前回、中西夏之の「着陸と着水」について考えてみました。今回はタブロー作品について考えてみたいと思います。
「ところが、垂直な平面は自然的なものではなく、なにか激越な欲望と人為によって発見されたのではないか。」(『着陸と着水』)と中西夏之が書いていることを、前回も紹介しました。
仮に絵画が人為的で不自然な、そして垂直な平面だとするならば、画家はその「平面」にどのようにして触れたらよいのでしょうか。
垂直な平面と一定の距離をおいて立った画家は、絵を描くために筆を持って画面に近づきます。しかし、もしもその平面が厳密な意味で「垂直」なものだとしたら、画家は容易にそれに触れることができないのではないでしょうか。なぜなら、絵筆を持った画家がべたべたと画面上に絵具を塗るとき、彼は迂闊にもそれが垂直な平面であることを忘れてしまっているからです。
もちろん、画家が絵を描くときに、イーゼルに立てかけてみたり、あるいは床や机に置いてみたりすることはよくあります。日本画においては、水平に置いて描くことが普通でしょう。現代絵画においては、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock, 1912 - 1956)のように、床に置いて画面の中に入り込むようにして描いた画家もいます。さらに、画面にものを貼りつけたり、穴をあけてしまったり・・・、と例をあげてみれば、きりがありません。しかし、中西夏之が問題としていることは、恐らくそういうことではないのです。
絵を描くときの、画家の意識が問題なのだと、彼は言っているのだと思います。
床に置かれた画面は、重力によって大地に支えられ、どんな絵筆の使い方をしようともびくともせずにそこに存在します。その安定感に依存して描いた絵を、何も考えずに壁に吊り下げてみる・・・、それでは絵画が垂直であることを、まったく無視してしまっていることになります。あるいはイーゼルに立てかけてみたとしても、固定した絵に無神経に触れてしまえば同じことです。
絵画が、純粋な「もの」であるならば、それでも構わないでしょう。床に置こうが、壁に掛けようが、極端なことを言えば、キャンバスを木枠からはがして投げ出してしまっても、所詮それは「もの」ですから、どうでもよいのです。ところがキャンバスを木枠に張り、垂直な壁に吊り下げた途端に、それは「もの」から「絵画」に変容します。
人によっては、それをひとつの「世界」だと感じるでしょうし、あるいはその入り口、「窓」のようなものだと感じるのかもしれません。
余談になりますが、その絵画の成り立ちについて、実験的な試みをしたグループに、「シュポール/シュルファス(支持体/表面)」というフランスの画家たちがいます。彼らの活動は興味深いものですし、いつかまとまった文章を書いておきたいと思っています。しかし私の印象として、彼らの作品と中西夏之の作品とは、かなり異質な感じがします。何が異質なのか上手く言えませんが、「シュポール/シュルファス」の作品は物質的というか、実証的というか、とにかく手にとって触れる形で何か確かめてみよう、という印象を強く受けます。中西夏之の作品は、もっと深く内面化され、思考された末に表現されたもののように感じるのです。
話がそれました。絵画が厳密な意味で垂直な平面だとするならば、画家はどうやってそれに触れたらよいのか、という話です。
床に置いたものを、ただ立てただけ、というのではなく、例えば薄い和紙のようなものを床に置き、その一辺を持ちあげて天井から吊るし、重力によって厳密に垂直な平面を作り出したとします。画面に迂闊に触れてしまえば、その垂直性はたやすく壊れてしまいます。
例えば、そこに一本の線を引くとします。
その垂直な平面に接するような巨大な円をイメージしてみてください。その巨大な円の一部が、つまり弧が画面に接するとき、平面の垂直性を壊すことなく一本の線を引くことが可能なのではないでしょうか。
m 画布の表面、一点で触れる弓
弓型=弧の延長によって出来る円の中心は描き手の背後はるか後方にある。
(『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む。装置』)
その後「弓形が触れて」シリーズで竹の弓を作ったが、とくに竹にこだわった訳ではなく、画布の導入のゲージとして、すなわち大きくゆるやかな円弧を画布に触れさせながら、平らな膜面を探し、画布の位置を探すゲージの役目であった。
(『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む。装置』)
この中西夏之の文章を読むと、話は逆になります。
画家は自分のはるか後方に中心がある円をイメージし、その弧を画面に触れさせながら、平面の位置を探る、というのです。画布の位置は自明のものではなく、大きな円弧が触れることによって、明らかになっていくということなのでしょう。
そして、なぜ円弧が「画布の位置を探すゲージの役目」を果せるのか、といえば、それはやはり円弧のみが平面の膜面を壊すことなく、画面に触れることができるからではないでしょうか。
もちろん、現実に私たちが絵を描くときには、画布はすでに目前に立てかけられています。そして画布と私との距離は、画布の位置を探るまでもなく、作業場の広さ(というか狭さ)によって規定されています。それはあまりに日常的なことであって、そんな物理的な条件に制限されていることすら、いつしか無自覚になっています。
どちらかといえば、私はそういうことに無神経な性質ですが、それでもときどき、そのことが私と絵画との関係を拘束し、不自由にさせているような気がします。実は物理的な作業場の広さが問題なのではなく、そのことに愚鈍でいられる私自身が、不自由さの原因なのではないか、と最近になってやっと気がついてきましたが・・・。
かつて中西夏之が、絵を天井から吊り下げて、その不安定な状態のまま長い柄の筆で描く姿を、ビデオか何かで見た記憶があります。もしかしたら写真で見たのかもしれませんし、見た気になっているだけなのかもしれません。とにかく、その当時はまったく意図のわからない映像だったのですが、いまになって、少しその意味がわかるような気がします。
一見、絵を描くのに不自由なその設定が、実は、私たちが無自覚である本当の不自由さ、本当に私たちを拘束しているものから、一歩外へ踏み出るための作法だったのではないか、というふうに、いまは理解しています。一筆ごとに、画面が垂直であることを意識するための方法、というわけです。
このような、私の考えが当たっているのかどうか、わかりません。仮に或る程度妥当なものだったとしても、まだ私は、中西夏之のタブローの魅力の入口あたりにいるにすぎません。
もっと絵の内容に入りたいところですが、ここまででも結構苦労して執筆しました。
とりあえずは、このへんで・・・。
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