさらに僭越なことですが、李さんの石や金属、ガラスの作品のなかにも、同じことを感じるものがあります。それは美術の領域を広げる革新的な作品ですが、そこに高みを目指すような発展性がない、と思ってしまうのです。しかし文章のはじめに書いたように、『風と共に』というタブロー作品には、李さんが身体の中に取り込んでいる大気の広がりが見事に表現されていて、これは素晴らしい「アート」だと思います。

稲さんの現在の作品、李さんの『風と共に』、いずれも「アート」であり、すなわちそれらは世界の「高さ」を志向する作品なのです。

もしかすると美術の世界では、「広さ」を獲得する上で意味のある作品と、「高さ」を追究する上で重要な作品があるのではないか、という気がします。そして「広さ」を獲得するために格闘したのが、1970年代の作家たちでした。そのことを今回の資料展を見ると、ひしひしと感じます。そしてその後を引き継ぐ私たちは、「高さ」を目指さなければならないと思っています。「広さ」も「高さ」もどうでも良い、とシニカルに構えるポストモダンな人たちはともかくとして、私たちは「広さ」を獲得した作家たちのことを踏まえた上で、表現活動に臨むべきだと思うのです。

そしてさらに言えば、李さんや稲さんのように「広さ」を獲得する活動をした上で、さらに「高さ」を目指して制作している作家たちがいることも知っておく必要があります。私よりも年長の作家で、同じように「高さ」を追究している人たちを私は何人も知っていますが、なんてタフなんだろう!といつも感心してしまいます。私よりも若い方々には、その生き様の尊さがわからないかもしれませんが、私ぐらいの年齢になると、その凄みが実感できます。でも、それでは手遅れです。身近にいる先達から多くのものを吸収し、自分の生き方や方向性を探ることが若いうちからできると、さらに皆さんが高みへと行ける可能性が広がると思います。頑張ってください。

 

ということで、ここまで読んでいただいた方は、国立新美術館に行って、ぜひ『 Do it! わたしの日常が美術になる』資料展を見てください、無料です。そして、もしもあなたがまだ李さんの作品を見たことがないのなら、あるいはお金があるのなら、李さんの回顧展も見ておきましょう。

そして必ずその後で、稲さんのアトリエ展に足を運んでください。そのことで、あなたは稲さんの「広さ」と「高さ」の両方を知ることになり、立体的に一人の歴史的な作家を知ることができるでしょう。

 

私はもう少し、岩内さんという思想家のことを掘り下げたいと思います。この『新しい哲学の教科書』には、まだ後半がありますし、他に読んでみたい本があります。そして、いよいよマルクス・ガブリエルが登場しますが、どうやら岩内さんは彼を批判的に乗り越えようとしているようです、楽しみですね。

いずれ感想を書きますので、ご期待ください。

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